満を持して再誕したドラゴンは子供でした
「ーーーーーにこれっ! ーーーーーいんだけど‼︎‼︎」
「ーーーーーとか失礼ーーーーないですか‼︎」
「ちょっと兄さん‼︎ 起きなよ‼︎ 兄さんってば‼︎ ピンチ、大ピンチ、もちょーピンチ‼︎ 起きてってば‼︎」
痛い。そんなに肩を強く揺すったら痛いから止めて欲しいところ。
「…………何やってんのクレア。こんな朝っぱらからさ」
寝違えてもいないのに、自身の首元を労わりながらゆっくりと起きる。
首を左右に振って態とらしく肩の周りが痛いとクレアーーー妹にしてみせたが、当の本人にそんなことは気にならないようだ。
「ドラゴンだよ‼︎ 変なちっちゃいドラゴンがここにいるんだってば‼︎‼︎ きっと兄さんのことを襲いに来たんだよ‼︎ 早く退治しないと‼︎ それに子供でもドラゴンはドラゴン! 慎重に構えないとね兄さん!」
そういうことか、まぁこればかりは仕方がないのかな。
要するにクレアは、俺の部屋にいたこのドラゴンを敵だとみているらしく、明らかに齟齬を生んでいる。
いやそれにしても本気になり過ぎだろうに、クレア。
クレアは壁に立て掛けてあった箒を手に、ドラゴンから最大限に距離をとって臨戦態勢。
赤い瞳は普段と違いやや吊り上がっていて、口はうーっと小さく唸っている。
「変な誤解はやめていただこうかい‼︎ 誰が寝込みを襲うようなことをしますかね! 他のものはどうなのか知らないけど、僕はそんな小賢しい奴じゃないですよ!」
えっ、寝込みを襲うとか小賢しい云々よりも。
「お前話せるのか?」
昨日は全く言葉を話さなかったのに、起きてみたら当たり前のようにドラゴンは言葉を口にしていた。
「そうですよ? 意外でしたか?」
「あぁ、そりゃもう凄くな」
というか昨日の厳かな雰囲気は何処へやったんだ。
小さくなっているから声音は仕方ないとして、口調が変わりすぎだ。
「あの時は灰から出てすぐだったからですよ。というか今はそんなことより……」
言葉を少しだけ溜め、ドラゴンは続ける。
「小賢しいってなんですか! 僕は小賢しくなんかない!」
再び話を逸らした。
「どーだか。というか、そうやって兄さんの背中に隠れてる時点で、ほんとにどーだかね! ほらっ! 早く出て来なさいよ‼︎ 私が退治してあげる‼︎」
いや仮に小さくなっていても相手は本物のドラゴンだから。
軽視し過ぎだから。
魔法の一つでも使われたら俺たち一般人なんて目じゃないから。
退治されるのはドラゴンじゃなくてクレアのほうだから。
「撤回してくださいよ! 僕はそんな小賢しい奴じゃないし、そもそも敵じゃありませんしね! 大体僕が隠れてるって言ってますが、そんなこと言っていいんですか? この君の大好きなお兄さんがどうなってもいいんですかい?」
おっと人質を取るとは。こいつ本当に強力なあのドラゴンなんだろうな。
というか幾ら再誕したとはいえ、性格や口調まで子供になるとは。
背中に隠れるドラゴンを見る。
俺の齢は十六。まだ未完成と言えるだろう俺のその背中にスッポリ収まるドラゴンは「なんだい」ともの問いたげな表情を見せた。
「小賢しい奴じゃないってよく言えたわね! キミが今やってること自体が小賢しいじゃない!」
このまま言い合っていても平行線か。
「落ち着いてくれ。二人とも」
そうやって言葉を掛けながら、まぁまぁと両の掌を挙げた。これでどうにか落ち着いてくれないものか。
「二人じゃなくって一人と一匹でしょ兄さん。そこは大事なところだよ?」
そうですかすいません。
「そうです訂正してください。二人じゃなくてブタとドラゴンなのだから」
急に団結するのはやめてくれ。些かというか甚だ対応に困るので。
「だぁーれがブタですってぇー⁉︎ これでも私、ちゃんと体型維持してるんだからね⁉︎
そっちこそ、そんなに幼い姿じゃもうドラゴンに見えないわよ! 只の弱っちいトカゲじゃない!」
「だぁーれがトカゲだって言ってるんです? そんな下等生物と一緒にしないでいただこうかい! このブタめ!」
