赤毛の美女、猿渡千夏
2度目に訪れたあの世界で浅野白秋という心強い人物と出会った。
だけど、桜山周子とは話せなかった。
もしかしたらもうあの世界に行くことはないかもしれない。でもまた迷い込むかもしれない。
桜山周子に会いたいという気持ちは日を重ねるごとに大きくなっていた。
あの世界がなんなのか、2度目の世界で何があったのか、話したいことはたくさんある。
だから自分は木の板、周子のいうところの竹簡を持ち続けていた。自分を苦しめている原因のものだから、捨てることもできたはずだ。
しかし捨てられないでいた。
現実世界での自分の生活にも変化があった。
大学内で浅野白秋がよく絡んでくるようになった。
二度目の世界から3日後。
自分は白秋と2限目の講義が終わったら大学近くのスープカレー屋へ行く約束をしていた。
「んんん〜〜、ウマいっ! やっぱここのスープカレーは最高だな」
「平和に食事が取れるって、ありがたいっすよね」
「だあから、なんで敬語? 姿が変わると性格まで変わるか? あの世界の春人はもうちょっと堂々としてたぞ? ホントにあの春人? なんか遠慮してる?」
「なんか、長年のクセっていうか、自分なんかと一緒でスミマセンって気分になるんスよね」
「春人、一体どんな学生生活送ってきたんだ? 俺から誘ったんだから、自信もってよ!」
「ウン…善処する」
「お前はお役人か!」
現実世界での浅野白秋は白髪に金色の瞳ではない。茶髪だが栗色の瞳が似合っていて清潔感のある姿だ。
あの世界では髪と瞳の色が変わるようだった。つまり、きっと桜山周子も現実世界では金に染まった髪と瞳ではないかもしれない。
白秋が運ばれてきたサラダを咀嚼しながら話す。
「俺さ、史学科に知り合いがいてあの竹簡を見せたんだけど、まったく取り合ってもらえなかったぞ? この手のものは、100パーセント贋作だって。仮に本物なら博物館レベルで、まず市場に出回ることはないって。つーことは、このアイテム自体はニセモノ。古代中国の出土品とした周子ちゃんの仮説は大間違い。ただ、周子ちゃんの仮説どおり、オカルト的な鍵になってる可能性はあるんだよな」
「古代中国の物ではないけど、この世界とあの世界を繋ぐ鍵である可能性が高いってこと?」
「そういうこと」
目の前のスープカレーが美味しい。ゴロゴロ入っている大きな野菜は、スープの辛さを受け止めて絶妙なコンビネーションを生み出している。
「それで、その知り合いに頼んで読める人を探したんだよね。そしたら知り合いの知り合いの知り合いが解読してくれた。これ漢字だけど読める人結構少ないみたいよ? 14歳で読めちゃう桜山周子ちゃんナニモノ?」
「そうなんすね、周子さんは辞書もなく読んでましたけど」
「あー、もう、春人!敬語禁止!
それで、これが解読結果」
『金、その本性は従革。載ち干戈を集め、載ち弓矢を裹む』
「漢字だけどわかんないスね」
「五行思想を書いているだけでたいした意味はないらしい」
「五行思想」
実は自分は桜山周子が山之内書房で集めた本を読み進めていた。桜山周子は消えたが、集めた本は自分のリュックサックに残っていたからだ。
少しでも桜山周子の考えに近づきたかった。
……ん? まてよ。自分、キモくない?
客観的にみてストーカーになってない?
