第32話
俺は愕然としている。
穴があるって言うから職場の地下のように穴があって、そこにコアがあるんじゃないかと思っていた。
コアさえあればゾンビを回避できるんじゃないかと。
ただ……この穴は何だ?
近づいてみるが中は見えない。職場にあった穴は近づけば中が見えたはずだ。
「久我さん。どうしますか?」
不安そうに音緒さんが聞いてくるが……ぶっちゃけ入りたくない。ただ、完全にゾンビに囲まれていて崩れかけのビル内じゃ範囲の広い魔法やビルに負荷がかかる魔法は使えない。ショッピングモールよりも状況としては悪い。
「もう、入るしかなさそうだけど、入るにしてもかなり勇気がいると思うんだ」
俺が躊躇しているとゾンビが追いついてきたのか扉の外から音が聞こえるようになった。機械室に音が聞こえてくるってことは何処か穴が空いているのか、それともそれだけ大量のゾンビが入って来たのか、パラパラと天井から埃も落ちてきている。
この雑居ビルは近いうちに崩れるかもしれない。もうほとんど時間はないのだろう。
念のため極黒に魔力を流して延長した魔力の刃を穴の中に入れてみるが……何の反応はない。最低限入ってすぐ何か起こることはなさそうだが、それも確実じゃない。
音緒さんを見るとゾンビが入ってくる音を気にしているのか、ちらちらと扉の方を見ている。
「俺が先に入るよ。何かあったらすぐに出てくるから」
「わ、わかりました。気をつけてください」
俺は意を決して、ゆっくりと穴の中に手を入れる。何の感覚もなく、大丈夫そうだ。そのまま穴の中に入っていくと、全身が入った瞬間に身体がふわっと浮くような感覚に襲われる。
視界は完全に暗闇で、自分がまっすぐ立っているのかすらわからない。
その感覚は一瞬。
気がついた時にはどこかわからない洞窟の中に俺はいた。
【領域結界に侵入しました】
頭の中でアナウンスが響き渡る。
「領域結界は歓迎なんだけど……ここは何だ?何処に出たんだ?」
周囲を見てみるが、前後左右に岩肌があり、まるで鍾乳洞や風穴だ。足場などが設けられているわけではないが、地面の岩肌は人が通ることを想定しているみたいにある程度平らになっている。
「ビルの地下から洞窟に繋がっているなんて聞いたことないけど……」
いや、それよりもここならゾンビが入ってこないかもしれない。崩れそうなビルよりはマシだろう。早く音緒さんを連れてこないと。
一旦穴から出ようと振り向いてみるが……そこには何もない。ただただゴツゴツした岩肌があるだけで、黒い穴がない。
「えっ?」
焦って周囲を見渡してみるが、ここは行き止まりなのかスタート地点とでも言うのか、前に道が続いているだけで後ろには何もない。
「どうなってる!?何で穴がないんだよ!?」
不味いっ!音緒さん一人じゃ大量のゾンビを捌ききれない。ビルにあった穴がどうなっているかわからないが、俺を飲みこんだことで消えてしまったなら音緒さんは……。
焦って洞窟内を進もうとすると、空間に歪みが現れ、そこから音緒さんが出てくる。
「え?」
「え?」
同時に声を上げたがたぶん別のものだ。
「ここはどこですか?」
音緒さんはここが何処だかわからない「え?」だけど、俺のは何もないところから音緒さんが出てきた「え?」だ。俺の中から焦りが消えて安心する。
「よかった。俺にもわからないが、どこかの洞窟みたいだ」
周りをキョロキョロ見ていた音緒さんが穴がなくなっていることに気がつきちょっと焦りだす。
「久我さんっ!穴がなくなっています!」
「ああ、音緒さんが出てきたときも穴からってわけじゃなく空間が歪んでそこから出てきたって感じだった。たぶんあの穴は、ファンタジーで言う転移装置みたいなものなんじゃないかと思う。一方通行の」
俺の推測に少し落ち着いたのか音緒さんが不思議そうに岩肌を触る。
