わたしだけのあなた
最近、友人の様子がおかしい。
彼女は普段から明るく、同性の私から見ても美人だと思う笑顔が魅力的な女性だ。
そんな彼女がここ数日、どう見ても元気がないので心配をしていた。
明らかに何か悩みがあるように見えるが、何かあったのかと聞いてもはぐらかされてしまう。
彼女とは小学生の頃からの友人で、中学はもとより高校、大学と同じ進路を辿り、今ではバイト先まで一緒になるほど仲がいい。
そんな彼女が頑なに否定するほどだ、私に心配させたくないのだろう。
残念だがそっとしておくしかない、と思っていたある日、バイトの休憩中に彼女の方から「帰り、少し話せない?」と声を掛けられた。
恐らく彼女の笑顔を曇らす何かについてだろう。
幸いこの日は二人とも同じ退勤時間だったが、あいにく私の方が少し遅くなりそうだったので、職場近くの喫茶店で待ち合わせをすることとなった。
そこは見た目は古くメニューも少ない、いわゆる純喫茶なのだが、私達はここのプリンがとても気に入っていて、二人して毎週のように食べに来るほどお気に入りだった。
カウンターにはいかにもな容貌の白髪混じりの男性が立っており、その彼が淹れるこだわりのコーヒーが美味いと評判らしい。
サラリーマン風の男性客がメインだが、たまに若い客もいるのでそれなりの人気店なのだろう。
残念ながら女性客は少なくかつ年齢層が高めなこともあり、比較的若い客である私達はすでに顔を覚えられている。
今日も店に入り彼女を探してキョロキョロしていると、すぐに「奥の窓際にいらっしゃいますよ」と声を掛けてくれた。
軽くお辞儀をして礼を言うと、スマホを見ながら時間を潰している彼女の向かいの席に座る。
「ごめん、お待たせ〜」
座ると同時にそう言うと、彼女の席の水に手を伸ばし「もらうね」と言って、返事を待つより先に口をつけた。
手に持ったスマホをソファに置き、私が水を飲み切ってしまうのを見届けると「すみません」と言いながらマスターに見えるよう軽く手を上げた。
彼女はこちらを見ながら、少しだけ申し訳なさそうな顔をしてみせる。
「ううん、こっちこそ急にごめんね。あ、私プリンとホットのブレンドコーヒーで。みっちゃんは?」
「あ、私も同じでお願いします」
マスターは注文を聞きながら、私が飲み干したコップに水を注ぎ彼女の方に戻すと、新しく水の入ったコップを「どうぞ」と私の前に置いた。
「ごめん、シフトの事でちょっと時間かかっちゃった。サトミはもうシフト出した?」
「あー、来月5連休だもんね、私は昨日出したから平気〜連休は少なめにしといた」
「そうなんだ、私も少なめ〜」
とりとめもない話をしている間にコーヒーとプリンが運ばれてくる。
正直コーヒーの味は良く分からないが、まずいと感じたことはないのできっと美味しいのだろう。
しっかり固めな昔ながらの手作りプリンの上に、生クリームが少しと、さらにその上にはサクランボが乗っている。
彼女が話し出すのを待ちながら、温かいコーヒーをすすった。
「あのさ、相談があるんだけどね……」
言いにくそうに切り出すと、もぞもぞとバッグの中をまさぐっている。
なに?と先を促すと、苦い顔をしながら数枚の紙を机に置いた。
「自意識過剰だと思うかもしれないけど、もしかしたら、ストーカーされてるかもしれないんだよね……」
思いがけない告白に一瞬面食らってしまう。
彼女が言うことだから、恐らく真面目な話だろう。しかしストーカーという言葉に現実感がなく、スムーズには頭に入ってこなかった。
10数秒は黙ったままだっただろうか、やっと言葉の意味を理解して、彼女の手元の紙を見ながら質問した。
「え、ストーカーって……誰かにつけられてるって事?」
紙のことが気になっていたが、口から出た言葉は、ドラマなんかで見聞きするストーカーを想像していた。
「あー、そういうんじゃないんだけど……」
そう言いながら私が見つめていることに気付いたのか、紙をそっと広げて私の方に渡してきた。
「見ていいの?」
そう聞くと、サトミはゆっくり頷いた。
それを確認して手渡された紙を開いてみる。
どうやらそれは手紙のようで、印字された文字が綺麗に並んでいた。
『今日もバイトお疲れ様、昨日着ていたストライプのワンピースは似合ってなかったな、いつもの花柄のワンピースを着たほうがいいよ』など、明らかに彼女を認識して、どこかからか見ているような口ぶりの内容だった。
「なにこれ……気持ち悪い……」
