第四話 俺は義妹を学園のアイドルにしてみせると決意する
シリアスなパートを書くのはなかなか勇気がいります。ですが、話の展開上こういうパートは必要不可欠なので書きました。
甘さを引き立てるための塩だと思っていただけると幸いです。
よろしくお願いします。
時の流れとは思っている以上に早いものだ。俺の義妹、木浪優菜が記憶喪失になって一か月以上の時が経った。
リハビリは順調だった。一週間ほど前にはようやくギブスも取り外され、今ではゆっくりではあるが自分の足だけで歩行できるようになったようだ。きっとただの骨折だったならとっくに退院して松葉杖をついて学校にだって通っているはずだ。
そう、そう言えば一つ優菜の身体に大きな変化があった。
徹底的に栄養と量を管理された病院食と日々のリハビリのおかげで優菜はみるみると痩せていき、気がつくと中学時代と変わらないほどの、痩せ型の女の子へと変貌を遂げていた。
「退院したら洋服買いなおさないとダメだね……」
と、優菜は嘆いているようで嬉しそうなため息を吐く。
優菜が徐々に体重を落としていく過程で俺は感じていた。優菜は並みの女子高生と比べてもかなり整った顔をしている。いや、それどころか尋常じゃない美人へと変貌しているような気がする……。
中学のときは確かに可愛い顔をしていることは知っていたが、高校生になり少し顔つきも大人になり女性としての魅力が明らかに増している。義理とはいえ妹にこんなことを言うのは恥ずかしいが、きっとこれが妹ではなかったら一目惚れをしているかもしれない。
身体の面では今のところ文句のつけようのないほどに回復は順調だった。
だが、肝心の優菜の記憶は一か月以上経っても、これっぽっちも回復の兆しが見られなかった。
だが、優菜の退院の時期は近づいてきていた。そう、優菜に友達と呼べる友達が一人もいない孤独な学園生活を再び送らなければならないその日が近づいている。
そして、優菜がいよいよ退院を迎える前の日、俺は優菜に頼まれてある物を持って病室へとやってきた。
「ど、どうかな? 似合ってるかなあ?」
優菜はもう一年以上、ほぼ毎日のように身に着けていたはずの高校指定の制服を身に着けると、何やら恥ずかしそうにスカートの裾を掴んで俺に感想を求めてきた。
そんな優菜を見ながら俺は自分の感想を口にするべきか本気で悩んだ。
似合っていないわけがない。優菜はこれまでの瓶底メガネにおさげ、さらには肉マシマシだった自分を捨てたのだ。生まれ変わった優菜の制服姿はあまりに似合いすぎていてそういうコスプレなのかと思えるほどだ。
「まあ、特に不自然なところはないんじゃないか?」
結局悩んだ結果、俺はそんな無難な感想を口にする。が、その感想は優菜にとっては満足できなかったようで「そ、そう……ならいいけど……」と表情を曇らせた。
ここのところ、優菜はもうすぐ始まる学園生活に胸を躍らせている。友達が見舞いに来ないのは優菜が記憶喪失になって、見舞いに来ても誰かわからないからだと嘘を吐いているが、それも学校へ行ったらバレてしまう。
優菜の気持ちの高ぶりとは裏腹に俺の気持ちは落ちるばかりだ。
出来ることならば、このまま病室で卒業を迎えて欲しいと叶わぬ願いを抱いてしまうほどに。
優菜はしばらく洗面台の鏡を眺めながらスカートの長さや、襟元のリボンの位置をしきりに気にしていた。が、不意に振り返ると何やら恥ずかしげに俺を見つめる。
「あ、あの……雄二さん」
「なんだよ。制服に不満でもあるのか?」
優菜は静かに首を横に振る。そして、何やら俺の前まで近寄ってくると、頭一つ大きい俺の顔を見上げた。
「ゆ、雄二さんには感謝しているよ……」
「感謝? 何を感謝するんだよ」
「ぜ、全部だよ……。にゅ、入院している間、いつも放課後にお見舞いに来てくれたし、記憶がなくって何も思い出せない私にいつも優しくしてくれたし……」
と、そこで優菜はペコリと頭を下げる。
「あ、ありがとう。お、お兄ちゃん……」
「なっ……」
聞き慣れているはずの、それでいて久々に聞いたお兄ちゃんという単語に思わず心が乱れる。
「きょ、兄妹なのに、ゆ、雄二さんなんて呼び方変だよね……。だから、これからはお兄ちゃんって呼ぶね……」
そう言って優菜は頬を赤らめる。
「練習の成果はあったか?」
「す、少しだけ……。で、でも、練習と本番は違うから……」
優菜のあまりの変貌ぶりにお兄ちゃんというフレーズにかなり違和感があった。
俺と優菜は妙に気まずくなってしばらく黙ったままだった。
※ ※ ※
夜、自宅へと帰ってきた俺は少し慣れてきた自炊した飯を食べ終えるとある場所へと向かった。
優菜の部屋だ。
優菜が階段を落ちた日から誰も訪れていない優菜の部屋。よくよく考えてみれば高校生になってからこの部屋に入るのは初めてかもしれない。妹とはいえ、女の子の部屋に入るのは変に意識してしまう。が、入らなければならない。
もちろん、埃が溜まっているであろう優菜の部屋を軽く掃除するのが目的ではあるが、それだけではない。
今の優菜にとって都合の悪いものを処分しに来た。
優菜の部屋の扉を開くと、そこには女の子にしては殺風景な空間が広がっていた。
