第4話
俺は一度教室に戻るとジャケットを脱ぐ。ワイシャツの上から潜伏マントを羽織って準備終了だ。
昼間のうちはポカポカして暖かいのでジャケットの上に潜伏マントを羽織ると暑いのだ。
まだ昼過ぎなので今から向かえば行って帰ってこれるだけの時間はあるだろう。着替えたときに教室の出入り口から声がかかる。
「大和さん、どこかお出かけですか?」
振り返ってみると愛理さんが不安そうな顔をして立っていた。さっきの【幽有斗飛悪】の騒ぎで不安になっているのだろうか?
「ああ、ちょっと気になることがあって。今日中には帰ってこれると思うけど」
「そうですか……無理はしないでくださいね」
俺は頷くと愛理さんと一緒に教室を出る。見送ってくれるのだろうか。
校庭に出たところで、体育館の横にある倉庫から肉森くん達が出てくるのが見える。あそこに【幽有斗飛悪】を隔離しているのだろう。
「じゃあ行ってくる。大丈夫だと思うけど、気をつけて」
「やっぱり……私もついて行こうかな」
不安があるのだろう、そう言って俺を見てくる。
「ついてきてくれるのはありがたいけど……今はご両親の側にいた方がいい。すぐ帰ってくる」
お母さんが元気になってきたばかりだから、あまり心配はさせない方がいいと思う。
不安そうにしている愛理さんの頭をそっと撫でると、恥ずかしそうにしながら頷いてくれた。
愛理さんと門の前で別れると、閂を外して外に出る。道は東へ真っ直ぐだ。
俺は大通りを進んでいく。ゾンビがかなり少なくなっているのかほとんど出会うことはない。この調子でいけば東京からゾンビを駆逐する事もできるんじゃないだろうか?
ただ発生源がわからない。何処から出てきたのかが不明なのだ。ラノベ好きな鈴木くんの考察では〝領域結界〟内から湧いているんじゃないかと言っているがそれも不確かだ。誰も感染以外のゾンビが発生する瞬間を見たことがない。
俺は三体目のゾンビを背後から刺して倒すと、念のため放置車両の陰に隠れる。
「一人で動き回るのは久々だな」
最近は何だかんだ誰かしらと一緒に行動することが多かった。特に元紅葉コミュニティの学生達に無理矢理物資補充に連れて行かれることもあったし。
王居攻略で多少の信頼関係が築けたと思うと感慨深いものがある。
まあ、仕事もせず惰眠を貪っているダメなおっさんを矯正しようと頑張っているのかもしれないが、だが雰囲気的にそんな感じじゃないんだよな。
コミュニティ同士が合流したといってもやはり溝は多少あるから、気軽に話せる大人がまだ彼らには必要なのかもしれない。
そんな事を考えつつ通りを歩いていくと、アスファルトから突き出した一本の巨木が見えてきた。青々と葉を繁らせ胴回りは5、6人が手を繋いでやっとというような、何処かで御神木にでもなっていそうな巨木だ。
「こいつのせいで優里亜さんに疑われるし」
探索班が調べたところ何の変哲もない木であると報告が上がっている。ただ、日本にはなかった木で夜は調べていないので今は何もしないようにと通達されている。
この木を通り過ぎると……あった。俺の元職場で、ビル自体は完全に崩れて瓦礫の山だが、地下に降りる階段は残っている。
今更ながらビルの倒壊の向きがちょっとズレていたら生き埋めだったな。まあ地下に閉じ込められていたから変わらないけど。
周りのビルも崩れている事で懐かしさを感じることもなく俺は階段を降りていった。
流石に地下はちょっと懐かしい。倒れている自動販売機、何とか原型を保っているベンチ。そして少し埋まっている倉庫のドア。
「設定集は……ないか」
念のため外に落ちている何かしらの棒とコンクリートの破片を持ってきて、梃子の原理で倒れている自販機を少し持ち上げて下を覗いてみるが、そこにもない。
