第3話
アナウンスがあった途端に軽いめまいに襲われる。エレベーターが動きだした時にふわっとする感じに似たものだ。
それが収まった時に俺が立っていたのは職場の地下通路、倒れた自動販売機の近くだった。どう言う原理なのかわからないが俺は倉庫から脱出したらしい……というよりは退出させられたといったところか。
「わけがわからないことが立て続けに起きている……ステータスや幻想世界、そして今のワープとでも言ったところか……」
幻想世界スタート……のアナウンスは気になるところではあるけれど、俺自身、もしくは世界に何かが起こっているというのは理解した。
わけがわからず混乱しっぱなしで不安と焦りはあるが、ちょっと楽しくなってきている俺がいる。たぶんこれからはもっといろいろなことができるようになるのだろう。多少の知識さえあれば物を変化させる力を手に入れたのだから。
とりあえずは大量の札束やお金になる貴金属などを作ってみよう、なんて思いながら崩れかかっている地下通路を出ると、会社になっている雑居ビルは完全に倒れていてコンクリートの破片として山になっている。
――大震災――という言葉が浮かんでくる光景に茫然とたたずむしかない俺の目に、さらに入ってきたのはビルが倒れ、傾き、コンクリートが散らばっている世紀末という光景そのものだった。
さらには道路の真ん中にアスファルトを突き破って生えている木、何かを引きずった、潰したような赤黒いシミがそこら中にある。
茫然見ていた俺は赤黒いシミを見て瞬時に意識を戻す。
これは思っていたようなお気楽な状況じゃない、幻想世界を生き抜くための強さが必要になると瞬時に理解する。
このままここにいるのは何故か不味い気がする……。
ただの大震災じゃない、ゲームの世界に入ったような物事がこれから世界中で起こる、いや、俺が地下にいる間にすでに起こっているんじゃないのか?
周りを見渡すが誰もいない。
普段は昼夜関わらず誰かしらが歩いているような場所なのに人の気配が全くしないのだ。静かすぎる。耳をすませてみるが車のエンジン音、救急車や警察のサイレンなどが一切しない。ビルが崩れるほどの災害なのにどこからも煙が出ていないのは何故だ?
こんな一時間やそこらの短い時間にそんなことがあるのか?全員避難が終わっている?
いや、おかしい。
「考えるよりまずは避難が先か?だけど何処に避難すればいいか……」
歩き出そうとするが、頭の中に剣と魔法のファンタジーという言葉がぐるぐる回る。
何か武器を持っていた方がいい。いつもだったら馬鹿らしいと考えもしない思考に苦笑する。
仕方ないのでむき出しになって転がっているちょうどいい感じの鉄筋を武器に見立てる。
「鉄の剣……じゃなくて鉄の棒だな。檜の棒よりはマシか」
これに【幻想拡張】を使って剣にできないかと考えるが、今までの常識が邪魔をしてそのままにした。
鉄の剣なんて持って歩いてたら確実に通報されて、弁解の余地なく銃刀法違反で逮捕だ。鉄筋持って歩いているだけで既にドン引きレベルで通報対象確定なのだから。
「確か、行ったことはないけどこのまま道沿いに行くと学校と公民館みたいのがあったはず。まずはそこに向かってみるか」
震災などの避難映像をテレビで見たことがあるが大抵は学校の体育館に避難していたはずだ。そこに行けば誰かいるだろう。
人を見つけたら鉄の棒を捨てれば問題ない。
アスファルトがめくれていたりビルの破片が転がっていたりして歩きにくいが、この荒廃した世界を見ていると世紀末という感じがして気分が高揚しドキドキしてくる。
明日からの仕事がどうなるか、食事はとれるのかなど不安要素はあるけれど、日々のストレスから解放されたような気分になる。