おっとここでどうやらトカゲに飛び火のようです。そんな風に解説してみるけど、そろそろ本気で間に入らないとまずいのか。
クレアの眉間の皺が段階的に深くなっていっている。
「あったまきた! ちょっと兄さんどいて! この生意気な子には制裁が必要だから!」
「もう我慢できないですね! さっさと起きてそこをどいてくれませんか! このブタに一矢報いないと!」
「「ほら! どいてよ!」」
だから急に団結するのはやめていただきたい。
慌しい喧噪の中、そうして部屋は暖かで優しい陽の光に包まれる。
それから二人が和解するまで俺は全力を尽くした。
「ちょっと待って。兄さんホントに言ってるの? この何処のドラゴンの骨……じゃなかった馬の骨とも分からないこの子の為に旅に出るの?」
「おい誰が馬の骨だ。ちょっと話を……」
もう本当に話が進まないからやめて欲しい。頼むから。
「………話を逸らすなよクレア。それにえっと……なぁ俺たちってそういやまだ自己紹介してないな?」
「そういえば。なら、僕から名乗らせてもらおうかいな‼︎」
翼を精一杯に広げて続ける。
「僕の名前はブルーン! そのままブルーンでお願いします! 小さいけど本物のドラゴン‼︎ これから宜しく!」
翼を折って前に差し出してきたが、これは握手をしようということなのか。
解らずに取り敢えず手を出して握ってみる。するとドラゴンーーーブルーンはニッと笑う。
「ブルーン? 分かった、どうして私がキミのことが嫌いなのか。私プルーンって果物が大嫌いなんだ。そう、そういうことか」
いやなに真顔で納得してるんだ。そういうことじゃないだろうに。
「……若干思うところもありますが、僕はドラゴンの中のドラゴン。まぁ許しておきましょう。それで、名前は?」
「オ、オリヴェルだ。俺のことなんて呼んでくれても構わない。これから宜しく頼む」
あっと表情で何か言いたげなクレアの口を手で押さえながらそう言った。
「んー! んー! んー!」
文字通り口を封じられたクレアが地団駄踏みながら怒るが、今それはどうでもいい。
というかこのまま解放してまた話を逸らされては困るので、この状態を保っておいた方がいいのかもしれない。
「さてブレーン。急に旅立つといっても、まずは準備が必要だろ?」
「何言ってるんですか。準備なんて必要ないでしょうに。取り敢えず王都まで行ってチームを作りましょう。そうして出発しましょう」
「っぷはぁ! 兄さん鼻まで塞いでたよ。呼吸出来ないじゃん。それに本気で言ってるの兄さん。こんな行き当たりばったりで行くの?」
「………共感するよ。ブルーム、正直言ってそんなのじゃ俺は絶対に上手くいかないと思うぞ。
まず何より大切なのは金だ。遥か遠くまで行くのなら金が必要だろ?」
「それはどうにかなりますって! 僕は聡明なドラゴンですよ? きっと引く手数多です」
こんな馬鹿で短絡的な手立てで、この先上手くやっていけるとは到底思えないし、十中八九その通りだろう。
思えないが、これ程幼くなったとしてもこのブルームはドラゴン。本当にどうにかなるのかもしれない。
「…………………………そうだな」
まぁこの慮らない考えに同意している時点で、俺も十分愚陋といえるのだろう。
「それはそうともっと困難なことがありますよね? 両親の了承を得ないとですよ? 唐突に町を出るなんて言うんですから、出来るだけ言葉を選んで説得しま」
「それについては大丈夫だ」
「遺憾だけどそうだね……」
ブルームの言葉を途中で遮って言った。するとクレアも軽く下に目を落としながら同意する。
「どうしてです?」
それはこれから分かるさ。
その女性は愚物を見るような目で俺たちを上から見下ろしている。
五十を超えた顔には深くはないにせよ皺が刻まれていて、頭髪には纔かに白髪が見てとれる。
病的とまではいかないものの、細く折れそうな両手は腰の横に当ててえらく大きな態度だ。
