表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/8

第三話 見慣れているはずの初めての風景

 数日後の放課後、俺はいつものように友人の誘いを断ってお見舞いのために病院へと向かった。ここのところ、自宅と学校と病院を行ったり来たりしている。


 残念ながらというか当然というか、優菜のいなくなった教室はまるで元々木浪優菜なんて生徒が存在していなかったかの如く、いつも通りの日常が続いていた。一応は俺の友人が何人か優菜のことを俺に聞いてきたが、それはたまたま彼女が俺の義妹だったから聞かれたというだけだ。先生は記憶喪失を除いた優菜の現状を報告してはいたが、一部のクラスカースト上位の女子が優菜の席を指さしてクスクスと笑い合っていただけで、多くの生徒にとっては興味のない話題のようだった。


 そんなクラスの反応に俺は優菜のこれからを憂いたが、今の俺にできることは何もないのが現状だった。


 エレベーターに乗って入院患者のいるフロアに降りて、廊下を進んで優菜のいる個室へと歩いていると優菜の病室のドアが開いていることに気がついた。窓も全開になっているところを見ると、どうやら換気をしているようだ。

 入り口の前に立つとベッドに座る優菜の姿が見えた。


 優菜は俺の存在に全く気がついていないようで、胸に両手を当てたまま何やらブツブツと独り言を言っている。


「お、お兄ちゃん……お、お兄ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん……」


 優菜は何やら俺に何とか聞こえるぐらいの小さな声で「お兄ちゃん」という単語を何度も繰り返している。


 何やってんだこいつ……。


 俺は奇妙なものを見る目でしばらく優菜を眺めていると、優菜の独り言は「お兄ちゃ――」のところで不意にぴたりと止まった。そして、その後しばらく硬直した優菜のちに何やら恐る恐るゆっくりと俺の方へと顔を向ける。


 優菜の視線が俺を捉えたと同時に、優菜の頬がぽっと赤く染まった。


「ゆ、雄二さんいたの?」


「いると何かまずかったのか?」


「そ、そんなことないよ……」


 優菜は相変わらず顔を赤くしたまま俯く。どうやら優菜は見られてはいけないものを俺に見られたようだ。


 俺は「は、はずかしぃ……」と囁いて顔を両手で覆う優菜を眺めながら、ベッドわきの丸椅子へと腰を下ろした。すると、優菜は顔を両手で覆ったまま「あのね、雄二さん……」と俺の名を呼ぶ。


「なんだよ」


「わ、私、別に変な子じゃないよ……」


 どうやらさっきのお兄ちゃん発言について弁解がしたいようだ。


「い、今はまだ雄二さんのことお兄ちゃんって呼ぶの恥ずかしいけど、いつかはお兄ちゃんって呼びたいから練習してただけだよ……」


「お兄ちゃんって呼ぶために練習するような子のことを変な子って言うんじゃないのか……」


「そ、それは……」


 どうやら言い返せなかったようだ。


「も、もう変な子でいいよ……」


 どうやら優菜は弁解を諦めたようで、両手を顔から離すと俺を見やると「き、来てくれてありがとう……」と頭を下げた。


「で、身体の具合はどうなんだ?」


 俺はそう言ってテーブルの上に置かれたリンゴを手に取った。どうやら、まだ食べていないようだ。


「い、痛いところもないし元気だよ……。足は動かないけど……」


 そう言うと優菜は自分の足元を見やった。ギブスの付いた足が布団からはみ出しているのが見える。


「なんか困ってることとかないのか?」


「ううん、身の回りのことは看護師さんがやってくれるから大丈夫だよ。だけど……」


 そう言って優菜はギブスをコツコツと指で叩く。


「足が動かなくて、部屋からあんまり出られないから退屈だよ」


 よくよく考えてみれば優菜はこの病院以外の世界を知らないのだ。記憶のない優菜にとって病院だけが世界の全て。それ以外の風景は何も覚えていないのだ。まるでカゴの中の鳥。そんなことを考えると急に優菜が可哀そうに思えてくる。


 何か退屈しのぎができるものはないのか?


