咲き誇れ、火炎瓶!
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度数低いし、だいじょうぶっしょ。
北国に住む女子高生マイマイはそんなかるーい決心とともにコロナ・エキストラをぐびぐび飲み、三百五十五ミリリットルの瓶をあっという間に空にした。小さなげっぷが出た。思ったより、いや、どういう味を想像していたのかはマイマイ自身にもさっぱりわからないのだが、とりあえずおいしくはなかったなというのが彼女の率直な感想だ。定番の相棒とされるライムをおともに加えていれば、また違った味わいを楽しむことができたのだろうか。経験はなくとも酔っぱらう予感はない。第六感がそう告げてくる。
いまマイマイがいる場所は、自宅の裏手にあるかまぼこ型の建物――農機や農具がしまわれている広い倉庫の中だ。農作業用の重機もあれば、大きなショベルの除雪車もある。数多くの野良猫の寝床になっていたりもするのだが、それは蛇足的な情報だ。
木製の作業台の上に、がんっと力強く空き瓶を置いたマイマイ。材料はそろった。あとは瓶にストーブ用の灯油を注ぎ入れ、丸めた布で栓をすれば、めでたく簡易焼夷弾――火炎瓶の完成である。
火炎瓶を製造するのは「あること」に使用するためであり、その「あること」とは幼なじみの男子高生レンレンのために起こす「ある行動」のことを指す。
マイマイと同じ高校に通い同じクラスで同じ二年生をやっているレンレンは、どの角度から見ても太っちょだ。肌はコッペパンのようにほんのり色黒で、性格は深海探査艇のように温厚である。
そんなレンレンの現状を整理しようとすると、なにより先にいじめられているという無情かつ無慈悲な事実に突き当たる。いじめなのだから手段はいくつもある。レンレンの場合についてわかりやすいところで言うと、彼は不名誉な「単位」を与えられてしまった。「一人」ではなく「一匹」なのである。家畜扱いされているのである。まったくもってひどい話だ。気の弱いニンゲンなら自殺を図ったっておかしくない。ちなみにマイマイは「一機」である。生まれついての気の強さと並々ならぬ火力から「イスラエル製の対人兵器」と呼ばれている。
マイマイは理不尽なことを見過ごせないタチだ。火炎瓶などという無政府状態のバンコクを連想させる武器を使うことで犯罪に手を染めてしまうことになるわけだが、ゆるせないものはゆるせない。なにがゆるせないって、いじめがより過激化し、本日、レンレンが髪を切られた(逆モヒカンにされた)ことがゆるせない。レンレンの家は理容室。レンレン・ママはしくしく泣きながら、息子の頭をぼうずに刈った。
レンレンはなにをされても微笑みまじりに「平気だよ」としか言わないので、これまでマイマイは目立つ報復は避けてきた。自分がやり返すことによって発生する代償のほとんどをレンレンに背負わせることになるのもわかりきっているので、手を出すのは極力控えてきた。古臭い価値観と悪意のないことなかれ主義との合わせ技で自然的に課題をスルーしてしまう田舎の教育者然とした先生たちに訴えつづけるのは、なにか違う。そうでなくとも加害者の生徒は学校中にいるのだから、誰の目も届かないところはどうしたって出てきてしまう。
しかし、もはやああだこうだと悩んでいていい段階ではない。
なりふりかまっていられない状況に陥ってしまったのだ。
ガツンとやってやるしかないのである。
マイマイはほくそ笑む。
覚悟しろ、愚行を重ねる愚図で愚鈍な愚者どもよ。
貴様らは我が憤怒のまえにひれ伏し、イフリートも真っ青の業火で粛清されるのだ。
これは一人の少女が自身の優秀な頭脳から導き出した知略をもとにしたスマートかつ痛快ないじめっ子撃退作戦の全容の記録……というわけではなく、実際はマイマイというぶっとんだ女子高生が己の直情性と短絡性と攻撃性と暴力性をいかんなく発揮して憎き悪魔どもの肉体はおろか精神までをもド派手に焼きつくしてやろうとする決して高尚ではない復讐の物語である。
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日曜日の昼どきになると、マイマイは自らがせっせとこしらえたみそバターコーンラーメン(大盛)と高菜チャーハン(超大盛)をアマゾンで購入した二段式のおかもち(アルミ製)に入れ、それを最寄りの理容室――レンレンの自宅に配達する。マイマイはおおらかな巨躯の男性が好みなので、レンレンには用がある。マイマイの理想と比べると、レンレンはまだまだ線が細い。だからもっと太らせてやりたいと考え、宅配サービスを営んでいるのである。
なお、レンレンの家は母子家庭だ。レンレン・パパは雪下ろし中に屋根から転落し、三年前に死んでしまった。不幸なのは間違いないが、北国ではありがちな事故でもある。しょうがなかったのだと諦め、みんなで涙を流すくらいしかできなかった。
