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仏噺 ~ほとけばなし~   作者: V$_HBMA,p.nM
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第15話 「存在の重み」

 親父が死んだので、お袋の世話をするため田舎に帰ってきた。

 そのお袋も昨年死んだ。なので命日は月に二日。

 件の尼僧はその日にやってくる。

 これは、俺が、その尼僧の読経後の話を書きおこして採点したものである。



 彼女が曰く、

『以前、左肩が痛くなって、カイロプラクティックといって、あれは西洋医学なんでしょうか。施術をうけたことがあります。


 病院や整体にもいったのですが治らず。流浪の果てにそのカイロの先生に出会った。

 先生がおっしゃるには、

「太ももの前がはってるので、入浴のたびに撫でるようにしてほぐしてください」と。

 私は無知、かつ若かったこともあって、

「先生、痛いのは肩ですよ。

 太ももは関係ないです。平気です」

 言いましたけど、先生は笑って、

「いいから騙されたと思ってやってごらんなさい」と。

 どうにも得心がいかなかったんですが、馬鹿正直にシャワーのときに限らず、寝る前も読経で座ってるときも太ももの前のところを癖のようにしてさすってると、痛みには数ヶ月は悩まされてたのですが、ほんの数日でやわらいできたのがわかりました。

 二週間たつと痛みはすっかり引いて、先生とはばつが悪い顔で再会しました。


 先生は、

「肩と太ももはつながっているからねェ」と。

 順をおって説明されれば腑におちたのですが、

 要は太ももの前がはって、普段の姿勢がすこし前かがみになっていた。そうすると、背中がはって肩をひっぱる。すると肩がこる。この状態が長くつづいたため、もっとも弱かった肩に痛みがあらわれてきた。

 原因の大本の太もものかたいところをほぐせば、背中の緊張がほぐれる。すると肩のひっぱりがゆるくなり、痛みもうすれていったという塩梅です。

 肩が痛いので肩を揉んだり、肩に湿布を貼ったりしてたんですけど、その場しのぎにすぎず、大本が改善されなかったので根治しない。だから整体や湿布は効果がなかったという理屈です。


 後日、

「ぜんぜん関係ないところをもんだら治るんですよ」と、この驚きを先輩の僧侶にお話しすると、

「そんなのあたりまえだよ。つながってるんだから」

 と、あきれられました。

 先輩がいうには、

「関係ないところっていうけどさ、関係はあるじゃないか。おなじ体のうちなんだから。肩も太ももも筋肉や関節でしょ。体のなかでつながってるじゃないか。

 太ももどころか心、まァ心っていうとなんか胡散くさいから意識っていうけど、意識も体とつながってるんだよ。

 意識におこってくる不安や悩みだって、多少のことだったら、たとえば暑くも寒くもない日、陽光の下をちょっと散歩する。いい空気を吸って、すれちがう人と笑顔を交換したり。帰宅後、すこし汗をかいてるのでシャワーを浴びる。湯上りでさっぱりすると、どこか気分がかるくなってる。そんな経験、みんなあると思うけど、運動が悩む気もちを晴らしてくれたりする。それは意識と体がつながっているからだよ。ちゃんと関係してるって証拠だよ。

 逆に意識上のストレスが力みにつながって、筋肉痛や気怠さになる。それが重い体調不良につながってったりもするし」と。


 先輩はさらに、

「関係というなら。僧侶なら体と体、意識と体の話だけで終わってほしくないなァ。

 巷の人間関係、私たち人の間柄もおなじことだよ」

 と。

 どういうことかというと、家族、親族、友人など、近い関係でなくとも、ちょっとした知り合いくらいでも、その人が困っていれば、すこし気にかけて心配してみる。そうすると、困っている当人に、心配するこちらの態度がなんとなく伝わる。それは困っている人の心に響く。影響を与える。困っているその当人のささえになったり、強さにつながっていったりする。心配だったり、励ましだったり、いたわりだったり、純粋な良い感情は、うっすらかもしれないけれど、かならず当人になんらかの影響を与える。

「その困った人は赤の他人。自分とは関係ない」

「当人の問題。当人の力だけで問題を解決すべきだ」

「困った人が問題を解決して幸福になろうが、解決できず不幸になろうが、どっちにしろ自分には影響しない」

 というとらえかたは正しくない。道徳の話でもなければ宗教の話でもない。現実の話がそうなんです。

 遠くに位置する太ももが肩の痛みにつながるのとおなじで、遠くにいる他者の現状や行為がまわりまわって自分にもまた影響してくるという話です。

 自らの現状の原因はすごく遠くにあったりする。気づけないだけなんだと。

 これが人間関係、現実問題の奥深いところなんだと。先輩はそうも言ってました。


 古い時代の日本人はこれを情けは人のためならず、仏教では自業自得といいました。自業自得は現代人の私たちは悪事に限定した意味で使いがちですが、元来の意味は良いことも悪いことも含んでいる。

 自分のやったこと、言ったこと、思ったことは周囲に影響を与える。その影響はまわりまわって自分にも影響を及ぼす。なぜかというと、私たちはみな、世のなかだの世間だのでつながっているからなんだ、ということです。

 最近は引きこもりだの独居老人だの孤独死だの、そんな言葉で「人間はひとりだ」という印象が強調されがちです。

 しかし、家のなか、そんな区切られた空間でひとりということはあっても、世間を通してのつながりはみんなもっている。そこは家で区切られたりはしない。

 ボランティアだとか募金だとか、そんな大仰なことはしなくとも、他者を気にかける。そんなほんのわずかな心のはたらきでさえ周囲に影響を与え、自分でははっきりと確認できずとも良い影響につながっていく。そう考えると、人はひとりひとり、その一挙一動のひとつひとつの存在の重みがかわってくる。

 そうなると、いまのこの世のなか、この社会は良かれ悪かれ、ひとりの人間の意志や行動があって初めて成立するという、社会の在り方にも関係してきます。


 くどくどと話しましたが、今日はこのような私たちの存在の重さについてお話しました。

 ご清聴ありがとうございました』



 かいつまんで言えば、自分と関係ないと思った人にもやさしくってことだろうか。こないだ読んだ本に、菩薩ってのは自分の利益と他者の利益の両方を満たすものだと書いてあった。人助けをして自分も他者もよかったと思えたなら、その助けた人は菩薩と呼べるのかもしれんね。知らんけど。なんか難しかったので、四十点。


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