I got rhythm――3
作業ユニットのお粗末な台座に腰掛けて、俺は後方を見やった。全長六〇メートルの棺桶は、反時計回りに回転を続けながら隣のジェイコブスの船へ接近していた。ヘッドディスプレイの計測ツールは、この回転速度を【43rpm】とはじき出した。
「俺の船が勝手に動いてやがる」
俺は隣で作業ユニットを操縦しているジェイコブスに向かって言った。
「おそらく、自動接続システムが作動したんだろう」
にべもなくジェイコブスは言った。
その時、ジェイコブスの船の影から白い光が差し込んだ。俺は咄嗟に頭部の遮光バイザーを下ろして、光源に目を凝らした。柿色の視界に飛び込んできたのは、いくつものコンテナを連結した廃棄物回収船だった。数珠つなぎになったコンテナをうねらせながら宙を漂うその姿は、まるでウミヘビのようだった。
「嘘だろ、おい…… あんな所にいちゃ船に挟まれちまうぞ!」
ウミヘビは、俺の船とジェイコブスの船の狭間に向かっていた。ジェイコブスが逆噴射をかけて作業ユニットを停止させる。
「あぁ、なんてこった……」
ヘッドセット越しに見えるジェイコブスの顔から、血の気が引いていく。逼迫した状況下で漏れる『イエス様』に勝る皮相的な言葉は『いけてる』くらいのものだろう。人々がこれらの言葉を口にするとき、心は現実からかけ離れた虚空を彷徨っている。
「なにがジーザスだ、忌々しい。船には防護壁があるんだ。非貫通確率九七%って緊急事態手順書に書いてあっただろうが!」
「馬鹿野郎! それは直径一〇センチ以内のデブリの話だ!」
鼓膜を突き破るくらいの大声で、ジェイコブスは叫んだ。
「ってことは、あれだけのデカ物がぶつかると……」
「防護壁はおシャカになって、大気中に無慮数千のデブリがまき散らされる。でもって、軌道制御用のハイパーゴリック推進剤が大量に漏れ出して、船が爆発を起こす。その爆風で大量のデブリが四方八方にばら撒かれる。ここまで言えば分かったか、うすのろ野郎! 俺たちはタイタニック号に乗ったも同然なんだよ!!」
全身が戦慄く。両親の顔が、ジェニーの声が、ハーランドの笑い声が次々と脳裏を掠める。そして、高慢ちきなジーザスの嘲笑う顔が浮かぶ。くそったれ! こんなところで死んでたまるもんか。俺は生き延びて、やるべきことがあるんだ。やるべきこと…… 仕事やポーカーや、映画を観ることじゃなくて、もっと大きな何か。俺が死んだ時に、みんなが思い出すような大きな何か。それにはリズムが必要なんだ。躍動的で瑞々しい、圧倒的なグルーヴを感じるリズムが……
「俺は自力でリズムに乗ってやるからな! あんたの施しが無くても、自分の力で!」
俺はジェイコブスから操縦桿を奪い取ると、スラスター噴射を最大出力にして現空域からの離脱を図った。優位性を奪われたジェイコブスは、驚きと苛立ちの混じった表情を浮かべていた。
「今さら手遅れだ。どれだけ離れたって、爆走したデブリが襲ってくる。あとは神のみぞ知るだ」
「十把一絡げに神頼みとは、ジーザスも気安くなったもんだ、まったく」
俺は、胸の前で十字を切るジェイコブスを睨め付けた。刹那、手首の内側に備え付けられた作業用の小さな鏡に閃光が瞬いた。僅かに手首を返して鏡像の位置を調整すると、二隻の船が衝突し、静かに爆発していた。無音の爆発は、静まりかえった夜の湖にも似た、静謐な殺気に包まれていた。閃光は精密機器の集合体を木っ端みじんに切り刻み、瞬く間に辺り一面は無数のデブリで覆い尽くされた。爆発の衝撃で推進力を得た破片は、弾丸のような勢いで方々へ四散した。
俺は手首の鏡から視線を引っ剥がすと、背後から迫り来る死の気配を感じながら、無我夢中で作業ユニットを走らせた。俺たちの右側を指輪大のデブリが通過した。まるでそれが合図だったかのように、次々とデブリが飛来した。俺たちは一瞬のうちにデブリの嵐に飲み込まれた。デブリの大きさは二メートル級のものから銃弾サイズまで大小様々で、互いに衝突と分離を繰り返しながら増殖していた。隣の台座に腰掛けたジェイコブスは、両手を握って祈りの言葉を唱え続けている。
その時、俺たちの頭上を巨大な破砕片が通過した。おそらく居住モジュールの隔壁と思われるそれは、俺たちの目の前で真っ二つに折れた。反射的に操縦桿を下へ向けて、回避行動を取った。二つに分断された隔壁は、小さなデブリと衝突して微細な破片へと姿を変える。俺は急降下と蛇行を繰り返しながらデブリの中を突き進んだ。ようやくデブリの密集した空域を脱した時、ジェイコブスの祈りが途絶えた。俺は噴射を止めて、ヘルメット越しにジェイコブスの顔を覗き込んだ。ヘッドディスプレイの曲面に豆粒くらいの小さな穴が開き、その奥にある薄褐色の額にも同様の穴があった。
先刻まで血走っていたジェイコブスの眼は焦点を失い、薄い唇は魂を吐き出すかのように僅かに開いていた。あっけなく、唐突に、ジェイコブスは逝った。ハーランドが死んだ時と同じだった。なぜか、涙は出なかった。どうしようもないくらい悲しかったのに、涙は一向に浮かんでこなかった。俺は震える手を抑えながら、EMUと台座を繋ぐ命綱を切り離した。ジェイコブスの亡骸が、星の数ほどあるデブリに混じって流れていく。それはまるで、風に吹かれてアスファルトを転がる新聞紙のような、侘しさに包まれていた。
「おい、イカれポンチのジーザス野郎! 人間が必死にもがく姿をそんなに見たいのか! あんたは臆病者だ。その存在をちらつかせながら、人々がどれだけ凄惨な目に遭っても決して手を差し伸べることはしないんだからな! どうしてハーランドやコブのような、何の罪もない奴らが死ななきゃならないんだ、チクショウ! この世にはもっとクズな輩がごまんといるってのに、あんたはどうして……どうしていつも無辜の人々を選ぶんだ! 俺たち人間も、地球も、この宇宙も、あんたが作ったというのなら、どうして放たらかしておくんだ。たまには慈悲深いところを見せてくれたっていいじゃないか、そうだろ?」
俺は虚空へ向かって叫んだ。ジーザスの野郎がどこにいるか分からないけれど、やつは確実にこの惨状を楽しんでいる――そんな気がした。次第に小さくなっていくジェイコブスの骸が、宙を漂う無数のデブリにぶつかって、ピンボールのように跳ね飛ばされる。シェイクスピアの爺さんが言うように、もしもこの世が舞台であるとして、ジーザスはその演出担当で俺たち人間は役者という駒に過ぎないのだろう。
自らが手がけた封切り初日の舞台を、ボックス席に悠然と座って見物するオペラ座の怪人のように。客席から時折拍手を送ることはあれど、上演の始まった舞台には決して干渉しない――これがあいつの、ジーザスのやり口なんだ。あっけなく死んで舞台から退場した役者は、客席へ座って劇を鑑賞する権利を得る。俺たちはジーザスと死人に見守られながら、残りの劇を懸命に演じる。これがこの不条理な世界のカラクリなんだ。