「転移……ですか……。納得できたような納得できないような……。でも、そう考えるしかないですよね。これからどうしよう……」
音緒さんは困った表情をしながらデコボコした岩壁が続いている通路の先を見る。俺も一緒になって通路の先を見ながら音緒さんを促す。
「進むしかないかな。領域結界内には誰かが攻略しない限りボスとなる異形がいるのは知っていると思う。俺の目的はコアを手に入れることだから倒すつもりだけど……まずは、休憩しようか」
暗くなってからショッピングモールを文字通り飛び出してきた俺達は一旦ここで仮眠をとることにする。洞窟内は薄暗くはあるが、どこかに光源があるのかファンタジー物質でできているのか人の目で見える程度には明るい。
ソファを置いてきてしまったのでアイテムボックスから柔らかいクッションやシートを取りだすとよほど疲れていたのか音緒さんがすぐに寝息をたてて寝てしまった。
少し周りを探索してみたい衝動に駆られるが、万が一ゾンビが入ってきたり、洞窟内の異形が来た時のために動き回ることはできない。
マットを音緒さんに占拠されてしまったため一人用の簡易椅子を取り出して座って一息つく。
気分が落ち着いたところでシンと静まり返る洞窟内に耳を傾ける。
魔力を周囲に広げてみるが壁に阻まれて広げる事ができない。壁の表面で弾かれる。この岩壁はただの岩じゃないと言うことか。
針を使ってみるが変化させる事ができず……岩肌を利用するのは無理そうか。
早々に諦めて空気を試してみようと思うが音緒さんが寝ているので自重する。感覚的にはこれはいけそうだ。
ここで戦う上で少しでもできることを把握しようと俺は集中してできることの把握に努める。
何が使えそうなのか実験しているとかなりの時間が経っていたのか音緒さんが起き出してくる。ぼ〜としながら状況を確認すると俺を見つけて視線が止まる。
「す、すみません……私だけ寝ちゃって……」
「大丈夫だよ。少しは身体を休めることができたかな?」
慌てながら頭を下げて謝ってくる音緒さん。
「はい。久我さんはずっと起きていてくれたんですよね?今度は私が見ているので少し仮眠を取ってください」
そう言うとシートの上から立ち上がり身体を伸ばしてこっちに近づいてくる。
「そうしたいところだけど……ちょっと無理そうだよ」
「どういうことですか……?」
不思議そうにする音緒さんから視線を外し、唯一道が続いている方向を見る。
しんと静まり返る洞窟内、前方を見ても何も見えない。ただ、俺が広げている魔力の探知範囲内には今、何かが入ってきているのがわかる。
動きは遅い。ゆっくり這うようなスピードで俺達の方に近づいてくる。
「何かが近づいてきている。まだ探知範囲に入ってきたばかりだけど、音緒さん。戦闘の準備を」
「わ、わかりました!」
音緒さんが慌ててリュックの中からハンドガンを取りだし構える。俺も今のうちにシートやクッションをアイテムボックスにしまい、スナイパーライフル・黒葬を手に取る。
二十メートルほど先で通路が曲がっているのでそこまで来ないと敵性存在を姿を見ることができない。俺の探知範囲内には複数の何かが入ってきている。だんだんと入ってくる数が多くなっている。
構えたまま一分ほどだろうか、気にしなければ耳に入らないだろうずりずりと地を這うような音が微かに聞こえてくる。
あと少し……岩肌の陰から出てきたのは、1メートルぐらいのミミズのような生物。
「ひっ……!?」
音緒さんの小さな悲鳴が聞こえてくる中、俺はその生物を観察する。
色は灰色、目はわからない、芋虫のように縦に身体を伸ばしては縮ませゆっくりと俺たちの方に近づいてくる。
先頭のミミズもどきが何かを察知するようにピクピク動くと、顔の部分を持ち上げ、大きく口を開いた。
口には小さい牙が上下左右にびっしりと生えていて、ヤツメウナギの口やエイリアンの口のようだ。
黒葬のスコープを覗いた俺は戦闘開始のトリガーを引いた。