第01話 「壊れた靴」
親父が死んだので、お袋の世話をするため田舎に帰ってきた。
そのお袋も昨年死んだ。なので、命日は月に二日。
件の尼僧はその日にやってくる。
これは、俺が、その尼僧の読経後の話を書きおこして、採点したものである。
彼女が曰く、
『先日、後輩が就職するということで、お祝いの席に座ってきました。
後輩は大学院まで進学したので、年は二十代半ばで初の就職なんです。話を聞くと、ほんの数日前まで東京に研修に行ってて帰ってきたばかりだという。
研修はどうだったかと伺ったのですが、当人が話すには、研修にいく前、入社式も控えてることだし、スーツ一式を新調したんだそうです。で、ネクタイと靴も新しく買おうかと家族で話していたところ、同居してるお祖父さんが、
「前に買ってまったく使ってないものがあるんだ。古いけど高いものだから、いまもちゃんと使えるだろう」
と、ネクタイと革靴をひっぱりだしてくる。ネクタイは綺麗だけれど、靴はもう十年以上も昔に買ったものだったそうで、ずっと靴箱の奥の奥においてあった。埃かぶってて、カビまで生えていた。しかしモノはしっかりしてたので、靴磨きで拭くと、新品同様のぴかぴかになったそうです。
サイズもぴったりだったので、後輩は、
「とってもいいよ。無駄な出費はしないでおこう」
と、お祖父さんの靴をはいて東京にむかったそうです。
東京といいますか、都会は車を使わなければ案外歩かされるもので、空港から電車、やれ乗り換えだのホテルに行くだの、ずいぶんと歩く。研修がはじまっても、座っての研修は初日だけ。二日目からは工場を見てまわるということで、つまりは東京にある工場と同様のものが地方地方にもある。そこでどのような働きかたをするのか、実際に見ながら学んでいくという内容だったそうです。
それで、後輩が工場の通路を歩いてると、おそらく経年劣化で糸が弱ってたんでしょう、靴の先から、靴の上の部分と靴底とでわかれてくる。裂けていく。後輩はばつの悪い顔のすり足でごまかしてたものの、すぐにべこべこと足音がたつほどに裂けてしまって、周りに気づかれて、くすくすと笑われてしまう。ついには研修を行っていた講師の社員も気づいて、
「お前、なんだその靴は! それじゃ歩けんだろ」
と、スリッパをあてがわれて、片足は革靴、もう片っぽはスリッパで工場内を練り歩いたそうです。
この話を聞いた我々は、
「そりゃ災難だったな。でもまぁそういう失敗はつきもんだよ」
と、慰めてハッパをかける。恥をかいたと、さぞ怒ってるかと思いきや、当の後輩はあっけらかんとして、
「おかげでよかったです。ついてた」と、平気の平左でした。
どういうことかと訊くと、新入社員はみんな地方地方から集まってきてたので顔見知りは一組もない。後輩もふくめてみんな緊張してたそうです。なので、肝心の研修の内容も右耳から左耳へ、うわの空だったと。それが、靴が壊れてべこべこ音がして、みんながくすくす笑って、そのときに場の緊張が和んだんだと。研修の最後にはみんな仲良くなって、それぞれ遠方だからそうそうは会えないけど、おなじ会社の同期なんだから、なにかあれば連絡とろうやと、連絡先も交換して別れた。とにかく和気あいあいになった。きっかけはなんだったのかと考えると、靴が壊れたことだったと。もしも靴が壊れてなければ、場は緊張したまま、ろくすっぽ口をきかないまま終わっていたかもしれないと。そう言うんですね。
話を聞いてた私たちはしきりに感心して、
「とてもよいもののとらえかただね」と。
普通の人であれば、「畜生、とんでもない恥をかいた」となってもおかしくない。東京からの帰路の途中で思いだしては腹がたって、家に帰ればお祖父さんに「この靴のおかげでとんでもない失敗だった!」と当たり散らすかもしれない。
思うに、人生でおこる出来事は、出来事そのものに良し悪しがあるんじゃなくて、出来事に接した自分がどうとらえるかで良し悪しが決まってくるんじゃないかと思うんです。
良しととらえれば良し、悪しととらえれば悪し。ちょっとした程度の気に入らない出来事であれば、とらえかたをすこし違えれば、いいことやおもしろいことにとってかわってしまう。人は良いか悪いかを決める能力をもっていると、そう思うんです。
つまらない出来事がおもしろい出来事に変わるとなれば、人生におもしろい出来事の回数が増えていく。増やすことができる。となれば、人生そのものがおもしろくなっていく。しあわせにつながっていく。
今日はこのような、人生のとらえかたの話をいたしました。
ご清聴ありがとうございました』
これは好き。でもそうそうかんたんにはプラス思考にはなれないね。人生腹たつことばかりで、かなり後になって冷静に考えることができる。もともと性根がいい人でないとできないことのような気もする。八十五点。