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1 プロローグ

「うちの娘の身代わりとして王立学院アカデミーに通ってもらえないだろうか?」


「……はい?」


 私が住み込みで働く王都の下町にあるとある一軒の大衆食堂。


 古い石造りの建物とはいえその中は掃除が行き届いているので汚れはありません。


 今は準備中のためお店の中には私たち以外に人の姿はなく、お店の備品である年季の入った木でできたテーブルと椅子はガランとしています。


 そんなお店の一番奥の席で私はとある御仁と対峙していました。


 目の前にいらっしゃる御方は平民の私では到底買えない上等な生地をふんだんに使った見るからに高そうなお召し物を身に纏ったお貴族様です。


 年齢は中年に差し掛かった頃なのでしょうがそれでも御髪おぐしは赤茶色のふさふさな髪で質感も女である私の目を惹くほど艶々しています。その高い鼻の下にはきれいに整えられた御髭。

 

 そんな見るからに立派なお貴族様が私の様な小娘にその頭を下げているのです。


 貴族が平民に頭を下げるということ自体、異常なことです。


「あの、困ります。どうか頭を上げて下さい」


 ああ、一体どうしてこんなことになってしまったんでしょうか……。


 それは今からほんの少し前に遡ることになります。






 私の名前はエマといいます。


 娘盛りの15歳。


 家名はありません、ただの平民です。


 お母さんは大衆食堂に住み込みで働く従業員でしたが私が8歳のときに病気で亡くなりました。父親とは生まれてこの方会ったことはなくどこの誰かもまったくわかりません。


 私はお母さんが亡くなってからは食堂の店主であるカインさんと一緒に生活しています。


 お母さんが亡くなってからは子供ながらにカインさんの手伝いをしていましたが本格的に働くようになったのは10歳になった頃からです。


 食堂の店主であるカインさんとは私が生まれたときからのつきあいになります。


 カインさんはお母さんより一回り年上で私にとっては父親代わりと言っていい方です。私が生まれる前のことは知りませんが、私が物心ついたときには一人身で今に至るまで女性の影はチラリとも見えません。