「浅野さん、自分、キモくないすか?」
「あ?その質問自体がだいぶキモいよ?大丈夫?」
「女子中学生を追いかけて、なんかストーカーみたいじゃないですか」
「いやいや、しょうがないでしょ! あんな世界に行っちゃって! あの世界で知ってるのは俺と春人と周子ちゃんだけなんだし。それに少なくとも俺らよりはなんか知ってそうなんでしょ! 知りたいと思うのが普通だよ。
俺はそれよりも同級生の敬語がキモいよ」
あの世界の話はこれ以上はしなかった。自分も白秋も大学の単位のことや就活のことなど、現実世界でもそれなりの課題に追われている。大学生って遊んでいるイメージだけど案外忙しい。
スープカレーを食べ終わり店を出た。
また、メシ食おうぜ! と言って白秋は颯爽と過ぎ去っていった。白秋とはあの世界で出会わなければ、きっとこうやってご飯に行くこともなかっただろう。
少し胸のあたりがじんわりとした気持ちで大学へ戻った。
あの世界へは行きたくないけど、行きたい。
2つの矛盾した心を持ったまま、その日は5限目の講義を受けていた。
大教室の前から3列目。大学の教室は面白いもので、一番後ろの席から埋まる。前列中央の席は、教授の気まぐれで指名されることがあるから不人気だ。友人もいない自分は前から3列目の左端がベストポジションだ。
出席を取り退屈な講義も終わるころ、いきなり世界の色彩が変わった。
あの世界だ。
自分は電気だけがついた大教室に1人残された。
時計の針は18時45分。
前回や前々回と違うパターンだ。
全身の皮膚が、特に背中が熱い。
熱さから解放されようと力を入れると、黒い羽根が生えた。
熱さに耐えているといつのまにかツノが生え、服も入れ替わり、自分の容姿は変貌を遂げた。
いっつもこうやって変わってたのかよ。自分よく寝てたな、と感心さえしてしまう。
誰もいない大教室は恐ろしく空っぽにかんじる。
もしかしたら、大学内に白秋がいるかもしれない。いつものようにリュックサックを腰に下げて、白秋が近くにいないか探すことにした。
1階から学生食堂のある17階まで、黒い翼で登ってくまなく探したが、白秋の姿はなかった。
白秋とは今日の昼には会ってたのに。
集合場所でも決めておけば良かった。
もしかしたら白秋の講義は終わって、浅草のアパートに帰っているのかもしれない。
17階学生食堂の窓から東京の景色を眺める。
日はすっかり暮れて外は真っ暗だ。夜のこの世界は周りが見えなくてひどく恐ろしい。
こう暗くては、空から人を探せないだろう。
桜山周子の探索は前回よりもっと難しそうだ。
帰る方法もまだわかっていない。しかし二度の経験を考えると、この場で時を過ごすのは最もよいのではないか。
いや。
こうしている間にも、桜山周子や浅野白秋も同じように迷い込んでいて黒い鬼や青の蝋人形のような敵に襲われているかもしれない。
自分には生身の人間よりは多少力がある。人間に毛が生えた程度だが、力にはなるだろう。
自分は大学の建物を出て、夜空を舞った。
曇り空で星は見えない。
何に襲われるかわからない以上、地上も空中も油断ならない。
治明大学の屋上に降り立つ。
大学の屋上へ来るのは初めてだ。
ふと遠くを見ると、ビル群の隙間が赤く染まっている場所がある。東京駅方面だ。
あの赤い光はなんだろうか。
ネオンにしては光る範囲が不規則だ。動いているようにもみえる。
火事にしては煙がない。
行かない理由はなかった。
もしかしたら、桜山周子か浅野白秋が居るかもしれない。何かに襲われて逃げているのかも。
羽を広げて、赤い光を放つ方向へ向かった。
東京駅上空。
赤い光の中心には美女がオレンジ色の空気を纏って立っていた。
イマドキの雑誌に出てきそうな背の高い女性だ。ロングの髪も瞳も服すらも赤い。真紅のロングコートからすらりと長い足が伸びていた。
こちらに気がついて目が合った。吸い込まれそうな赤い瞳に全身が動けなくなる。
「あなただれ? もしかしてラスボス?」
「いや、俺は、いまはこの姿だけど人間です!」
「なにそれ、あやしさ満点だよ。そうやって油断させる作戦?」
「いやだから自分は」
「この世界は一体なに? 早くもとの世界に戻してよ」
自分の周りに炎のような熱が巻き上がる。
おおっ!? 羽が燃えたら一巻の終わりだ。
自分は熱から逃げるように、高く飛び上がる。
この女性は炎を扱えるということか。
五行思想に当てはめると、自分は「木」、周子が「土」、白秋が「金」について持っている。残りは「火」と「水」だ。
もしかしたら、「火」の竹簡を持っているかもしれない。
なんだかモンスターを集めるゲームみたいだ。
「あの! ちょっと話を聞いてくれませんか?」
「その手には乗らないってば」
話し合いに持ち込めそうにない。ああ、こんなときに白秋のようなコミュニケーション能力があれば。自分には素質も経験も足りてない。
どうしたら信頼を得られるんだ?
