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仏噺 ~ほとけばなし~   作者: V$_HBMA,p.nM
10/25

第10話 「苦労の意味」

 親父が死んだので、お袋の世話をするため田舎に帰ってきた。

 そのお袋も昨年死んだ。なので、命日は月に二日。

 件の尼僧はその日にやってくる。

 これは、俺が、その尼僧の読経後の話を書きおこして、採点したものである。



 彼女が曰く、

『坊さんというのは、坊さんになったからそれでもう完成なんだ。なんでもそうですけど、運転免許をとったんだから、運転技術は完璧なんだとはならないのとおなじです。

 当然ですが、坊さんになった後もずっと勉強していく必要があります。

 なので、先日、勉強会にいってきました。


 勉強会は、仏教を専門とする大学教授をはじめ、学問を修めに修めた僧侶が講師となって、ひたすら座学で行われます。

 講師は講義ごとにかわる。それぞれ専門があるのでそうなるんですが、ともすれば講師は百人以上の人材がありますので、講義に使う教科書や参考書となると、講義の内容と講師の指定によってころころかわるわけです。講義の内容がおなじでも、講師によってかわる。一時間半だか三時間だかの講義が一回、それでそのつど教科書を購入する必要がある。大学が似たような感じでしょうか。

 で、まぁ個人によりますけど、私なんかだと、その講義以降は使用した本を開くことはない。ほこりかぶってるだけという、悲しいことになる。また、講師によっては教科書を指定してるのに用いることはなかったとか。そんな不条理なこともあるわけです。


 なので、いまからもう数十年前になりますが、

「これじゃみんな不便だよ」ということで、勉強会の主催者たちで共通の教科書を製作し、講義はそれを使用する、ということに決まった。

 トップダウンで教科書を作る会が発足した。講師が十人ほどが集って、教科書を作る会が開催されていったそうです。

 しかし、これが一筋縄ではいかない。


 仏教は学問であると同時に宗教ですから。こまかいところまで突き詰めていけばいくほど、人それぞれの解釈や理解に差がでてくる。つまり、教科書にのせる文面や表現、断言に賛否両論が巻き起こるわけです。噛みくだいていえば、教授がたで内々で揉めだすわけです。

 会議を重ねるけどもなかなか完成しない。数年かかっても完成しない。

 なんとかできあがったものの、そのころにはトップダウンのトップが交代していたり。

 新しい責任者が「わかりにくいから。もっと平易に書いて」といったり。

 まぁオバマさんとトランプさんを思い浮かべればすればわかるかもしれませんが、そんなことでふりだしにもどったりと。こっちはこっちで不条理なことだったそうです。


 そんなことがありつつ、教科書はやっとのことで刊行された。現場で使われだして、もう十年以上になります。

 先日の講師は、その教科書を作る会の一員だったのですが、教科書の文を読むごとに、

「ここは作ったときに揉めた場所です」

「こんな解釈がある一方、こんなクレームがついて云々」

 と、クレームをだした講師の名前を出して笑いを誘いつつ、裏話をしてくれる。

 このときの話が耳に残っていて、その講師が言うには、


「ただの一冊の本なんですけど、とにかく散々苦労してできたわけです。

 会議は五時間延長だの九時間延長だの。夜中まで作っては全部没になって、会議に欠席してた人が、次やってきたときに前に決めたことに茶々をいれたり、とにかく苦労ばっかりだったわけです。

 完成したものは、作る会の会員みんなの意見を考慮して中立の立場をとる文面になっている。つまり、私個人の価値観から見ると、出来がよいとはいえない。中立ですから、たぶん全員が似た気もちなんじゃないでしょうか。

 とにかく苦労の記憶しかない。苦労話がおおい。

 作る会の連中に会うと、苦労話に花が咲きます。

 法要や本山の行事で一緒になったり、冠婚葬祭でばったり会うと、

「あんたはここはこだわったなぁ」とか「さんざんクレームいれやがって」とか、笑いながら話してると、あのときの苦労がいまの笑顔を作ってるんだとか、あのときの長々とした会議がこの人間関係を作ってるんだな、とかそんな広い目で見ることができるようになってきた。

 思うんですが、人間関係を作るのは苦労のような気がしますね。

 人と一緒にいて、平坦でなにもない、あるいはいいことばかりでも、人間関係は緊密になりにくい。一緒に苦労して、大変な思いをして、なんとか乗り越えて、そんなことで近しい間柄ができてくるんじゃないですかね。醸成というか、打ち解けてくる。夫婦なんかもそうだと思うんですが、まぁ夫婦だと乗り越えた後こそ辛辣だったりしますが」

 と、冗談も交えつつ、そんなことを言っていました。


 だれでもそうだと思いますが、できれば人となかよくなりたいと思っている。良好な関係を作りたいと思っている。そこに必要なことは、一緒に遊ぶことだったり、一緒にお酒を飲むことだったり、できるだけ長い時間を過ごすことだったりするのかもしれませんが、もっとも有効なのはともに苦難を味わうことだったりするんだと。

 人生に点々としておいてある苦労や苦汁は、そのためにあるんじゃないかと思うんです。


 今日はこのような苦労の意味についてお伝えして、お話とさせていただきます』



 キリスト教だと苦労は神がわざわざ用意したもので、ちゃんと意味があると説くらしいね。それ以上は知らんけど。苦労に意味を見出すことはマイナスをプラスにかえることだから、人生にしあわせが増えると思う。九十点。

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