何枚かあるどれを見ても、彼女の一日を把握している内容ばかりで気味が悪い。
いつからこんなものを受け取っていたのか知らないが、確かにこれはストーカーと言って間違いないだろう。
今までもしつこく言い寄ってくる男性は見てきたが、さすがにこれは初めての事だった。
「警察には相談した?」
一通り目を通して訊ねたが、彼女は力なく首を横に振った。
「ううん、まだ誰にも……親にも言ってないし……話すのはみっちゃんが初めて……」
もう一度手紙に目を落とす。彼女の事以外は書かれていない。
例えば一緒に暮らす彼女の両親の事や、よく一緒にいる私の事なんかには一切触れられていないのだ。
彼女以外には興味がないとでも言いたげで、徹底した執着心を感じゾッとする。
「ねえ、みっちゃん……これ、誰にも言わないでね……?」
ふむ……と考え、小さく頷き手紙を返した。
いつも明るく悩みなんてなさそうに見える彼女だが、美人には美人なりの苦労があるということか、特に同性からあまりよく思われない時期もあった。
今でこそそんな事もなくなったが、ストーカー話なんかが表立ってしまうとまた影で何を言われるか分かったもんじゃない。
もとから私にベッタリな子ではあったが、恐らくそういった女性からの目線にも敏感なのだろう、彼女から好きな男性だとか恋人が出来たとかいう浮いた話は聞いたことがない。
彼女の事が好きだから仲介してほしい、なんて頼みも今までに何度かあったが、こういう類いは彼女が一番嫌うので受けた試しもない。
そういう背景を思えば、こうした手段に出る男性がいてもおかしくないような気もする。
だからといって正当化されるような話では全くもってないのだが。
「これって家に届くの?それとも学校で?」
恐らく答えは分かっていたが、念のために聞いておかねばと思った。
「家のポストに入ってた……いつもバイト帰りに、ポストに半分だけ入ってるのが見えるの……まだ家族は気付いてないと思う」
やはり自宅か。しかも状況から見て、犯人はわざと彼女のバイト帰りに合わせて投函しているように思える。
半分だけ入れているのは、確実に彼女に見付けて欲しいからだろう。
周到だな、と思う。
それにバイトの時間まで把握されていては、いつ待ち伏せにあってもおかしくはない。
想像以上に危険なのではないだろうか。
やはり個人的にはしかるべき機関に相談してほしい。
「せめて警察に事情を話して、見回りの強化だけでもしてもらったら?もし待ち伏せされたら、それこそ何されるか分からないんだよ?」
でも……と言い淀む彼女の言葉を制して、畳み掛けるように言葉を続けた。
「サトミが周りの目を気にしてるのも分かるし、ご両親に心配掛けたくない気持ちも分かってる。でもサトミの身に何かあってからじゃ遅すぎるの……もしものことがあったら、私……一生後悔しちゃうよ……」
言いながら感情が高ぶってしまい、ツーっと涙が流れ落ちるのを感じた。
彼女にもしもの事があったら、そんなの考えたくもない。
私だって決してモテないわけじゃなかったし、好きな男性の一人や二人は過去にもいた。
それがいつからだろう、異性に対する熱情よりも、彼女と一緒にいたいという気持ちのほうが強くなっている自分に気付いたのは。
異常な感情だと理解しているつもりだから、誰にも話さないしましてや本人に言えるわけもない。
だったらせめて一番の友人として、彼女の幸せを見守りたいと思っているだけなのに、こんな事になるなんて。
流れる涙を押さえながらゆっくりと呼吸を整える私に、彼女がソっとハンカチを差し出した。
「ごめんね、みっちゃんを悲しませるつもりなんかじゃなかったの……」
彼女の綺麗な顔が悲しく歪む様を見ていられず、慌てて受け取ったハンカチで涙を拭くと、すぐにその手に返し笑顔を繕ってみせた。
「やだ、なんかごめんね。でも、私が泣くほどなんだから……ほんとにちゃんと警察に相談してくれない?一人で行くのが嫌なら、私も一緒に行くからさ、ね?」
必死に訴え続けた甲斐あって、私がついて行く事を条件にではあるが、やっとの事で警察への相談を了承してくれた。
ひとまず話の折り合いがついたところで、改めて二人ゆっくりとプリンを味わう。
美味しそうにプリンを頬張る彼女の顔を見ているうちに、涙は乾き気持ちも落ち着いていた。
高校生の頃から通いすっかり食べ慣れたこの味も、私にとっては彼女との大切な思い出の一つだ。
