第29話
太陽が沈み夜の帳が明るかった周囲を光のない闇に変える。幻想拡張で作りだした暗視メガネを音緒さんにも渡したので周りが見えないことはないが、下階でゾンビの動きまわる音がなんとも不穏な空気を作りだしている。
俺達がいるところのエスカレーターを破壊したおかげでゾンビが登ってくることはないが、別の塔屋や建物の外周にある駐車場につながる通路はまた別だ。ゾンビの知能が低いのが幸いして今のところは屋上に上がってくるゾンビは見当たらないが、早急に塞いでおかないといけない。
ソファに座っている音緒さんをチラリと見てみるが、だいぶ落ち着いているように感じる。そろそろ大丈夫だろうか?まあ、日が昇るか何か緊急のことがあるまではここで音緒さんの体力の回復を待つ予定だが。
「俺は他の屋上に上がってこれるエスカレーターなんかを塞いでくるよ」
俺がそう話しかけると音緒さんも立ち上がる。
「わ、私もお手伝いします。エスカレーターを壊すぐらいはできると思います」
音緒さんが手伝ってくれるなら早く終わるだろう。ショッピングモールはかなり広い。屋上に上がってくるエスカレーターは館内マップで確認したところ四カ所ある。ただハンドガンでエスカレーターを破壊するのは時間がかかりすぎる。ショットガン――黒改を使えるならそれで破壊できるかもしれない。
「これ使えるかな?ショットガンだから弾が飛び散るし壊しやすいと思うけど……ただ俺以外が使ったことがないから使えるかわからないんだけど」
アイテムボックスから黒改を取りだすと音緒さんに差し出す。音緒さんはちょっともじもじしながら手を出したりひっこめたりしている……。何をしているんだろう?
少しして黒光りするショットガン・黒改を手に取ると音緒さんが壁に向かって構える。
「お、大きいですね。両手でしっかり持たないと。でも……使えると思います」
黒改を見るとショットガンの銃身から淡い緑色の模様が出てきている。音緒さんでも使えるみたいで良かった。
「じゃあ、エスカレーターの破壊をお願いするよ。俺は屋上に上がる車道と他にも従業員用の階段があるかもしれないからそれを潰してくる」
二人で塔屋を出ると俺は屋上の外周に向かって、音緒さんは近くの塔屋に向かって走っていく。
何とか音緒さんは大丈夫そうだ。
それに……あの繭があるなら、ここには人がいないように思う。日が登ったら早めに別の場所に行こう。
屋上に上がる車道に着いて見渡してみるがまだ車道にはゾンビは上がってきていない。
「とりあえず車道を隆起させてバリケードを作るか……ん?」
幻想拡張を使おうとした瞬間にふと視界の隅に何かが動いたような気がする。俺の右側、視線を送っても腰ぐらいまでの高さのコンクリートの柵とその上にはフェンスしかない。
気のせいかと思い作業を続けようとするとフェンスのその先、眼下に広がるショッピングモールの敷地。そこで何かが蠢いている。
嫌な予感がしてフェンスに歩み寄り下を見下ろすと
――ゾンビ
「は?……えっ?」
茫然としている俺の目に映ったのは敷地外から 押し寄せるゾンビ。慌てて別方向を見るがショッピングモールを囲むようにゾンビが押し寄せてくる。
ショッピングモールが目的地だと言わんばかりに一つの方向に向かって歩いてくる。
何でこんなにゾンビが集まってくる!?……あれか、肉繭のせいかっ!
肉繭の破裂音。大した大きさではなかったが、何かしらのゾンビを集める音を出していたのかもしれない。それとも何かしらゾンビを集める匂いとかか?ここからだと真下は見えない。
ショッピングモールの外壁や館内にどれだけ入り込んでいるか想像もつかない。
「なんでこんなトラップみたいなのがてんこ盛りなんだよっ!」
見える限りだとそこかしこからゾンビが集まってきていて神奈川中のゾンビを集めているんじゃないかと思うほどだ。
――この大量のゾンビの中を逃げることができるのか?