ファンタジーとしか言いようのない頭に響いてくるアナウンス、なぜか使うことのできるスキル、誰もいない荒廃した世界、まさにゲームのオープニングを見ているような非日常の世界に不謹慎だと叩かれるだろうが一時の自由と解放感に足が軽くなる。
「これがゲームだったら、ちょっと歩くとチュートリアル的な強制戦闘でゴブリン……いや、ファンタジーといっても現実的にゾンビか世紀末的なモヒカンあたりが出てくるんだろうな」
ふと、近くのビルの陰で何か動いたような気配がしてそっちを見る。
世紀末ファッションの人達が出てくる!なんてアホらしい想像をしながら誰かいればいいなと思ってビルに近づいていく。
ただ何となく嫌な感じがしてすぐに出ていくのではなく、そっとビルの陰から覗き込む。
「へっ……!?」
その人型を見た瞬間に思わず変な声を出してしまった。そこにいたのはまさしく〝ゾンビ〟。上半身は服を着ておらず、下半身はスラックス。スーツを着たおっさんが上半身脱いだだけの姿だ。
ただ〝ゾンビ〟だと思った理由は、見える肌が紫色に変色していて、致命傷だと思われる脇腹が抉れて内臓が飛び出して引きずっていることだ。
あれは何だ?災害時にあんなアホな姿で出歩くような変質者に会ってしまったのか?それともショックで頭がおかしくなったとか、打ち所が悪く正気を失っている?
そんなどこから見てもゾンビとしか思えない上半身裸の人型がいた。
俺が不用意に出してしまった変な声にゾンビが反応して俺の方を振り向き目が合う。ゾンビの目は白く濁っていて死んだ魚の目のようだった。
その瞬間に俺は理解する。これは頭のおかしくなった人や不謹慎なアホじゃない……本物の〝ゾンビ〟であると。
ぞっとするように背筋に悪寒が走り、ここから逃げなければと頭の中に警鐘がなる。
今までお気楽な気分で歩いていた日本という安全な国で暴力とは無縁な生活をしてきた自分自身をぶん殴りたい衝動に駆られる。
何かがおかしいってずっと感じていた。
危機感があった。
ファンタジーだって思ってた。
鉄の棒だって持っているだろう。
――全部、思っていただけだった――
リアルな〝ゾンビ〟の気持ち悪さに吐き気が迫り上がってくるのを必死で耐え、この場から離れようと後ずさる。ゾンビはこっちを見てはいるが突然の遭遇だったためかふらふらしてはいるがまだ動かない。距離は五メートルほど。
バキッ
静かな空間に音が響く。心臓が止まるかと思うほどに俺の身体はビクリと震え、ゆっくりと下を見るとガラスの破片を俺が踏んでいた。
「あ゛ぁ〜……あぁ〜」
ゾンビが汚い声を発した瞬間に踵を返して俺は走り出した。何年も全力で走ったことなんてなかったのに。
それでも足元の破片が邪魔をしてスピードが出ない。頭の一部では転べば致命的な事は理解していて破片を避けていく。
恐怖と焦りで思考は纏まらない。ゾンビから逃げる、その一点のみが思考を支配する。
叫び出したいほどの恐怖が迫り上がってくるが必死で堪えて足を動かす。
後ろを振り向くとゾンビは遅いのか多少距離は稼げたが、俺を追ってくる。
近くの角を曲がり路地裏に逃げ込むと、遠く目線の先にはふらふら歩く人影が見える。
まだこっちには気がついていないがあれもゾンビであると理解する。
挟まれた……なんで考えつかなかったのか、ゾンビは複数存在する!
心臓が周りに響くかのように鼓動する。絶望と恐怖で足が動かなくなる。
無理して走った影響か足が攣りそうになっているのがわかった。
「ぜぇ……ぜぇ……」
息も絶え絶えで必死に考える。
考えようとしても頭が働かず疲労と恐怖、極度の緊張でふらふらする。
もうすぐ追ってきたゾンビが曲がってくる、逃げ場は?
必死に周りを見ると一軒の寂れた本屋が目に入る。
俺はそこに飛び込んだ。