第22話 「納得できる答え」
親父が死んだので、お袋の世話をするため田舎に帰ってきた。
そのお袋も昨年死んだ。なので命日は月に二日。
件の尼僧はその日にやってくる。
これは、俺が、その尼僧の読経後の話を書きおこして採点したものである。
『毎月のご命日でお伺いしてるお宅で、老夫婦ふたりで暮らされてるお家がありました。
お二人の年齢が九十をすぎたころ、お爺さんの認知症が進んできて、足腰も弱くなってしまったため、お婆さんだけでは介護しきれず、東京におられた長男さんを呼び寄せて、親子三人でささえあって生活されていた。
それで、
「父の体調がいよいよ芳しくない。
もしものときはお寺さん、なにとぞお願いします」
と、前もって丁寧にお願いされてたんですが、ついに電話がかかってきて、
「父が亡くなったのでお通夜とお葬式、一連のお勤めをお願いします」
と。
臨終勤行にいって通夜と葬儀の日程を決める。で、お通夜の段になって葬祭場に出向くと、どうにも場が慌ただしい。
斎場の職員さんに、
「なにかあったんですか?」とたずねると、
「それが、通夜をはじめられないかもしれません」
と、表情が芳しくない。
詳しく話を聞くと、なんでも今朝早くにお婆さんが突然たおれられたそうで、病院に救急搬送された。
それで、通夜がはじまる小一時間ほど前、病院から、
「お婆さんが危篤状態です。近親者は集まってください」
との連絡があったそうで、皮肉にも親族はみな一緒にいましたので、みんな病院にいってしまった。斎場の職員さんが長男さんに連絡したそうですが、電話にはでられない。状況が状況だから、しつこく電話するのもどうかと思って手をこまねいていたと。
それで、
「先生(※ 坊さんのことをそう呼ぶことがある)、どうしましょう」
そう言われまして。
参列者は相当数が集ってますけど、喪主も親族もいないようでははじめようがない。
どうしたものかと一緒に困っていたところ、長男さんたち、ちょうど定刻の数分前に慌ただしくもどってこられた。しかし、もどってきたのは当人たちだけではない。最後には、
「お棺も到着しました」
ということで、お婆さんも亡くなってしまった。
長男さんたちが病院に着いたときはもうすでに亡くなられていたそうで、それで、十分ほど遅れてお爺さんの通夜がはじまり、そのあとはお婆さんの臨終勤行、翌日に予定されていたお爺さんのお葬儀は中止。翌日はお婆さんの通夜をおこなって、翌々日におふたり合同の葬儀ということで事はすすんでいった。
長男さんは、とくにお婆さんが急だったことで放心状態、ぼんやりされていて、初七日くらいまでは、
「なんでこんなことになったんだろう
ちょっと前まで三人で暮らしてたのに、ひとりになってしまった」
と、うつろな感じだったのですが、もとはとても根明な人で、
「ため息をついたらしあわせが逃げていくんじゃない。
体の悪いところがでていくんだ」
なんてことばかり言う人だったので、四十九日でお会いしたときにはもう笑顔が見えるほどになっていた。
とはいってもやはり思うところはあるそうで、
「示しあわせて死のうなんて、そんなはずないし、互いに互いの状況は知らなかった。それがおなじ日に逝ってしまった。
これをどうとらえればいいのか。
どんな意味があるのか。
どう納得すればいいのか。
その答えに悩んでます」
夜眠る前や料理してるときなんかにぼんやり考えるそうです。納得できる答えがほしいと、しきりにおっしゃってました。
私はただ話を聞くことしかできなかったんですが、
「納得できたら、答えが見つかったら、さしつかえなければまた話を聞かせてください」
そう伝えたところ、数か月後にわざわざお寺をたずねてこられて、
「お坊さん、こないだ納得できる答えが見つかったら話してくれと言ってたね。覚えてるか?」
そう言われる。
「覚えてます」と答えたところ、「見つけた」という。彼が言うには、
「人間いくつになっても親は親だし、子は子だ。
いくつになっても、子供は親の背中を見て育つものだ。
自分が見た親の背中、最後の親の背中は、夫婦仲睦まじく手をとりあってお浄土にむかう後ろ姿だった。
私事だけど、自分は親の介護のためにこっちに帰ってきたのだけど、理由はそれがすべてじゃない。
妻と子を東京に残してきてる。恥ずかしながら、ここ数年妻との折り合いが非常に悪かった。口を利いては喧嘩ばかりしてた。
それで、今回のことがあって、親の背中を見るべきなんだ。両親は自分たちの最後の人生を使って、自分に「夫婦仲良くやれ」、「いつまでも片意地はってるんじゃないぞ」と、そう言いたかったんじゃないだろうか。そうとらえるべきなのでは、と。
そう思った瞬間、いてもたってもいられなくなって、妻に電話して両親が亡くなったことの始終を話した。そして、残った人生をともに歩いてくれとお願いしたところ、幸運なことに了承をもらうことができた。
だから、私は東京にもどります」
と。別れの挨拶でもあったわけです。
いまはご両親とおなじく、夫婦仲睦まじく生活されていると思いますが、この話においては、六十年、七十年、八十年と人生を歩んでいれば、他人にはそうそう起きないようなことが一度や二度は起きる。
そんな出来事に遭遇したとき、自分はその出来事をどう解釈すればいいのか。どのように納得すればいいのか。ここを深く考えてみることは、まぁ人は十人十色ですから、いろんな答えを見いだすことができるでしょうけど、どんな答えをだしたにしても、納得さえできれば、それはその人の人格をおおきく成長させる。
人によってはその後の人生ががらりと変わることだってありうる。
その出来事に故人がかかわっているのならば、故人が自分の存在をとおして自分を教え諭してくれたんだ、導いてくれたんだと、そういうとらえかたもできます。
今日はそのような人生のとらえかたのお話をしました。
ご清聴ありがとうございました』
個人的に親を主題にした話は心に刺さる。話を聞いて、親の背中を思いだして、いろいろ考えさせられた。どれだけ年をとっても親は親、子は子という考えかたが好きだ。九十一点