夫――男親がいなくなったのだ。不安になるのもわかる。もともと心配性な性格でもある。レンレン・ママはレンレンがいじめに遭っていることをむろん把握していて、それはもう気に病んでいる。しかしレンレンは、「ぼくが苦しいって言うと、お母さんはもっと苦しくなっちゃうから」と健気一色。ここいらは豪雪地帯として知られ、だから雪はたくさん積もるのだが、なにせレンレンは孝行息子なので雪かきだって一手に引き受ける。ほんとうにいい奴なのだ。
ラーメンもチャーハンも、レンレンはゆっくりお行儀よく食べる。んなこっちゃ冷めちまうぞ掻き込めよ馬鹿野郎と指摘、あるいは注意したくなるのだが、穏やかな表情で、今日もとってもおいしいと言われてしまうと、腕を組んで目尻を下げるしかない。
レンレンの微笑みは魔法だ。
マイマイの心に必ず安らぎをもたらしてくれる。
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ついにマイマイにまで火の粉が降りかかってきた。レンレンの味方をつづけることから目をつけられているのはよくわかっていたのだが、自分の凶暴さと獰猛さを承知しながらあからさまな敵対行動をとってくる者などいないだろうとマイマイはたかをくくっていた。マイマイは「月をも砕くレールガン」とも呼ばれている。それでも突っかかってくるのだから、大したものだと評価せざるを得ない。
にしても、まさかセーラー服を教室に残さざるを得ない体育の時間を狙って、ぺちゃんこにしたアマガエルを三匹もスカートの上に配置してくれるとは。
手を下したのは男子でも女子でもかまわない。問題なのはいじめの輪に巻き込む格好で三つの命が失われたことである。というか、カエルが苦手だとどうしてばれた? まさか、我が軍にスパイが? そうは思いたくない。
亡くなられたお三方をティッシュで包み、しとしとと雨が降る中、中庭に出て、見頃なんてとうに過ぎたあじさいが植わっている花壇に、彼らを埋葬してやった。
マイマイは合掌しながら少し泣いた。
レールガンの目にも涙である。
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マイマイはレンレンの部屋にいる。いわゆる「チェリー」をいただくべく襲ってやろうだとか考えたわけではない。舌なめずりもしていない。がちゃがちゃ騒ぐことなく静かにしている。静かに静かに熱帯魚を観賞している。とても綺麗な水槽で飼育されていて、マイマイのお気に入りはクマノミである。
レンレンはというと、デスクライトをつけて、まじめに勉強に取り組んでいる。宿題は出ていない。レンレンはとろい上におつむがあまりよろしくないから、予習も復習も欠かせないのだ。かなりのデブで頭もいまいちで顔もよくなくて要領も悪くてとディスり始めたら止まらなくなるくらいだからたまに「レンレンはよく生きていられるな」と思わされることすらあるのだが、マイマイにとってはやはり大器であり、逸材であり、優良物件なのである。
なお、レンレンには夢がある。理容室を継ぐことだ。夢でもなんでもなく、敷かれたレールの上を突っ走るだけのように見えなくもないが、レンレンは破滅的に不器用でもあるので、夢で終わってしまう可能性だってなくはない。
そうなってしまったら最後、「ご愁傷さまです」と慰めの言葉をかけるしかない。
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コロナ・エキストラの空き瓶がマイマイ・ママに見つかってしまった。マイマイはあわてた。しまった。へたこいた。机の一番下の引き出しに隠すだけでは甘かった。マイマイ・ママは物静かながらもゴリゴリ攻めてくるひとなので、部屋を掃除するついでに娘の持ち物チェックくらいは余裕で実施する。マイマイ・パパにもソッコーで報告されてしまった。マイマイ・パパはコンドームでも見せられたかのような渋い顔をした。アルコールとセックス。女子高生とはいえ、たぶん、後者をたしなむほうが健全だろうとマイマイは思う次第だ。
畳の上であぐらをかいたマイマイ・パパに正座をするよう指示され、マイマイは神妙な面持ちで従った。マイマイ・パパの隣にはマイマイ・ママの姿がある。
「マイマイ、どうして酒なんて飲んだんだ?」
「そろそろ大人の仲間入りをしようかと思いまして」
「佐藤さん(近所の酒屋)から買ったのか?」
「はい。お父さんのおつかいだと嘘をつきました。過疎化が進む我が町にコロナ・エキストラがあることに、わたしは感動すら覚えました」
「よかったな。だが、父さんは失望した。絶望もしている」
「またまたご冗談を」
「ああ、冗談だ。飲んでみて、感想は?」
「お、お父さん、いまは感想なんてどうだって――」
「母さんは黙っていなさい。マイマイ、どうだったんだ?」
「どうということはありませんでした」
「それ以外に気づいたことは?」
「じつはメキシコの熱く乾いた風に往復ビンタをされたような衝撃ががが」
「わかった。今度、タコスを食べながら飲んでみることにする」
「お、お父さんっ!?」
「母さんは黙っていなさい」
愉快なマイマイ一家である。