 最近の心配事はカインさんの体調がすぐれないことでした。


 お医者様に診てもらったところ、何かの病気らしいのですがそれを治療するための薬はすごく高価で平民である私たちには手が届かないほどのものみたいです。


 私たちにできることは病気の進行や悪化を防ぐための対症療法くらいでカインさんの体調はそれでも徐々に徐々に悪化していくのが私の目から見ても明らかでした。


 カインさんは背はそこまで高くはなく、がっちりとした身体で以前は筋骨隆々の日に焼けた肌に白い歯が眩しい豪快な性格がそのまま見掛け通りという外見でした。


 しかし今やその身体も萎んでしまい、かつての面影はすっかりと影を潜めてしまっています。


 そんな状態ですので、以前の様に多くのお客様を捌くことは難しく、うちの食堂は常連さんを相手に細々とやっているという有様なのです。



「は~」


 いつものようにお店の前を箒で掃除していて思わず溜息が漏れました。


 しかし、ちっとも身が入りません。


 カインさんは気丈に振る舞っていますがこのままでは時間の問題でしょう。


 どうにかして薬を手に入れることはできないだろうかと思うのですがいい考えは一向に浮かびません。




「は~」


 私は再び溜息をつき、ぼーっとしていました。


 そしてうかつにも道の真ん中にフラフラと出てしまったのです。



 ――ヒヒーン



「えっ?」


 大きな馬のいななきを聞きはっと我に返りました。


「うわっ!?」


 私のすぐ傍にはおおきな体躯の馬が私の頭上に両前足を上げてかろうじて停止させられていました。


 馬車を牽いている馬車馬で真っ白な毛並の見るからに高級そうな馬です。


 私はびっくりして体勢を崩し、尻もちをついてしまいました。


「貴様っ! この馬車がどなたの家のものかわかっているのかっ!」


 馬を操っていた御者の若い男性がそう怒鳴りながら馬車から降りてきました。


 御者とはいえ、そこらの平民の物とは違う仕立ての良いお召し物を身に着けています。


 それだけでこの馬車が大変な方が乗られている馬車であることが直ぐにわかりました。


 御者さんは私を無視して興奮して鼻息の荒い馬をなだめ始めました。


 ちらりと馬車の客車に視線を送って私は顔面蒼白になります。


 立派な客車でした。


 間違いなくお貴族様のものです。


 それも下位のではありません。


 中位より上のお貴族様のものであることがまだ未成年である私にもわかりました。



 ――あっ、これは死んだわ



 平民が貴族に対して無礼を働けば不敬罪によって処罰を受けます。


 ある程度の年齢になると子供でも知っていることです。


 場合によってはその場で殺されることだってあります。


 お貴族様の馬車の前を横切ったとかいういちゃもんみたいなことで罰を受けた人の話を聞いたこともありました。


 お貴族様の馬車を止めてしまった。


 しかも、急停止させて乗っていた方を危険に晒してしまったわけですからそれ以上の罰が予想されます。


 だったら馬車を止めずにひと思いにひいてくれたらよかったのにと思わなくもないですが、それはそれでいろいろと問題になるでしょう。


 下手をしたらカインさんにも咎が及んだかもしれませんのでどっちが良かったかは頭が混乱していることもあって私にはわかりません。



「いったい何事だ!」



 客車の窓が開き、そこから容姿の整った中年くらいの男性が顔を出しました。


 御者さんが慌ててその男性の傍まで行って経緯を説明しています。


「この者が……」


 御者さんが私を指差してそう言いました。


 私は立ち上がると日除けのため頬かむりしていたスカーフをとって二人の傍へ歩み寄りま

す。


「誠に申し訳ございません。どうか、どうか命ばかりはお助けを!」


 私は瞳にうるうると涙を溜めてそう懇願しました。


 多少の嘘泣きもできなくはありませんが本当に泣きそうだったので半分演技の半分マジ泣きです。


「……セレナ?」


「御嬢様がどうして……」


 私の顔を見た目の前の二人は鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をして固まってしまいました。


 何に驚いているんでしょうか?


 私があまりにも美人だから驚いた?


 いやー、これでも私はお店の看板娘なんですよ。


 男性客に言い寄られたことも数知れず。


 まあ、みんな私より一回り以上は年上のおっさんばかりなんですけどね。


 すると突然、客車の中にいたおじ様が中から降りてきて私の元へとやってきました。


 おじさまは私のすぐ傍にまで来られると私の顔をじっと見つめてきます。


 赤茶色のふさふさの髪、鼻の下にはハの字に整えられた立派な御髭を生やされています。


 その瞳は澄んだ明るい茶色をしていました。


 あらやだ、近くで見ると凄くかっこいいおじさま。


「娘、名前は何という?」


「……エマです」


「エマか、貴女あなたのご両親と話をしたいのだが……」


 え゛っ!?


 ちょっと現実逃避でアレコレ考えていましたが私はお貴族様に不敬を働いた下手人です。


 咎は私の保護者にも及んでしまうのか!


 私は慌てました。


「両親はおりません。申し訳ございません、私の不注意ですので罰はどうか私だけに。他の者への咎はどうかお許し下さい!」


 私は直ぐにおじさまの前で土下座しました。


 くつを舐めろと言われれば舐めますので何とかご勘弁くだせ~、はは~。


「んっ、すまない。勘違いさせてしまったか、貴女に少し相談したいことがあるのだ」


「相談……ですか?」


 私は顔を上げて目をぱちくりとさせました。







 込み入った話になりそうなので私は、そのお貴族様を我が店にお連れしました。


 私が店の住み込みの従業員であることを伝えると店主も交えて話をしたいとのことでした。私は不敬を咎めないという言質をしつこくしつこく何度もとらせていただいたうえでお店へとご案内しました。


 御者の方も心配だからとついてこようとされましたが普通の大衆食堂であることは外から見て直ぐにわかったようで御者の方は店の前で待つことになったみたいです。



「エマっ、一体何をしでかしたんだっ!」



 私がお貴族様を店の中へとお連れしたところ調理場から夕方の仕込み中で前掛けをしたままの姿でカインさんが私に駆け寄ると驚いてそう怒鳴りました。


 この濃い茶色の短い髪の中年の男性が店主のカインさんです。


 元冒険者というだけあってその怒鳴り声もそれなりの迫力ですが病気で体力の落ちている今のカインさんの声は以前とはかけ離れて大人しく感じるものでした。


「実はこの御方が……」


 私と一緒にいるのは一見して仕立ての良いお召し物を身に纏ったお貴族様、それもかなり地位が高そうな御方です。


 まあ、こんな場末の大衆食堂にお貴族様が入ってくることなんて普通あり得ないのでそうなると私がやらかしたと考えるのが当然なんでしょうけれど。


 いえ、実際やらかしたことはその通り間違いないことなので大変申し訳ございませんです、はい。


 私がカインさんに経緯を説明するとカインさんは青ざめてお貴族様にまずは謝罪し、店の奥のテーブル席へとご案内しました。


「折り入ってこちらの娘さんに頼みたいことがあるのだ」


「頼み、ですか?」


 カインさんが首を傾げながらそう尋ねるとお貴族様はコホンと一つ咳払いをして再び口を開きました。


「うちの娘の身代わりとして王立学院アカデミーに通ってもらえないだろうか?」


 この言葉がこれまでの私の生活を一変させる招待状になったのでした。

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