――いや、全滅させたほうがいい。俺ならやれるはずだ
二つの思考がぐるぐると頭の中で回っていく。音緒さんはどうする?
――見捨てたほうが効率がいい
――いや、彼女はタイプ持ちだ、これから力になる
まとまらない思考に時間だけが過ぎていく。早く動かなければいけないのに集まっているゾンビを見ているだけで身体が動かない。
そうしてただただゾンビを見つめていると屋上に上がってくる通路からゾンビの姿が見え始める。
完全に時間を無駄にした。もう籠城自体できそうにない。
「くそがっ!」
アイテムボックスから極黒を取り出すと周囲のフェンスや壁を切り裂き崩して即席のバリケードを作り上げる。
これでここから上がってくるゾンビは少しは足止めできる。
すぐに身を翻し、音緒さんを探すが、エスカレーターを崩しているのか姿が見えない。
「音緒さんっ!」
走りながら一つ一つ塔屋を回っていると一番端の塔屋から出てくるのが見える。
「緊急事態だ!ゾンビの大群が迫ってくるっ!てかもう囲まれてるっ!」
俺の声にびっくりしたように音緒さんは振り向いて、意味を理解したのか顔を青くする。
「ど、どういうことですかっ?」
音緒さんの元にたどり着くと簡単に説明する。
「ゾンビにショッピングモールが囲まれている。多分、肉繭の破裂音でゾンビを引き寄せる音波か何かが出ていたっぽい。すぐに屋上にもゾンビが上がってくる」
「どうしたら……どうしたらいいんですか!?逃げなきゃ!?」
少し取り乱したように音緒さんが狼狽えている。それを見た俺は少し冷静になる。頭からスッと熱が抜けるように気分が落ち着く。俺も少し焦っていたみたいだ。
出入り口はゾンビに塞がれている。すぐに屋上にも車道やエスカレーターから上がってくるだろう。館内は既にゾンビで溢れていると思って間違いない。
「落ち着いて。ここで戦うのもありだけど、この多さはじり貧になる。ここから脱出しよう」
「そんなことできるんですか!?中にも車道にもゾンビが溢れているんですよ」
俺だけなら切り抜けようと思えばどうにでもなるかもしれないが、たぶん音緒さんは途中で脱落してしまうだろう。彼女に死なれてしまうのは……ダメな気がするんだ。
――一人の方が楽
そう頭の中で考えてしまう自分がいることは否定しない。ただそれは何か違うような気がするんだ。
「たぶん大丈夫。やりようはある。ギリギリまでゾンビを引きつけよう」
音緒さんの手を引くと俺は屋上を確認しながら周っていく。そうこうしているうちに破壊していないエスカレーターや車道から少しづつゾンビが屋上に出てくる。
上がってきたゾンビをスナイパーライフル・黒葬で貫きながら一番いい場所を探す。
「ほ、本当に大丈夫なんですか?どんどんゾンビの数が増えています……」
一匹のゾンビをハンドガンで撃ちぬきながら不安そうな表情で音緒さんが聞いてくるが、たぶん大丈夫としか言えないので「大丈夫」と俺は繰り返す。
「ここだ」
ここは屋上の真ん中あたり、そこだけ不自然にフェンスがぐにゃりと曲がって外に飛び出している。そこから下を見るとゾンビは相変わらず集まってきているが集まってくる数もだんだん減ってきている。ほとんどのゾンビが館内や屋上に上がる通路を登っているのだろう。
「ちょっとこれを預かっててね」
俺はそう言うとアイテムボックスからHP回復薬を取りだし音緒さんに渡す。
「これは、どうするんですか?」
不思議そうに俺から渡されたHP回復薬を見ている音緒さんを何も言わずに抱き上げる。所謂お姫様抱っこだ。
「えっ……?」
混乱したように身を竦ませる音緒さんに一言だけ注意する。
「舌を噛まないように口は閉じててね」
一度だけ見たことがある。
館内や車道を通らずに下の駐車場まで降りる方法。
斑鳩くんがやった方法。
俺は音緒さんを抱きかかえたまま、ゾンビが犇めく駐車場に飛び降りた。