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ある夜のこと。
なんとはなしに倉庫へと猫の様子を見に行ってみると、出入りしているうちの一匹がヘアレスキャットになっていた。薄いピンク色の皮膚のところどころに血がにじんでいて、なんとも痛々しい。三匹も子を生んだ実績を持つ立派な母猫に対してなんたる仕打ちか。先日、バリカンでレンレンを逆モヒにした奴らが今度は猫の毛を刈ったのだ。絶対そうに違いない。まだ十月とはいえ、夜になるとそれなりに冷える。よって、ただちに寝床であるダンボールの中に厚手の毛布を敷いてやった。
寒さに震えるヘアレスキャットの身体を撫でながら、マイマイは考えをめぐらす。そういえば、最近、LINEをしても友だちの反応が極端に遅い。内容もなんだかよそよそしい。まるで誰かの検閲を受けてから返事をしているみたいな、そんな感がある。学校では親しげに振る舞ってくれているように見えて、じつはもはやスパイどころの話ではなく、完全に裏切られ、寝返られてしまったのだろうか……。
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復讐の決意が揺らいだわけではないのだが、きっかけが掴めず、なんだかんだで様子見をつづけているうちに十二月に突入した。初雪はとっくに観測された。それでも短いスカートを貫いているマイマイは偉大だとは言えまいか。マイマイはサービス精神旺盛なのである。田舎町の男子諸君に潤いをもたらす若くピチピチした女神さまなのである――という無駄とも思える豆知識はさておき。
ある日の放課後。
マイマイのスマホにレンレン・ママから電話がかかってきた。
「どうした、レンレン・ママ」
『マイマイちゃん。話があるから、ちょっと寄ってもらえない?』
「はいほー、了解。いまレンレンとの帰り道だから、いっしょに向かうのだ」
『ごめんね』
「いいってことよ」
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これといった競合店がないことから、目下、界隈の利益を独占している『司寿司』。その名が刻まれている漆塗りの寿司桶に出迎えられた。五人前もある。レンレン・ママはダイニング・テーブルの向こうで「どうぞ、食べて?」と微笑むのだが、表情そのものはどことなく暗く、冴えない。マイマイ、とりあえずいただけるものいただく、イカやホタテをぱくぱく。なお、レンレンはレンレン・ママに「二人きりで話がしたいの」と言われ、二階の自室に引っ込んだ。「よし」と言われるまでお寿司も「待て」というわけだ。
「マイマイちゃん、おばさんね? そろそろきちんとしたいの」
「なにをでござるか?」
「いじめを終わらせたいの」
マイマイは分厚い大トロを柔らかに咀嚼し、ごくんと飲み込んだ。そういう話だから本人にはひとまずご退席いただいたのかと合点がいき、彼女は二度三度と頷いた。
「レンレン・ママ、シースーはめでたきときに食べるものぞ。前祝いということでござるか?」
「そうなればいいな、って。ごめんね。レンレンのことで迷惑をかけちゃって。聞いたわ。マイマイちゃんまで被害に遭っているんでしょう?」
「拙者のことは気にするでない」
「おばさん、もう我慢できないの」
しくしく泣き始めてしまったレンレン・ママ。
それを受け、マイマイは深く吐息をつき、笑顔を作った。
「レンレン・ママ。端的に言います。わたしに最初で最後のチャンスをくれませんか?」
「チャンス?」
「いじめのコンゼツには大賛成だけど、レンレン・ママに丸投げするつもりはこれっぽっちもないのです」
「どういうこと?」
「このマイマイさまにまるっと全部お任せあれってこと。異議は受けつけませーん」
「そんな……」
マイマイはがっはっはと笑った。その豪快さの裏には多少の焦りもある。ちょっとのんびりしすぎた。だって根雪になってしまったら、火炎瓶は使えなくなってしまうではないか。
いざ、闘いのとき。
茶碗蒸しまでいただき、ごちそうさまでしたと手を合わせ、二人に見送られて帰路につき、途中で『佐藤酒店』に寄ってコロナ・エキストラを購入した。寒々しい倉庫の中で景気づけだとばかりにそれをあおり、ポンプと漏斗を用いて慎重に空き瓶へと灯油を注いだ。
殺人犯になる覚悟はできている。それほどまでにマイマイの怒りと悲しみと悔しさは大きい。思考も行動も極端すぎるのが玉に瑕であることには自覚的でありながらも、いや、自覚的だからこそ、がまんできないことはどうしたってある。
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翌朝。
起床し、カーテンを開けて窓の外を見たとき、マイマイは額に右手をやって、「あちゃぁ、タッチの差」と出遅れを悔やんだ。そう、出遅れだ。雪が積もってしまった。ニ十センチはあるだろう。一晩でよく降ったものだ。
しかし、もう止まれない、止まるつもりもまったくない。
気分はアゲアゲ。
朝っぱらからトップギア。
作戦は断固決行する!