誰かが持って行ったのか、どう考えても怪しい物だったから綺麗さっぱり世界の崩壊とともに溶けるように消えさるなどもありえる。
「せっかく来たし、もう少し調べてみよう」
俺は倉庫のドアを見ながら呟く。
ドアが少し埋まって開かなくなっている。重量がドアにかかっているからこのまま破壊したりしたら地下のバランスが崩れて生き埋めなんて事になりかねない。
「幻想拡張」
俺はドアに軽く手を添えてスキルを使う。
ドアの強度を限界まで引き上げ、ギリギリでいい……人が通れるような穴を開ける。
ほんの数秒でドアの真ん中に人が潜れるような穴が空く。使い慣れてきたのか、幻想拡張を使っての強化、拡張のスピードが早くなっている。
緊張しながら穴を覗いてみるが、中はあの時と変わらない。崩れた棚、散らばっている段ボールや物品。ただ、少し埃が積もっているように見える。
一度は閉じ込められた倉庫、一ヶ月寝ていた場所、弾かれるようにワープ——今だと転移——と言った方がいいのか、それで追い出されるように締め出された場所。
警戒しながら穴をくぐり抜け、神経を研ぎ澄まし、何かに備える。体感で一分ほど構えていたが、何も変化は起こらない。
「杞憂か?いや、まだ穴がある」
俺の視線の先には、ぽっかりと壁が崩れ【領域結界】が置いてあった穴がある。
コアのデジタル表示は幻想世界スタートまでのカウントダウン、あの時コアを放置していれば、何が起こったのか。
王居みたいになっていたのかと思うと怖くなる。
俺はゆっくりと穴に近づいていく。窓からの光が届きにくい端の方だが穴の中までハッキリ見える。もう【領域結界】はここにはない。
あれを破壊した事で、ただの倉庫に戻ったんだろう。
何もない事にほっとして緊張が途切れる。
「無駄足だった……いや、気になる事が一つなくなったと考えた方がいいか」
俺は踵を返しドアに向かうとガサリと足元で何かを踏んだ音がする。下を見るとそこにあった。
——〝設定集〟と書かれた紙の束が
「……っ!?」
その瞬間身体中に鳥肌が立ち、叫び声を上げそうになる。
さっきまでは足元に何もなかったっ!
倉庫内に響き渡るんじゃないかと思うほど心臓がバクバク音を立てる。
——何かいる!
一瞬で弛緩していた神経が最大限の警戒まで跳ね上がる。反射的に短剣を出して身構えている事に気がつく。
だが、わからない……。俺の感覚には何も引っかからない。
倉庫だ。俺の目にはただの荒れ果てた倉庫にしか映らない。
どれだけの時間そうしていたかわからないが、何も起こらない。俺はゆっくりと構えを解くと、下に落ちている紙の束を拾う。
床には埃が薄らと積もっているのにこの紙だけはそれがない。確実に誰かが、何かがこれを置いて行った。
倉庫内の埃の上には俺の足跡しかない。
一分一秒でもここにいたくない俺はすぐに扉の穴から飛び出す。
「幻想拡張っ!」
叫ぶように扉に手をつきスキルを使う。だが扉の穴が塞がらない。焦った俺は全力で塞ごうとするが塞がらない。
少しの間そんな事をしていてふと気がつく。一度強化、拡張したものには二度使えないのを忘れていた事を。
「はぁ……はぁ……落ち着け、落ち着け、俺」
少し深呼吸して息を整えるとすぐに地下を飛び出した。そのまま俺は隠れる事をやめ、全力で一心不乱に走り出す。
全てのゾンビを無視して全力で走る、何かに追われているような錯覚が俺の身体を休ませようとしない。
気がつくと拠点にしている学校についていた。後ろを振り返るがゾンビも何もついてきていない。
少し安心して門をよじ登って敷地内に入る。門を開けてくれるのを待ってなんかいられなかった。
息を切らせて帰ってきた俺を迎えたのは、不可解な知らせだった。
「【幽有斗飛悪】の五人が亡くなった」