第20話 「足し算、引き算」
親父が死んだので、お袋の世話をするため田舎に帰ってきた。
そのお袋も昨年死んだ。なので命日は月に二日。
件の尼僧はその日にやってくる。
これは、俺が、その尼僧の読経後の話を書きおこして採点したものである。
彼女が曰く、
『先日、法事のあとの会席で、施主さんといろいろ話す機会がありました。
その席には施主さんの息子さん、東京の大学に通っている学生さんなんですけど、法事のために帰ってこられていた。
その彼が言うことには、
「とにかく東京の生活が楽しいんです」と。
東京はこっちとちがってなんでもある。ちょっと街を歩けば、「これは!」と思わせるイベントや行事ごとをやっている。人もとても多いので、ニッチな行事でもたくさんの人が集まる。興行として成立するので、コンサートだの、展覧会だの、後援会だの、即売会だの、式典だの、まぁなんでも興味をひかれるものが星の数ほどあるそうです。
ならいごとも種類があるので、やりたいことはなんでも選んでやってみることができる。そんなことで、毎日やりたいことを存分にやって、それでもやりたいことが尽きないので、終いには、
「こっちじゃできないことばかりなんだ。
お父さん、もうこっちには帰ってこないよ」と、ぴしゃり。
一人息子ですから、施主さんは苦笑いしてました。
それで、宴がすすんで息子さんが席を離れると、施主さんが、
「まだまだ足し算の年齢ですね。若い」と笑っている。
「足し算って、なんですか」
問うと、
「息子の年齢だと、人生でなにをやるか、どんどん足していける。時間が無限にあると思っている。しかし現実はそうじゃない。就職すれば仕事に多くの時間をとられるし、結婚すれば、子供が生まれれば、親の介護が必要になれば、あれだこれだと自分の時間はなくなっていく。息子のいまは私たちどころか祖父母も元気だ。なんの心配もいらない。
当人の体調だってそうだ。
若いうちは思うように体が動くし、回復も早い。じきに時間があっても体力や気力がついてこなくなる。休息の時間が必要になってくる。
息子はこういうことをまだ知らない。
年をとると自分の人生を測るようになる。自分が自由に使える日月と時間を測るようになる。
そうすると、
「こういうことには時間を使うべきではないな」
「ああ、これはもうできないだろう」
と、自分がこれからやっていくことを引いていく。引き算になっていく。
この年になれば東京よりもこの土地のほうが好きですよ。
東京に魅力的なものがあふれているのはたしかだけど、こっちにゃあそれを味わう時間も先立つものもない。魅力的なものを見せられるだけで味わえないなんて、イヤなもんです」
笑ってそう言われて、
「息子の代もよろしくお願い致しますよお寺さん。
まぁそのうち帰ってきますから」と、笑っておられました。
人間には身長があります。
体の身長は十代後半で止まってしまいますが、心の身長は人生がつづく限り、一日一日ずっと伸びていきます。
幾十年かたてば、若いときはちらりとも見えてこなかった景色が見えてきます。どんどん遠くまで見渡せるようになる。途中、父母や祖父母が言っていたことを実感したりもします。それは年をとる醍醐味でもあります。加齢の楽しみです。
人生には年齢に応じた価値観と楽しみがあると、このことをお伝えしてお話といたします。ありがとうございました』
俺そこそこ年食ってるけど、人生ろくに測ってない。法話の趣旨とちがうけど、ちゃんと人生設計しないといかんのじゃないかなんて考えさせられた。引き算も足し算もしてなかった俺。反省します。七十三点。