「それで出てってくってのかい、この家を。クレアもそうなんだね?」
短く言った、明らかに軽蔑の意が含有されているその言葉にクレアは首肯する。
「はい。今までお世話になりました」
「そうかいそうかい、それは酷く残念なこった。こんなに大切にしていた者達を、手放さなければならないなんてね」
「どっ……」
どの口がそれを言うんだという言葉が喉まで出かかったが、クレアの沈痛な憂いた双眸を見て心の内に閉まう。
あなたが俺たちを「者」ではなく「物」として扱っているだろうに、なんという皮肉か。
「で、そっちのは何だい。その気味が悪い変な生き物は」
「気味悪いとはなんだい! 僕は幻獣の中の幻獣、ドラゴンだ! そっちのとかやめてもらおうかい!」
言い返されて憤るかと思ったが、この人はそれをしない。代わりに向けてくるのは不愍、気の毒になんて表現できる目だ。
「お前達も立派になったねぇ。そうかいそうかい、そんなに固い意志を見せられたらおばさん何も言えないわ。
頑張りなさい、それじゃあね」
俺たちがこの部屋に来て会話を始めてからまだ五分も経っていないだろう。
それを固い意志とは。出て行って欲しいなら単刀直入に早くそう言うべきだ。こっちも喜んで受け入れるのに。
「分かりました、ありがとうございます。おばさんもその元気なままでいて下さいね、俺たちを蔑むその元気な目のままで」
「ちょっと兄さん! 幾ら何でもそれはあんまりじゃ……」
「そうね。お前たちもせいぜい……」
おばさんの言葉を最後まで聞かず、俺はクレアとブルームーンを連れて扉を閉めた。
いつか家を出る時の為にと貯めておいた貯金箱を割り、そのお金で王都への馬車に乗った。
「………」
沈んだ顔のクレアは、いつまでもその馬車の木の床を見ている。
「えっと、その、あの……ですね」
状況がよく掴めずにしどろもどろに狼狽えるブルームが、そんな間抜けな声を上げる。
が、決して触れてはいけない禁忌だと感じとって口を閉じる。
こういう時どういう言葉を掛ければいいのか、俺には全く分からない。
分からないが、今はこの沈黙が痛かった。
「クレア、町に出たら何食べる?」
「え?」
突然話しかけられたクレアが、困惑して顔を上げる。その赤い瞳の端に溜まる涙を見て、俺は言葉を続けた。
「何処に泊まる? ちょっと観光でもしてみるか? どんな人がいると思う? どれくらい賑やかだと思う? どれくらい王城が大きいと思う?」
「え? え? え?」
俺の質問が増える度、同じ数だけ疑問符が頭上に浮かぶようだった。
「本物の騎士と話して見たいよな。どんな風に話すのかな?」
「ちょっと待ってよ兄さん急にどうしたの? そんなの私、分からないよ」
「そうだよな、俺にも分からない」
いよいよ話が読めず、大きく首を傾げた。
「どんな宿屋があるか、どんな人がいるか、どんなお城があるか。
そのどれもを俺たちは知らない。見たことがないからさ」
「うん、確かに何にも知らないね」
「だから…………そんな暗い顔するなよ」
クレアの心に染み込んでいくのを待つために、俺はゆっくりと言葉を投げ掛ける。
「え?」
「ワクワクするだろう? だってこれから俺たちが見るのは全部が全部、初めてなんだ。
その初めてを見るのにそんなに暗い顔じゃ、きっとクレアも楽しくないよ」
「…………………………」
何も言わず悶々と瞳を揺らすクレアには、俺の言葉は届いているのだろうか。
「あーもう俺自分で言ってて何言ってんのか分からなかなってきた」
戯けた口調にしてみせた俺の言葉に、ゆっくりとクレアの唇の端が上がっていく。
ポリポリと左の頬を左の指で掻きながら、最後の言葉を続ける。
「何言おうとしたのか分かんなくなったけどさ、俺が言いたいのはそう。
『きっと楽しい旅になる』ってこと、かな」
言い終わると同時に、クレアが目尻をゆっくりと落としていく。
「ありがとうお兄ちゃん」
馬車に燦々と入り込む光がクレアの顔を、涙を明るく照らす。
無邪気にはにかむクレアの笑顔が酷く印象的だった。