第五話 あざとい……でも可愛い
そして優菜が退院する日がやってきた。俺は海外転勤中の両親の代わりに学校を休んで優菜を迎えに行く。
来るべき日が来てしまったというのが俺の素直な感想だ。
もちろん優菜の快気は素直に喜ぶべきことだし、俺自身嬉しい。彼女の記憶が戻らないのは悲観するべきことかもしれないが、元気でいてくれることは何よりも大事なことだ。
通いなれた病室のドアを開けると優菜はベッドのへりに座っていた。
「お、お兄ちゃん……おはよう……」
優菜は相変わらずのか細い声で俺に挨拶をして小さく手を振った。が、今日の優菜はいつもの病院着ではなく私服姿だった。
黒字のワンピースでよく見ると小さな花柄が無数に付いている。
あれ? こんな洋服持っていたっけ?
俺が首を傾げていると優菜が口を開く。
「ちょ、ちょっと前に京香さんと電話したときに、買ってもいいよって言ってくれたの。ネットの通販で買ったんだ……」
ちなみに京香というのは俺の義理の母親、優菜にとっては実の母親だ。どうやらまだ以前のようにお母さんと呼ぶ勇気はないようだ。
優菜はそう言うとじっと俺を見つめていた。
どうやら感想が欲しいらしい。
「お、おう、いいんじゃねえか? 似合っているよ」
前回の制服の感想で不満顔をされた経験を活かし、少し素直に近い感想を述べると優菜は嬉しそうに微笑んだ。性格上あまり笑顔を見せない優菜だが、時々見せるその控えめの笑顔はなかなか悪くない。
俺はいつもこんな笑顔が浮かべられたらもっと人気者になるのに、と余計なお世話なことを考えていると優菜は立ち上がった。
「か、看護師さんや先生にお礼を言いに行かなくちゃ……」
「歩けるのか?」
俺の心配をよそに優菜は少し足を引きずりながらも一人で歩き始める。
「わ、私これでもリハビリ頑張ったんだよ。お、お兄ちゃんに迷惑かけたくないし頑張るよ……」
俺はそんな優菜の決意にあえて肩は貸さずにベッドに置かれた彼女の荷物を持って隣を歩く。
それから俺と優菜はナースステーションへと向かい、優菜がお世話になった看護師や先生、さらには職員にお礼を述べるといよいよ病院を出ることにした。
二人並んでエレベーターに乗り一階へと降りると、外来患者の中をすり抜けてエントランスへとやって来た……のだが。
「…………」
優菜はそこで不意に足を止める。そして、何やら怯えるように俺のシャツの袖を掴んだ。
「どうかしたのか?」
優菜を見やると彼女はじっと自動ドアの奥に広がる外の世界を見つめていた。
記憶を失くしてからずっと病院の中にいた優菜にとってドアの外は未知の世界だ。優菜はまるで初めて家から出る猫のように怯えているようだった。
「少し休んでからいくか?」
そう尋ねると優菜はゆっくりと首を横に振った。
「ちょ、ちょっと怖いけど、きっと病院の外には病院よりも楽しい世界が広がっているはずだから……」
と震える声で答える優菜。
そうだ。優菜の言う通りきっと外は病院よりも楽しい世界が広がっているはずだ。そこには自由な世界が広がっているはず。だが、それと同時、病院の外には危険もまた存在している。自由とはリスクと引き換えに手に入れられるものなのだ。
きっと優菜もそのことを知っているのだろう。
優菜は俺の袖を掴みながらも一歩、また一歩と外の世界へと向かって歩き出した。
病院の少し暗めの照明とは対照的に、俺たちは目を細めるほどの眩い光に晒される。優菜は思わず目を細めて持っていた麦わら帽子を頭に乗せた。
※ ※ ※
それから俺たちはタクシーに乗って自宅へと向かった。とりあえず荷物を優菜の部屋へと運び、“現在の優菜”にとっては、ほぼ初めての自宅を案内することにした。が、さすがに優菜に階段を上がらせるのは怖かったし、優菜自身も階段を上がる勇気はなかったのでしばらくは二階には上がらないように言っておいた。
そうこうしているうちに昼過ぎになっていた。俺は頼んでおいたデリバリーのピザを受け取るとそれを持ってリビングへと向かう。ささやかな快気祝いといこうではないか。
「優菜おめでとう。正直なところ優菜が階段から落ちたときはこのままお前が死んじまうんじゃないかって本気で心配したんだぞ」
と、冗談交じりに言うと優菜は「し、心配かけてごめんね……」と真面目に謝ってきたので少し戸惑ってしまう。
とりあえず缶ジュースをコップに注いでやると優菜は小さな口でそれを飲んだ。