お互い何かあるたびにここへ来ていつもこうしてプリンを食べてきたが、コーヒーの味には未だに慣れない。
別に嫌いなわけじゃないが、特別好きなわけでもないのに毎回頼んでしまうのは、さすがに大学生にもなって水とプリン一つで長居するのに気後れするからだ。
同じようにここではコーヒーを頼む彼女だが、一番好きなのはたっぷり濃い目のミルクティーであるのを私は知っている。
大学のカフェテラスではいつもミルクティーを頼んでいるし、たまに二人で出掛けても無意識に紅茶のメニューが書かれた店を選んでしまう。
私は元々紅茶はストレートで飲む方だったが、彼女の嗜好に合わせてミルクティーを飲むうち、すっかりその飲み方が好きになってしまっていた。
残念ながらこの喫茶店の紅茶は、値段が高いわりにスーパーで売っているお得用のティーバッグを薄めたような味がするので、仕方なくこうして一番安いブレンドコーヒーを頼んでいるというわけだが。
「今日、家まで送っていくね。ついでに地元の警察に寄って行こ?」
彼女は頷いて、砂糖とミルクがたっぷり入ったコーヒーを、苦い顔をしながら飲み干した。
私達がバイトをしているのはお互いの家からほど近く、自転車で20分程度の場所にあるファミレスだ。
大学の合格発表後すぐに私が働き始め、それを知ったサトミがあとに続く形で面接に来た。
ちょうど人員不足だったこともあり、無事に二人とも同じ場所で働くことが出来たというわけだ。
高校を決める時も大学を決める時も、いつだって彼女は私と同じ学校を選びたがったし、バイトの話をすれば絶対に自分も一緒に働きたいと言い出すに決まっていた。
彼女は何でも私と一緒になる事を望んだし、そういう性格を分かっていてそれとなく話したのだから、私としても意地が悪い。
ファミレスから歩いて5分の場所には最寄りの駅があり、学校帰りでも仕事に向かいやすく、かつ自宅からも近いというのが利点だ。
休講日にわざわざ電車に乗ってバイトに向かう友人の話を聞くだに、この職場に決めて良かったとしみじみ思う。
交番に着き彼女が手紙を見せながら警官に事情を説明をするその横で、言葉足らずな部分を私が補った。
警官の言うところによると、実害が『正体の分からない人物からの気味悪い手紙』だけでは警察としても対処のしようがなく、ただ念のため近所のパトロールは強化しておきますとだけ言われて交番をあとにした。
おおかた予想通りではあったが、やはり頼りなさを感じずにはいられない。
彼女を家まで送り届け、この日は手紙が届いていないのを確認すると、一人で近所を見て回ることにした。
中学生の頃はよく遊びに来たが、最近は家まで来ることもなかったので懐かしささえ感じるが、この辺りに彼女を付け狙うストーカーがいるのかと思うと、煮えたぎるものがフツフツと湧いてくる。
自宅周辺に特に怪しい人影がいないことを確認して帰宅すると、スマホを手に取り彼女にメールを打つ。
『今度から、バイト帰りは私が家まで送るよ。とりあえず明日も一緒に帰ろう』
悩みつつも送信ボタンを押し返事を待った。
明日は休みだが構わない、彼女の退勤に合わせて迎えに行こうと思っていた。
こんな事を言うのはかえって迷惑だろうかとそればかりが気がかりで仕方なかったが、断られれば素直に引き下がるつもりだった。
スマホが震え、彼女からの返事を確認する。
『え、でも明日みっちゃん休みでしょ?迎えに来てくれるってこと?』
この言い方からすると、迷惑だとは思ってないのだろう。
私が休みの日はなるべく迎えに行きたいし、彼女の方が帰りが遅い日は出来るだけ待っていたいと正直に自分の気持ちを伝えてみたところ、遠慮しつつではあったが素直に申し出を受け入れてくれた。
単なる友人としては異常な申し出だと思うが、それでもこうして素直に受け入れるほどに彼女も不安に思っているのだろう。
正直ストーカーの事は許せないが、彼女と一緒にいる時間が少しでも長くなるのは願ったり叶ったりだ。
せめて今夜ぐらいは、明日からの帰宅に恐怖せず、安心して眠ってほしいと願ってやまない。
こうして翌日から彼女を家まで送る日々が続いた。
毎日のように私が彼女の周りをうろついているからか、今のところ新しい手紙が投函されるようなことはなかった。
3ヶ月が経ち、やがて手紙が投函されなくなったこともあり、さすがにそろそろ迎えに行くのを辞めようかと打診した事もあるが、彼女の強い反対にあい今でも変わらず続けている。
