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第一話 同級生の義妹

 とある平日の夜。飯も食い風呂にも入り、自室でだらだらとしているとあっという間に時刻は夜十一時を過ぎていた。適度に眠気がやってきてそろそろ眠ろうかとベッドのへりに腰を下ろしていると、誰かが自室のドアをノックする。


「お、お兄ちゃん、開けてもいい?」


 ドアの向こうからか細い声が聞こえノックをしたのが優菜だと気がつく。いや、声がする前から気がついていた。

 俺の父親の務めている会社は海外出張や海外転勤の多い職場で、十年前、つまり俺がまだ七歳だったころに同じ職場の今の母親と再婚し、そのまま共働きで家族を養ってくれている。それはとてもありがたいことではあるが、両親ともに仕事の都合上、家に帰ってくることはほとんどなく、現在父親は北欧に、母親はアメリカにそれぞれ単身赴任している。


 つまり、現在この家には俺、木浪雄二きなみゆうじと義妹の木浪優菜きなみゆなの二人しか住んでいないのだ。必然的に俺の部屋に訪れるのは義妹の優菜だけとなる。


「ああ、かまわないよ」


 俺が返事をするとがちゃりとドアがゆっくりと開き義妹の姿が現れる。


「どうかしたのか?」


 そう尋ねると、優菜は部屋の前に立ったまま「お、お兄ちゃん、あのね……」と相変わらず弱々しい声で話し始める。


「私の電子辞書の調子が悪いから、お兄ちゃんのやつ貸して欲しいんだ。明日の朝には元に戻しておくからいいかな?」


 と、妹はそれだけの頼みを、まるで憧れの先輩に告白でもするかの如くそわそわした様子で話す。


「ああ、別にかまわんよ。そこの机に置いてあるから適当に持っていけ」


 そう言うと義妹は「うん……」と頷いてすたすたと部屋に入ってくる。


 そんな義妹の姿を意味もなくぼーっと眺める。


 なんというか地味な女の子だ……。


 まあ地味さで言えば俺も地味な方だし人のことは言えないのだが、妹はさらにそんな俺の上をいっている。


 まずその身なりが凄まじく地味だ。


 俺は優菜以外に今どき黒縁瓶底メガネにおさげという、昭和のガリ勉少女のような格好をした女の子を見たことがない。もはやそういうコスプレに見えるほどだ。それだけならまだしも最近妹の体型がなんというかその……少しふくよかになりつつある。他人の体型のことをとやかく言うのはあまり好きではないが、妹のウサギのついた薄ピンク色のパジャマは内側から肉で圧迫されて張っていて、針で刺したらマリモようかんみたいにパチンと破けてしまいそうになっている。


 そんな妹を見て何だか勿体ないなあと思わずにはいられない。


 というのも、俺の知る限り妹の顔は元々かなり均整がとれていて、少なくとも俺と初めて出会ったときや、中学三年生の頃まではかなりの美少女だった。


 性格だってそうだ。


 小学生の頃の妹は活発な性格で友達も多かったし、兄である俺にだって積極的に話しかけてきていた。


 が、今はその真逆だ。


 教室にいても誰にも話しかけることもないし、俺とだってほとんど会話を交わさない。仮に話しかけたとしても、今みたいに何かに怯えるようにビクビクしていて、震える声で必要最低限以上の言葉は発さない。


 まあ要するに妹はここ二年ほどでいわゆる陰キャでボッチになってしまっていた。


 俺はそんな妹のことが心配だった。思春期という精神的に不安定になりがちな時期に何か悩みを相談するような友達もいないのだ。それどころか最近はクラスカースト上位の女子グループからブスだとかデブメガネなどというあだ名を密かにつけられているぐらいだ。このまま妹がイジメられなんてした日には目も当てられない。


 俺がそんなことを考えながら義妹を眺めていると、彼女は不意に俺の視線に気がついたようでビクッと身体を震わせると振り返る。


「ど、どうかしたの?」


「いや、別に何もないけど……」


「お、お兄ちゃんはもう課題終わったの?」


「俺がそんな優秀な人間に見えるか?」


 そう尋ねると優菜は少し困ったように黙り込む。が、すぐに口を開くと「で、電子辞書貸してもらったし、お兄ちゃんのぶんの課題もやっておこうか?」と相変わらず震える声でそんな提案をしてくる。


「いや、さすがにそれは申し訳ないよ」


「か、課題の内容は一緒なんだし、私のを写すだけだからすぐに終わるよ?」


 確かに課題の内容は一緒だ。というのも俺と優菜は一応兄妹という関係ではあるが、俺が数ヶ月早く生まれたというだけで学年は一緒なのだ。そのため二卵性双生児かなにかと勘違いされることもしばしばある。