勉強机とベッドと本棚。優菜の部屋にあったのはそれだけだった。流石は女の子なだけあって綺麗に整理整頓がされている。が、ぬいぐるみや小物が飾られているわけでもなく、ただただ生活に必要なものが置かれているだけだった。
俺はフローリングにわずかに積もった埃の感触を足の裏に感じながら部屋へと入っていく。
まず目についたのは机の上に広げられたノートと参考書。そういえば優菜は課題の途中に電子辞書を借りに俺の部屋にやってきて、その帰りに階段から落ちた。そこから優菜の時間は止まったままなのだ。
ぱらぱらと意味もなくノートを捲り、優菜の几帳面な性格を今更ながら垣間見る。
と、そこで俺はノートの横に置かれた花柄のB5サイズのノートのようなものに気がついた。俺はそれを手に取るとぱらぱらと捲ってみる。そして、すぐにそれが日記帳だということに気がつく。
他人の日記帳を見るのはあまりいい趣味ではないとは思うが、俺はその日記帳を読まずにはいられなかった。いつも学校では一人ぼっちで俺とも必要最低限以上のことを話さない妹が何を考えてこれまで生きてきたのか、俺にはそれが気になって仕方がなかった。
俺は心の中で優菜に謝ると、日記を斜め読みする。
が、特にこれといった内容の日記ではなかった。放課後にたい焼きを食べただとか、今晩はパエリアを作っただとか、勝手に読んでおいてこんなことを言うのもあれだが退屈な内容の日記だった。これならば今の優菜が読んでも問題ないかと考えながら日記を閉じようとしたそのとき、
ん?
俺はあるページに記された『曽我部』の文字と『花瓶』の文字が目に入ってその手を止める。曽我部というのはきっと女子生徒クラスカースト上位にいるリーダー格の曽我部美幸のことだ。
そして、ちょうど二か月前に記されたその日記を読み、自分の顔から血の気が引いていくことに気がついた。
『今朝、教室に入ると机の上に花瓶が置かれていた。私を見てニヤニヤとしていたからきっと曽我部さんの仕業だと思う』
気がつくと俺は次のページを捲っていた。
『今日は下駄箱から靴がなくなっていた。仕方がないから上履きのまま帰った』
『今日はついに曽我部さんたちに呼び出されて、よくわからない因縁を付けられた。きっと数週間前に曽我部さんが平塚くんに告白しているところに鉢合わせたのを根に持っているらしい。それから曽我部さんと平塚くんが一緒にいるところを見ていないのでフラれたのだろう。今日のはきっとその腹いせだ』
平塚というのはサッカー部の平塚だろう。そう言えば曽我部が教室で平塚がカッコいいと他の生徒たちと騒いでいたのを覚えている。
俺はさらに読み進める。
『今日も上履きに画びょうが入っていた』
『学校へ行こうとするとお腹が痛くなる。だけど、お兄ちゃんにイジメられていることがバレると気を遣わせるから、相談できない』
『学校に行きたくない』
『お兄ちゃんに話を聞いてもらうべきか悩む。そもそもお兄ちゃんとはここのところほとんど会話をしていないのに……』
『今日は曽我部さんから兄妹揃って陰キャだと言われた。私のことはいいけど、お兄ちゃんの悪口は許せない。私のせいでお兄ちゃんまでイジメられそうで怖い』
『もう限界だ。これから電子辞書を借りるふりをしてお兄ちゃんの部屋に行って、話をしてみようと思う』
そこで日記は終わっていた。
日記を掴む手がガクガクと震えていた。
俺は何も知らなかった。俺が思っていた以上に優菜の受けているイジメは深刻だった。そんなことも知らずに俺は学園生活をのうのうと過ごしていたと思うと反吐が出る。
日記を閉じる。
俺は確信する。このまま優菜が学校へと行ったら再び曽我部達からイジメを受けて絶望のどん底へと突き落とされるに違いない。ただでさえ優菜は記憶を失って精神が不安定なはずだ。俺の前では平気なふりをしているが、本当は何も覚えていない家で何も覚えていない兄と生活をして、何も覚えていない学校へ行くのはどうしようもなく不安なはずだ。
俺は曽我部に対する怒りに腸が煮えくり返るような思いだったが、今ここで曽我部を恨んでも何も解決しないことはわかっている。残念なことだけど、優菜が楽しい学園生活を送るためには優菜自身が自分を変えていくしかないのだ。
そして、それを手助けできるのは俺しかいないのもまた事実だった。
俺は一度瞳を閉じて深呼吸をした。
曽我部への憎しみを静かに治めていく。
感情的になってはだめだ。感情的になってはだめだ。感情的になってはだめだ。
そして、瞳を開いて決意を固める。
俺は今こそ優菜に恩返しをしなければならない。学校での楽しい生活を夢見ている優菜のために自分にできる全てを出し切らなければならに。
優菜を救うための方法は考えている。
それは優菜を学園一のアイドルに育て上げることだ。
学校中の男どもを味方につけて、曽我部に有無も言わせないような人気者にすれば優菜はきっと今よりももっとマシな学園生活を送れるに違いない。
これが俺の小さな頭でひねり出すことのできる唯一の答えだった。
俺は日記帳をわきに抱える。この日記帳は優菜が人気者になって何も悩まなくなるときまで封印だ。
『学校って楽しいね』
そんな言葉が優菜の口から聞ける日まで、俺は優菜のために生きていく。