 俺は窓の外を見た。


 優菜が入院しているのは二階だ。窓の外を眺めたところで見えるのは精々病院の庭ぐらいのもので、そこから外の風景はこの低い病室からは見えなかった。


「なあ、優菜」


「病室から出たら怒られるか?」


「え、ええ? 建物の外には出ちゃダメって言われてるけど、病院の中は大丈夫だよ……」


「そうか。なら問題ないな」


 俺は立ち上がった。


 そんな俺を優菜は何やら不思議そうに眺めていた。


「お前に見せたいものがあるんだ」


「み、見せたいもの?」


「ああ、とりあえず車椅子に乗り換えるぞ」


 そう言うと、俺はベッドわきの折りたたまれていた車椅子を広げる。


「どこかに行くの?」


「ああ、ちょっと病院内を散歩するだけだよ」


「う、うん、いいよ……」


 優菜は両手をベッドについた。そして、腰を浮かせると車椅子の方へと身体を動かそうとする。


 が、


「い、痛い……」


 どうやら優菜は足だけではなく手も少し痛めているようで、痛みを堪えるように左の手首を見つめる。


「悪い、やっぱやめとくか?」


「う、ううん……。私も散歩したいよ。車椅子だけど……」


「わかった。じゃあ俺が車椅子まで運ぶよ」


 俺はそう言うとベッドに座る優菜の足の下と腋の下に手を伸ばして優菜を抱き上げてやる。


 う……重い……。


 と、思わず口に出しそうになった。


 俺は予想以上の優菜の重さに思わず女の子に対して一番言ってはいけない言葉を口にしそうになったが、なんとか彼女を抱き上げる。


 そこで俺は思った。妹だからと思って特に何も考えずに優菜を抱きかかえたはいいが、よくよく考えてみれば今の優菜にとって俺は兄……ではなく、ただの年の近い異性なのだ。


 優菜は俺の制服のワイシャツを掴みながら顔を真っ赤にして急接近した俺の顔を見つめていた。


「わ、悪い。嫌だったか?」


 今更ながらそう尋ねると優菜は「そ、そんなことないよ……」と首を横に振る。が、シャツを掴む手がわずかに震えていた。


「お、重くてごめんね……。これでもこの数日間で1キロ痩せたんだよ」


「へ、平気だから……」


 と笑みを浮かべながら優菜を車椅子に移動させるが、最後の方は苦笑いになっていた。


「と、とりあえず病室を出よう」


 そう言うと俺は車椅子を押して歩き始める。


 そして、数分後。俺と優菜は屋上にいた。


 屋上には俺たち以外の人影はなかった。三メートルはありそうな鉄網に囲まれた広い屋上には所狭しと洗濯されたシーツや病院着が干されていた。俺は洗濯物をくぐりながら鉄網へとたどり着く。十階建ての病院の屋上からは住み慣れた住宅街が一望できた。


「ここが俺とお前が十年間生活していた街だ。どうだ何もないだろ?」


 自慢ではないが、俺たちの住むこの街にはこれといったものは何もない。どこにでもあるような商店街があって、どこにでもあるような家々が軒を連ねているだけ。優菜に外の風景を見せてやりたいと思って屋上まで来てみたけど、特に面白いものは何も見えなかった。


 優菜はしばらく目を凝らして街並みを眺めていたが、不意に苦笑いを浮かべると俺を見やった。


「何も見えないかも……」


「そういえば、強度の近視だったな……」


 階段から落ちたときに優菜のメガネが壊れてしまったことを俺は今更ながら思い出す。


 が、優菜は「そ、そうだ……」ズボンのポケットに手を入れると中から何かを取り出した。


「こ、これを使えばよく見えるよ……」


 優菜が手にしていたのはメガネのレンズの部分だけだった。しかもレンズは真っ二つに割れており、真ん中にセロテープが貼られている。優菜はそのボロボロのメガネ……だった物のを右目の前に持ってくると、左目を瞑ってレンズ越しに街並みを眺めやった。


「わ、私たち、ここに住んでいたんだね……」


 と、優菜は興味深げに住み慣れているはずの街並みを眺めている。そんな優菜の隣で俺は前方を指さす。


「あそこが俺たちの最寄り駅だ。で、あそこが昔二人でよく行った駄菓子屋。いや駄菓子屋だった場所だな。今は金券ショップに変わってる。そんでもって、あのビルの一階が優菜がよく買い食いをしていたクレープ屋」


 特に見どころもない退屈な街だ。が、優菜はそんな退屈な街並みを「お、おぉ……」と時々声を出しながら興味深げに眺めていた。どうやら俺にとって退屈なその街並みも優菜にとってはとても新鮮な風景だったようだ。そんな優菜を見て一瞬だけ記憶喪失が羨ましく思えた。


 優菜はしばらく「あ、あれはなんなの?」「これは?」などと俺に説明を求めながら街を眺めていたが、不意に俺の袖をひっぱると俺の顔を見やった。


「ゆ、雄二さん、私たちの学校もここから見えるの?」


 と、首を傾げる。優菜のその顔は好奇心に満ちていて俺は少し胸が苦しくなった。


「あ、ああ……そこの丘の上のでかい建物が見えるだろ? それが俺たちの通う学校だよ」


 俺が指さすと優菜はじっと目を凝らして学校を眺めていた。


「私はあそこで勉強したり友達と「授業退屈だね……」とかお話していたんだね……」


「学校か……」


 と、何やら羨望に満ちた眼差しで退屈なはずの学校を眺める優菜。


 俺はそんな優菜の横顔をじっと眺めていた。


 そして心から思った。


 優菜にとって学校がこのまま楽しい場所であり続けてくれればいいのにと。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