ええい、なるようにしかならないだろ。
「知ってること教えるからどうかその魔法をやめてくださいお願いしますっ」
「ふうん。じゃあ、両手を上げて地上に降りてきて」
赤髪の美女の言うとおりにする。モデルのような派手な顔立ちだ。彼女もまた自分の顔をまじまじと観察する。
「あなたの顔、よく見るとCGみたい。肌にホクロひとつない。ホントに元人間?」
「元人間はソバカスだらけのブサ男です! この世界に来ると姿が変わって、このとおりスマホゲームのキャラクターになります!」
「あはっ! なにそれ。でもたしかにスマホのゲームに出てきそう。姿に似合わず面白いこというじゃん。それに、それリュックサック? その姿に似合ってないよ! ふふ、ちぐはぐでおもしろっ。敵っぽくはなさそうだね」
彼女と自分の間を中心として、直径10メートルの周囲に半径高さ2メートルほどの火柱が円形に立つ。
炎とは違う熱風があたりを取り巻く。
昼のように明るい。
美女の光沢のある肌に熱風の赤が反射する。
「これでアカオニさんは来ないよ。さあ、あなたの知ってることを話して」
自分は前回のこと、前々回のこと、桜山周子を探していること、浅野白秋と出会ったことの一部始終を話した。
美女を前に緊張してしまい、とりとめのない説明になってしまったが、信じてくれただろうか。
「それで、竹の板がカバンに入ってませんか?」
「竹の板。あなたの説明だと、この世界に迷い込んだ人が持っていたアイテムね」
猿渡千夏が高価そうなカバンを探る。
「実はあたしも持ってる。あたしもこれが怪しいと思ってたんだよね。これ気持ち悪いじゃん? でも、どこかに置いてくることも捨てることもできなかったの。なんでだろう。たぶん好奇心かな」
自分も同じだ。恐怖心や猜疑心の奥に隠れている好奇心から、この奇妙なアイテムを離すことができない。
「10:36、10:41、そして今日。ウン、同じだ。わたしとまったく。特別に信じてあげる。でも、もし裏切ったら問答無用で羽根ごと燃やすからね。
それで、あなたの名前は?」
「榎元春人。木に夏にゲンの元に春の人」
「あたしは猿渡千夏。猿の綱渡りにセンのナツ。セレクトショップ勤務しながらデザイナーを目指してるよ。
あたし、この世界にくると目が良くなるんだ。ほんとうにすごくよく見えるの。今ならビルの高層階にいる人の顔まで認識できるよ。誰もいないけど。
でもさ、見えるからってなにができるわけじゃないんだよね。メガネの度数を上げるのをイメージしてみて。1回目に来た時は見え過ぎて酔って気持ち悪くなって散々だった。赤い鬼から逃げるのに精一杯! それで赤い鬼に追いつめられてピンチってときにこの魔法を使えるようになったの。使いたいイメージをそのまま使えるってすごく便利!」
イメージすれば力を使える。力の方向性は違うが、自分も白秋も同じかもしれない。
この世界は精神的な力が作用しているのだろうか。
「それで前回なんだけど、餓鬼をひととおり倒したあと、ひたすら南に移動してたらいつのまにか現実に戻ってたんだよね」
「ひたすら南に?」
「誰にも会わなかったから、移動してみたらどうかなと思ったの。熱量のコントロールが不安定だったのと餓鬼さんが邪魔だったから時間かかったけど。
そこが出口なんじゃないかなと思ってる。今日もこれからその場所へ向かっているところだったの。春人もいく?」
もちろん、行かない理由はない。
「猿渡さん、案内お願いします」
「千夏でいいよ。猿渡って名字、あんまり気に入ってないんだ。この世界の出口は銀座を抜けた先だよ」
千夏の案内でこの世界の出口を目指す。
自分は桜山周子のように仮説を立てた。
誰か1人が出口から出たら、現実世界に戻ることができる?