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仏噺 ~ほとけばなし~   作者: V$_HBMA,p.nM
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第17話 「なにかあったときの神さま、仏さま」

 親父が死んだので、お袋の世話をするため田舎に帰ってきた。

 そのお袋も昨年死んだ。なので命日は月に二日。

 件の尼僧はその日にやってくる。

 これは、俺が、その尼僧の読経後の話を書きおこして採点したものである。



 彼女が曰く、

『古の武術家、剣術家の達人は修練を積んだ末に、禅だの神がかりだの天衣無縫だのと、宗教家めいたことを言うかたがとても多かったそうです。


 弟子たちは「武術や武道は筋力や技術を培うものだ。宗教とはなんの関係もない」と思うものですから、延々と宗教家じみたことを言われても困ってしまう。しかし、名だたる人の多くがそんなことを口にするものですから、「なにか理由があるんだろう」とも思ったそうです。

 今日では研究がすすんでいますので、その理由の目星は大方ついている。

 昔の剣術家であれば、生死を賭けて戦いますので、その緊張感は今日の武道やスポーツとは比較にならない。

 そんななか、「ここで斬られたら俺は死ぬんだ」とか、

「いまから死合がはじまるんだ」とか、

「相手はこう動くだろうから、こう動いてこう斬る。そうならなかったら、こうして――」

 なんて考えてしまうと、隙ができたり緊張して動きが鈍ったりする。それが原因となって負けてしまう。負けというのは、ともすれば死んでしまうといことです。


 普段通りに動くことできればまず負けません。達人ですから。ですから、ここ一番で必要になってくるのは、普段通りに動ける心、緊張しない心、冷静な判断を下せる心。と、心の問題になってくるわけです。こんな理由で、身体的なことを修練しきってしまったのちは心の修練が必要なんだと。その方法として、宗教的な思想を身につければいい。心を育てる、鍛えるに宗教を用いるのだ、ということです。

 というわけで、古の武術の達人は熟達すればするほど宗教に傾倒していく。


 現代日本の武術家は一般人とそう変わらない。命をかけて戦うなんてことはありません。まァ警察官ならそういった場面もあるかもしれませんが、通常はない。しかし現代の武術家や一般のかた、いや、現代にかぎらずいつの時代でも、対天災となれば、命がけで戦うことを強いられる。

 天災に見舞われたとき、先日の台風もそうですけども、被災者は命懸けの状況におちいる。冠水で家に水が流れこんできたとき、あるいは建物が崩れ落ちるほどの地震に見舞われたとき、人であれば混乱してパニックになってしまう。あたりまえのことです。

 とはいえ、そのままずっと混乱してパニック状態、というわけにはいかない。そうなれば、助かるものも助からなくなってしまう。できるだけはやく混乱状態を抜けだし、心を落ちつかせなければいけない。

 では、具体的にはどうすればいいのか。

 テレビでは深呼吸が紹介されていましたが。古の武術家にならって、仏壇や神棚を見据えて手をあわせてみる。あるいは、

 「神さま仏さま、たのみます」と、まぁ言葉なんてなんでもいいんですけど、ほんの数秒の時間を使って、神仏に意識を集中させる。そうすると、冷静とまではいかなくとも、混乱状態から焦っているくらいには心を落ちつかせることができるかもしれません。


 一昔前、映画や小説の演出で一般人に危険が迫ったとき、とくにお年寄りだったりすると、「ナマンダー、ナマンダー」と震えながら称えるシーンがよくありました。昔は現実にありがちなことだったんでしょう。残念ながら、「念仏なんて称えたってどうしようもない」という意図の演出、無意味を訴える演出なことがほとんどですが、大本である現実では、

「神仏に手をあわせることで、冷静さをとりもどす」

 そして、幾分かでも心を落ちつかせて、自分がとるべき選択肢を得る。結果、命を落とすことなく助かる、と。

 このように、きわめて現実的な目的のために神さま仏さまに手をあわせていたということになる。そして、すべて終わったのち、「神さま仏さまのおかげで助かった」と。こんな理解になったのかもしれません。


 なにが言いたいのかというと、現代の日本は天災の頻度が日々高くなっているように感じられます。「他所の土地は大変だなァ」と傍観できなくなってきている。明日は我が身だ。

 突如として天災がふりかかってきたとき、必要なのは冷静な心もちだ。混乱したままでは助かるものも助からない。そのさなか、神さん仏さんのことをちらりと意識のなかに入れてみる。意識のなかででも拝むことで、幾分か冷静さをとりもどすことができるかもしれない。そのほんのわずかの冷静さが自分や家族の生死をわけるようなことにつながってくるかもしれない。


 パニック状態からの脱出方法のひとつに神仏にたよることがある。そのような宗教の用いかたがあると、このことをお伝えして今日のお話といたします』



 たしかにここ十年ほどの天災は恐ろしい。小泉進次郎さんが「いまの時代は、天災は忘れる間もなくやってくる」と言っていたが実感している。避難場所の把握だとか、防災グッズだとか、物理的な準備も大切だけど、心の準備も必要だと思った。七十二点。

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