「本当にいいのか?」


「うん、いいよ……」


 優菜はこくりと頷いた。


 彼女は優しい妹だった。さっきまで散々な酷評をしてきたが、妹は基本的にとても優しい性格をしていて俺は妹のことが大好きだ。それに比べて俺はずぼらな性格で炊事洗濯も苦手だし、最近では家事のほとんどを優菜に任せっきりの最低な男だ。優菜は文句ひとつ言わずに俺の服を洗濯してくれたり、弁当を作ってくれたりしているが、なんというか罪悪感で胸が押し潰されそうだ。挙句の果てには課題までやってくれると言っている。


 これは近いうちに優菜に何か恩返しをしたほうが良さそうだ。


 そんなことを考えているうちに優菜は足音も立てずに部屋を出ていこうとする。が、不意に足を止めると振り返って俺を見やった。


「どうかしたのか?」


 俺が首を傾げていると、優菜はいつものようにそわそわした様子で俺を見つめていた。


「お、お兄ちゃん……」


「なんだよ」


「お兄ちゃん、私、本当はね……」


 と、何かを言いかけてまた黙り込んでしまう。いつも挙動不審の妹だったが、今はいつも以上になにやら挙動不審だ。俺が不思議に思いながら優菜を見つめていると優菜は不意に俺に見つめられていることが恥ずかしくなったようで、ぽっと顔を赤く染める。


「や、やっぱりなんでもないよ……」


 と、そこで優菜は再びドアの方へと向くと部屋を出ていこうと歩き出す。


「優菜」


 そんな彼女を今度は俺が呼び止める。


「こういうことを言うのはなんだかムズ痒いけど、いつもいつも世話ばっかりかけて悪いな。お前には感謝してもしたりないぐらいに感謝しているぞ」


 普段優菜と話をすることなんかほとんどない。だから、こんなときでもない限り感謝を伝える機会もないと思った。素直に感謝の気持ちを伝えると、妹はそんな俺の言葉が意外だったのかビクッと身体を震わせる。


「べ、別に私は好きでやってるだけだから、気にしなくてもいいよ……」


 そう言うと逃げるように早歩きで俺の部屋から出て行ってしまった。


 どうやら彼女は褒められることに慣れていないようだった。バタンと妹には珍しく勢いよくドアが閉められ、廊下に彼女の足音が響いた。


 見た目はあんなだが、俺にとっては可愛い妹だ。


 そんなことを考えながら、俺は妹に申し訳ないと思いつつもベッドに入ることにした。


 が、その時だった。


 ドアの外からドカドカともの凄い物音がして俺はすぐに飛び起きた。


 何の音だっ!?


 俺は慌てて廊下へと出る。が、そこに妹の姿はない。俺はなにやら嫌な予感がして一階へと続く階段の方へと恐る恐る歩いていく。


 そして、


「ゆ、優菜っ!?」


 そこには階段の下でうつ伏せで倒れる優菜の姿があった。


 ま、まずいっ!!


 俺は階段を駆け下りるとしゃがみ込んで「お、おい、優菜、大丈夫かっ!?」と声を掛けるが返事は帰ってこない。


 どうやら優菜は階段から落ちたようだ。しかも運が悪いことに優菜は頭を床に打ち付けたようで、額からは出血している。


「お、おい優菜……」


 俺は彼女の身体を揺すろうとした。が、すぐに頭を打った人をみだりに動かしてはいけないことを思い出す。


 今になってみればやれることはいくらでもあった。が、情けないことに俺は血を流しながら倒れる優菜の姿に完全にパニックを起こして、呼吸を確認をしたり、何よりまず救急車を呼ぶという当たり前の行動に出ることができないで呆然と立ち尽くしていた。


 俺が冷静さを取り戻したのはピクピクと指が動いたことに気がついたときだ。


 俺は慌ててしゃがみ込んで妹の顔を覗き込むと、優菜の瞳が突然ぱちりと開いた。優菜はそのままゆっくりと上体を起こす。そして、不意に俺の方へと顔を向ける。


 瓶底メガネのレンズは割れてしまっていて、フレーム越しに優菜のくりっとした二重瞼の目が俺を見つめていた。


「お、おい優菜大丈夫かっ!? い、今すぐに救急車を呼んでやるからなっ」


 そうだ。そこで俺はようやく救急車を呼ばなければならないことを思い出して立ち上がろうとした。が、その直前に俺の袖を優菜が力強く掴んでそれを阻止する。


 振り返ると優菜は頭の痛みに表情を歪めながらも俺を見つめていた。


「へ、変な質問をしてもいいですか?」


 と、優菜は何故か敬語で俺にそう尋ねた。


「は、はあ? 別にいいけど……」


 そんな優菜に俺はやや困惑しながらもそう答えると、優菜は俺を見つめたまま首を傾げる。


 そして、


「わ、私はだれ……ですか?」


 俺の義妹はこの日から記憶喪失になった。


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