第08話 「故人の心、子知らず」
親父が死んだので、お袋の世話をするため田舎に帰ってきた。
そのお袋も昨年死んだ。なので、命日は月に二日。
件の尼僧はその日にやってくる。
これは、俺が、その尼僧の読経後の話を書きおこして、採点したものである。
彼女が曰く、
『以前、大阪にいたとき、お世話になっているご住職から、
「葬儀があるから、列衆(※ 葬儀や法要の際、鐘を叩いたり、お経をとなえたりする補佐役のこと)をたのむ」
との依頼がありました。
葬儀そのものは別段変わったことなく無事につとまり、ご住職と私は控室にもどる。
そこで着替えて、あとは帰るだけだったんですが、どうにも控室の外が騒がしい。怒号が聞こえてくるんです。
部屋の外をうかがうと、先ほどまで葬儀の席に座っていた故人の兄弟のかたたちが、故人の息子さんである喪主さんに対して、一方的に、けっこうな剣幕で罵っておられる。
エントランスの中央でやってるもんですから、私もご住職も出るに出られない。その場にいるしかないので、話は嫌が応にも耳に入ってくる。兄弟のかたたちの怒りの原因は、兄弟の席のならびや焼香の順序がおかしい、また訃報の連絡が人づてで入ってきたなど、葬儀にまつわる喪主さんの不手際を攻めるものでした。
甥と叔父ですから。「親族でこんなにも揉めるものかなぁ」なんて思いつつ、遠巻きに見てますと、兄弟のかたが殴りかかりそうになりましたので、ご住職が慌てて止めに入って。坊さんが間にいれば、兄弟のかたは暴力はもちろん、声を荒げるわけにもいかない。矛をおさめるほかないので、とはいえ、そこからまた三十分ほど罵詈雑言を口走っては、ぶつくさやいやい言っておられましたが。結局は「出るとこに出る」だの「被害届を出す」だの、おだやかでないことも吐き捨てて帰っていかれました。
私は終始ばつが悪い顔でつっ立ってただけなんですが、喪主さんとご住職にまで平謝りされて恐縮して、なんだかいつもよりもずっと疲れて帰ったんです。
それで、ずいぶん後になって、
「この間は大変だったね。
喪主さんがあなたにくれぐれもお詫びと説明を、と言っていたよ」
と、ご住職から事情を耳にする機会がありました。
まぁ、かいつまんでいえば、過去にあった遺産相続のせいだということでした。
故人のかたと兄弟がたには父親が残した相当な額の遺産があって、父親が亡くなったときに兄弟間で裁判までやっての遺産争いがおこったそうです。
法律は平等ですから。あたりまえですが、兄弟できちんと等分しなさいとの判決が下されて、実際そうなった。でも、長男が相続すべきだとか、父親の面倒を見てたのはだれだとか、兄弟の妻がけしかけたり、他の親族もからんできたりで、裁判のあとも喧嘩を重ねて、結局は兄弟間のつきあいが断絶してしまったそうです。
「とどのつまり、喪主さんが相続した土地やお金をどうにか手に入れられないだろうか。そんなことだったんだろう」
ご住職が話されるには、
その兄弟たちの父親は戦前、戦中、戦後のとても厳しい時代に、子供たちだけにはお金の苦労をさせたくないとの一心で、必死にお金を貯めていたそうです。
「バブルがあって資産家になった。
しかし、親の心子知らずというが、彼も浮かばれないな」
子のためを思って必死に貯めた金が原因で、肝心の子供たちがこうまでばらばらになってしまうとは夢にも思わなかっただろう」
ご住職はその父親のかたもよく知っておられるわけで、寂しそうな目で語っておられた。
現代社会において、お金はとても大切なものです。
最近でも消費税の増税だとか、子供の貧困だとか、老後には二千万がいるだとか。お金にまつわる不安は時代を問わず、問われることです。
しかし、お金があればあったで不幸を呼びこむこともある。
なにが言いたいかというと、私たちはつい、
「お金があればなにかもうまくいく」
「お金があればなんだってできる」
「お金さえあれば、例外なくしあわせだ」
そんな風に思いがちですが、現実はそうは問屋は卸さない。
大金を所有することとしあわせは直結しない。裏をかえせば、幸福を得るにはかならずしもお金を必要としない。
このことに気づくことが、充実した人生になる第一歩なんだと。このことをお伝えして今日の法話といたします。ご清聴ありがとうございました』
遺産争いや宝くじにあたって身を滅ぼす話は語られ草だし、悪銭身につかずは真理かもな。お金ってやっぱ地道に勤労して、必死の思いで手にいれた五千円だの一万円札だのがお金なんだよ。遺産だのくじだの、ふってわいたお金はお金じゃないね。使いものにならないから。八十三点。