本当にここまで回復したのは素直に喜ばしいことだ。さっきは冗談であんなことを言ったけど、階段から落ちたときは本当に死んでしまうのではないかと思った。俺は優菜が目の前で元気な姿を見せてくれていること嬉しく思う。が、心のつかえは未だとれてはいなかった。
このままいけば、優菜は明日には学校へと行くことになるだろう。そうなったら優菜は否応なしに自分の置かれた環境を知ることになる。となると、今ここで優菜に伝えるべきことを伝えておかなければならない。
「優菜、学校は楽しみか?」
そう尋ねると優菜は少し不思議そうに首を傾げていたが「た、楽しみだよ……」と小さく答える。優菜の口角はわずかに上がっていて、彼女が本心でそう言っているのが俺にはわかって胸が痛くなった。
「もしかしたら学校はお前が思っているような楽しい場所ではないかもしれないぞ?」
「う、うん……わかってるよ……それでも楽しみだよ……」
「なあ優菜――」
「お、お兄ちゃん……」
と、そこで優菜は俺の言葉を遮るように優菜が口を開く。
「お、お兄ちゃんが何を言いたいか私、気づいているよ……」
そんなことを突然優菜が言うので俺は虚を衝かれる。俺がポカンと口を開けていると優菜は続ける。
「お、お兄ちゃん、私が学校の話をすると悲しい顔をするから……そ、それにお見舞いに誰も来ないのだって多分、ほ、本当は他に理由があるんだよね……」
優菜の表情がわずかに曇ったのがわかった。
俺は何も答えられなかった。
優菜は俺の嘘を見破っていたのだ。それはさすがに俺にとって想定外の事実だった。俺は優菜の言葉に愕然としたままただ黙っていることしかできなかったが、優菜は突然立ち上がると椅子に座る俺の隣に立った。そして、俺を見つめるとわずかに口角を上げる。
「そ、それでも私はお、お兄ちゃんと一緒に学校に行きたいよ……。ほ、他の誰に嫌われてもお兄ちゃんがいれば私大丈夫だから……」
そう言って優菜は俺にハグをした。
「優菜……」
俺はもしかしたら優菜のことを見くびっていたのかもしれない。優菜には自分を変える力なんてないんだと勝手に思っていたのかもしれない。だけど違う。優菜には過去の記憶はないけれど自分自身で変わろうとしているのだ。
俺は優菜をぎゅっと力強く抱きしめる。
俺がやるべきことはあくまで手伝いなのだ。変わるのは優菜自身なのだ。俺がやるべきことはそれを精いっぱい後押ししてやること。
胸を伝って優菜の鼓動を感じる。
確かに優菜は自分自身の力で変わろうとしていた。
※ ※ ※
妹が変わるというのであれば、俺としても全力でサポートする以外にない。いてもたってもいられなくなった俺は優菜を連れて街へと繰り出した。確かに優菜は痩せて可愛くなった。このままでも男子生徒を魅了するには充分だろう。だけど、優菜にはもっと上を目指して欲しい。優菜のポテンシャルをもってすれば学園の不動のアイドルになることだって不可能ではない。と、一人張り切る俺。
とりあえず俺は優菜の新しいメガネとコンタクトレンズを購入する。
コンタクトを装着した優菜ははっきりと見える外の世界に感動しているようだった。
「わ、わぁ……お、お兄ちゃんの顔がよく見えるよ……」
優菜は俺の顔を見て嬉しそうに笑みを浮かべていたが、不意に心配そうな表情で首を傾げる。
「で、でも、お兄ちゃん、お金大丈夫なの?」
と、俺の懐事情を心配してくれる優菜。
大丈夫か大丈夫でないかと聞かれたら大丈夫ではない。実は半年ほど前から、来月発売のPF5とPFVRさらには各種ゲームソフトを購入するためにコツコツとお金を貯めていたのだ。その夢が霧散した今、正直なところ今にも泣きだしたかったが、背に腹は代えられない。こうなったら優菜には徹底的に輝いてもらうしかない。
「心配するな、お兄ちゃんは貯金が趣味なんだ」
と、適当な嘘を吐くと優菜は「あ、ありがとうね……」とペコリと頭を下げた。
が、俺の改造計画はまだまだ終わらない。
俺は優菜の手を引くと今度は予約しておいた美容院へと向かう。そして、美容師さんに「とにかく男受けのうするあざとい髪形をお願いします。時間がかかっても追加料金がいくらかかってもいいんであざといやつでお願いします」と頼み込む。
そんな俺を優菜は相変わらず「ね、ねえ、本当にお金大丈夫なの?」と心配していたが、「大丈夫だから」の一点張りで押し切った。