マイマイは戦闘服であるセーラー服に着替えると、姿見のまえでびしっと敬礼した。
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ちらほらと雪が舞う。標的はいじめの主犯格である仲良し三人組の男子高生――ブサイクな上級生ども。マイマイは下校時を狙った。ダンプも通れる道幅を誇る農道の真ん中で堂々と待ち伏せした。連中は彼女から二十メートルほど離れたところで立ち止まった。みな、「なんだなんだ?」という顔をしている。
ゆくぞっ!
スクールバッグを放り出し、愛しきキティちゃん柄の手提げ袋から火炎瓶を取り出す。それを右手で強く握る。勘のいい奴らだ。そろって身を引いてみせたことから、なにをされるかわかったらしいと判断できる。
リーダーのガリマッチョが必死の形相で「マ、マイマイ、おまえ、そりゃやりすぎだべ!」と待ったをかけた。だが、もはや対話の余地など一ミリも残っていない。状況はとっくに始まっている。一度「匙は投げられた」とか言ってみたかった。いや、間違えた。「賽は投げられた」だった。ドジっ子属性もくっついているおちゃめなマイマイである、てへぺろ。
いよいよジッポライターで布に点火した。瓶の口からボッと火が吹き出したので少し驚いた。それも束の間のこと。取り乱すまでには至らない。マイマイは火炎瓶を「おりゃーっ!!」と全力で投擲した。上級生どもは「ひぇーっ!」とでも言わんばかりに身を引く。しかし、火炎瓶は炸裂することなく、それどころか目標に届くこともなく落下し、むなしく雪に沈むことで一生を終えてしまった。大きな大きなハイビスカスの花が誇らしげに開くがごとく盛大に燃え上がり燃え広がる場面を期待していたのに、このザマ、無念の一言。
火炎瓶は咲かなかった。
予想できたこととはいえマイマイの失望感は小さくない。思わず俯く。吐息までもれた。だがすぐに顔を上げ、まえを睨み、「雪が解けたらまたやってやっからな!」と吼えた。するとガリマッチョは「や、やめるよ! もうやらねーよ! レンレンは解放する!」と宣言した。おまけに「女子に言っておまえにやってんのもやめさせるよ!」と約束してくれた。
「つーか、マイマイおまえ、そこまでレンレンのことが好きなのか?」
「大好きだよ!!」
「えーっ、じつは俺、おまえに惚れてたりするんだけど……」
「いまさらほざくな、ボケェッ!!」
マイマイは勢いよくダッシュし、おなかに飛び蹴りを見舞うことでガリマッチョをぶっとばした。その様子を目の当たりにした残りの二人は脇目も振らずに逃げていった。
まあ、過程はともかく目的は達成した。だから作戦成功? 状況終了? 結果オーライ? オールオッケー? うん、そうだそうしようとマイマイは大決定。「おっしゃあ、大成功!!」と快哉まで叫んでおいた。
勝負下着――黒い紐パンをはいてきた甲斐があったと、彼女は思った。
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数年後。
マイマイはレンレンと結婚した。田舎町で理容室に嫁入りした。仲良し夫婦だ。家事も仕事もいっしょにやっている。相変わらずレンレンはよく食べるので、おなかはいよいよ木星みたいにふくらんできた。『さっぽろ雪まつり』のメイン雪像のモデルにしてもらいたいくらい、そのフォルムは圧巻である。とにかく丸いしとにかくデカい。ほどよく日焼けした超巨大雪だるまといったところだ。
最近、二人で「赤ちゃんが欲しいね」と話している。マイマイが授かりたいのは男の子。とことん太らせて将来は角界入りさせてやろうという野望を抱きながら、日々の子づくりに励んでいる。幸せであることは言うまでもない。レンレンとは決して切れない強いきずなで結ばれているのだと、マイマイは満足している。
ただし、百パーセント満足はしていない。たった一つとはいえ、胸のうちに不安要素を抱えているからだ。レンレンに限ってそれはないだろうとは思うのだが、「油断はするな」とゴーストがささやいてくる。
その日の夕食時。
「ねぇ、マイマイ、まえから思ってたんだけど、冷蔵庫に入ってるコロナ・エキストラ、いつになったら空けるの?」
「テメーが浮気しやがったら飲むんだよ」
自慢の真っ白な歯を見せて、マイマイは、にっと笑った。