私が彼女を守る形で独占しているせいもあるが、被害がなくなったにも関わらず彼女の甘えっぷりは日に日に拍車がかかってきているような気がしていた。
今では休みの日もマメに連絡を取り合い、さながら恋人気分を味わうほどには安心した日々を送れているのに、彼女は一向に私から離れようとしないどころかさらに距離が縮まってきた気がする。
ついには彼女から「お金を貯めてルームシェアしよう」という誘いまで受けてしまったほどだ。
お互いいつかは実家を出たいと思っているが、それなら一緒に住んだほうがストーカーの心配も減るし金銭面でも余裕が出る、というのが彼女の言い分だが、流石にこれ以上そばにいる時間が増えるのは私の精神衛生上よろしくない。
今まで『友人という枠組みには収まりきらない気持ち』という程度だった彼女への感情が、ストーカー事件をきっかけに今でははっきり『好き』と認識してしまったのだ。
彼女の純粋な好意を裏切るようなことは出来ない。
なのでもちろん断ったのだが、先日ついに恐れていたことが起こった。
また手紙が届いたというのだ。
最近めっきり油断していたとはいえ、一体いつの間に投函されたのか。
泣きそうな顔で差し出されたあの忌々しい印字のなされた紙切れを見て、やはり彼女の言うとおりもっと側で守るべきかと、離れる決意が揺らいでしまう。
「みっちゃんは、私がストーカーに狙われ続けても平気なの……?」
この言葉が決定打だった。でも……
「あのさ、サトミ……最近変な噂されてるの、知ってる?」
ストーカーの一件があってからいつも以上に一緒にいる私たち、特に彼女について、嫌な噂を耳にしていた。
「サトミが彼氏を作らないのは、その……女が好きだからだって……いや、ほんとにただの噂なんだけどね。でも、多分それ私のせいだと思うんだ。私が側にいすぎるから……」
ちなみにその噂によると、彼女のお相手は私ということになっている。
つまり私自身も同性愛者だと噂されているのだが、私よりも彼女のほうが噂の標的にされやすいのだ。
私が彼女と少しでも距離を置くべきだと思うのはもちろん自分のためでもあるが、どちらかというとこの噂話から彼女を守りたい気持ちのほうが強かった。
私の身勝手な想いのせいで彼女をこれ以上犠牲にしたくないのだ。
「ああ、その噂か〜知ってるよ?だってすごい有名だもんね〜」
意外なほどにあっけらかんとしてそう言い放ち、驚く私を尻目に「言わせておけばいいじゃない」と彼女は笑った。
普段ならどんな些細な噂であれ目立つようなことを嫌う彼女にしては珍しい反応に戸惑ったが、噂が広まっているほうが言い寄る男も減ってストーカーだってそのうち諦めるはずだ、と考えてのことらしい。
たしかに……と、彼女の意見に同意してしまった。
だが、これではますます私は彼女への気持ちを抑える自信がなくなってしまう。
「私にはみっちゃんがいてくれればそれでいいもの。それともみっちゃんは私と一緒にいたくないの?」
「な……!そんなわけないじゃない!もちろん一緒にいたいと思ってるわ!」
どうしてこうも彼女は絶妙なタイミングで私の気持ちを揺さぶってくるのか。
かくして私は不本意ながらも彼女とのルームシェアに同意する形となり、彼女は満足そうに住宅情報紙をめくる手を再び動かし始めた。
たまに、ふと思うことがある。
ストーカーなんて実はいなくて、全部彼女の筋書き通りだったのではないか。
いつも私と一緒がいいと望んできた彼女が、それはそれは大きな釣り針を仕掛けて、そこへ私がまんまと食い付いたのでは?と。
さすがにこれは私にとって都合が良すぎる話だし、相談を受けたあの日あんなに不安そうな顔をしていた彼女に対しても失礼な話だ。
「どうしたの?みっちゃん」
不意に彼女が私の顔を覗き込んできた。
くりくりした瞳に私の姿が写っている。
「ううん、なんでもないよ。楽しみだね、ルームシェア」
「うん!うちの親も、みっちゃんとなら安心だって言ってくれてるしね~」
「もうサトミったら、まだ私が賛成する前から早速親に話してたの?」
呆れながらそう言うと、彼女はペロッと舌を出してわざとらしく悪びれてみせた。
「でもみっちゃんならきっと賛成してくれるって分かってたもん!……うふふ、大好きよみっちゃん。これからもずーっと一緒だからね」
笑顔でそう言いながら私の腕に抱きついてくる彼女を、これからも一番近くで守っていけることに大きな幸福感を抱きながら、浮き上がろうとする醜くあさましい考えに蓋をして、私は微笑みながら目を細めた。