そして二時間後、優菜は生まれ変わった。
「ど、どうかな? 似合ってるかな?」
優菜は美容師さんに連れられて少し不安げな表情を浮かべながら戻って来た。
二時間ぶりに優菜を見た俺はその変貌ぶりに言葉を失う。
可愛い……あざとすぎるほどに可愛い……。
優菜の髪はいつの間にか栗色に染まっていた。長かった髪は顎ぐらいの高さまで切り揃えられており、軽くパーマもかかっている。そして、あざとさが際立つのが右耳に掛けられた横髪だ。髪を固定するために細かくピン留めされているのもまたあざとい。さっき学校に連絡して髪形に関する校則を徹底的に調べ上げた甲斐があった。
が、俺はこれでいいと思った。
俺を含めて男という生き物は単純だ。あざといとわかっていても、そのあざとさにメロメロになってしまう生き物なのだ。優菜の場合女子生徒、特にクラスカースト上位にいる女子たちからの評判がどん底だ。そいつらとすぐに仲良くなれるほど世の中は甘くない。だからこそそのあざとさを武器に男子生徒を味方につけるのだ。これでクラス上位の男子の評判を上げると女子たちだって黙っていられなくなる。
「優菜。これだよ。俺が求めていたのはこれなんだよ。これでクラス中の男がお前にメロメロになるはずだぞ」
そう言って優菜の手を掴むと優菜は「そ、そうなのかな……」と困惑しながらも俺の誉め言葉に頬を赤らめていた。
だが、これでもまだ完成ではない。
再び優菜の手を引くと今度は近くの雑貨屋へと入った。
あざとくすると決めたからには徹底的にやる。俺はピン留めを漁ると一つ一つ優菜の耳掛けされている側の髪に当てていく。そして、
「これだ……」
俺は無数にある髪留めの中から大きな蝶の付いたバレッタを優菜の髪に当てて確信する。一目散にレジへと向かうと購入してさっそく優菜につけさせた。
「か、髪留めは可愛いと思うけど……本当に似合ってるの?」
と、優菜はそわそわした様子で俺を見つめていた。
「いや、完璧だ。これで学園のアイドルになるためのお膳立てはできたはずだ」
「あ、ありがとう……お兄ちゃんがそこまで言ってくれるなら、わ、私頑張るよ……」
と、優菜は決意を固めたように小さく拳を握った。
さあ、あとは家に帰って来るべき登校に備えるだけだ。俺は決意を胸に自宅へと向かって歩き出した。
が、しばらく歩いたところで。
「お、お兄ちゃん……も、もう少しゆっくり歩いてほしいな……」
優菜が膝に手をついて息を整えているのが見えた。
「わ、悪い、大丈夫か?」
慌てて優菜のもとへと歩み寄ると優菜は「だ、大丈夫だよ」とわずかに微笑んだ。が、その直後、優菜は大きく目を見開いて俺の後方を見やった。
「お、お兄ちゃん……あれ……」
と、優菜が何かを指さす。
指さす方を見やるとそこには俺たちの通う高校の制服を着た女子生徒が数人歩いているのが見えた。どうやら授業が終わって生徒たちが街へとやってきたようだ。
と、そこで俺は気がつく。その優菜が指さしたその女子生徒に見覚えがあるということに。
「曽我部……」
そいつは俺のクラスメイト、そして俺の妹木浪優菜をいじめた張本人曽我部美幸とその取り巻きだということに。
幸いなことに曽我部達とは距離があり、彼女は俺たちの存在には気がついていなかったようだった。
「お、お兄ちゃん……」
と、そこで優菜が俺の背中にしがみつく。優菜を見やると彼女は俺の背中に顔を埋めたまま何やら怯えるように震えている。
「お、おい、お前あいつらのこと覚えているのか?」
優菜は俺の背中に顔を押しつけたまま首を横に振った。
「し、知らない人……だ、だけど、なんだか怖い……」
どういうことだ?
俺には優菜の反応が何を意味するのかはわからなかった。だが、優菜があいつらに対して恐怖心を抱いているのは確かだった。だから、俺は曽我部達が見えなくなるまで優菜を背中に隠して、いなくなったタイミングで優菜の背中を摩ってやった。
「大丈夫か?」
そう尋ねると優菜は顔を上げてこくりと頷いた。
「お、お兄ちゃんごめんね……私にもよくわからないけど、あの人たちを見ていると急に胸が苦しくなってそれで……」
優菜は必死に自分の身に起きたことを説明しようとした。が、俺は「無理に話さなくていいから」と彼女の頭を撫でてやった。
そんな優菜の頭を撫でながら俺は思った。
俺が思っているほどに優菜の置かれた環境は生温いものではないと。




