東京の空をバイクで飛ぶ
治明大学17階の学生食堂は学生にはもったいないくらいに見晴らしがいい。東京の街が一望できる。
家を出た頃は突き抜ける晴天だったのに、空は厚い雲で覆われている。
「1週間前? 10時36分? 覚えてないなー。 映画観てたかも」
浅野白秋は自分と同じ大学3年生。治明大学商学部。浅草のアパートに一人暮らしで、居酒屋のバイトを辞めて就活準備中。
今日は大学の就職セミナー中に寝ていたら、いつのまにか誰もおらず、気がついたらこの世界にいたそうだ。
自分は浅野白秋に、桜山周子のこと、前回この世界であったことの一部始終を打ち明けた。
「で、なんで周子ちゃんのケータイ聞いてないんだよ。ナンパの基本だろうが。ナメてんのか」
「いや、自分そういうの苦手で」
「あ! わかった! おまえ現実世界だと陰キャだろ。話し方でわかるぞ。イケメンなのになんで?」
「いや、イケメンなのこの世界だけ! 現実はもっとブサイクだよ」
「ふーん、もったいない」
どうせ俺はナンパもしたことのない陰気なキャラだよ。てか、陰キャをナチュラルに見下してんじゃねーよ。
……と言いたいところだが、言えないところがコミュ障ぼっちの性質だ。
ははっ……と笑ってお茶を濁す。白秋は自分を陰キャと言った。しかし陰気なキャラ側の立場から言わせれば、陽気なキャラとは距離を置くことが現実世界における自分の鉄則だ。世界でコイツと2人きりという今の状況じゃなければ、絶対に一緒に飯を食べたりしなかった。
「ほら、ケータイ。まだ電池あるんだろ。今のうちに連絡先交換するぞ。俺たちしかいないんだから。ま、ネット繋がらないから今は意味ないけどな。もし元の世界に戻ったら使えんだろ」
「おう」
抱えたモヤモヤをぐっとこらえて、スマホを取り出して白秋と連絡先を交換した。
自分の少ないアドレス帳に、浅野白秋のアドレスが増えた。きっと白秋のアドレスの登録人数は自分の何倍もあることだろう。
「そういえば、アイテムの古びた木の板。俺も持ってんのかな。春人が熱を上げてるJCの周子ちゃんが言ってたんだろ?」
「あと3人居るとかなんとか」
白秋が自身のショルダーバッグをゴソゴソと漁る。
「ん?」
「お?」
「ちょ! あったんだけど、まじか! いつから?えー、俺なんで気がつかなかったんだ?」
白秋が目をキラキラさせて楽しそうに笑う。いつのまにかカバンに入っていたシチュエーションは、自分と全く同じだ。
「それ読める?」
「は? これ文字な訳?」
「桜山周子曰く、漢字らしい」
「こんなん読めるわけないだろ」
「だよなあ」
桜山周子はなぜ読めたのか。
浅野白秋の竹簡には何が書かれているのか。
やはり、会って確かめたい。
「JCの周子ちゃん、探しに行こうぜ。俺も協力する」
「えっ?」
「俺、ここで他にやることもないし。春人が会いたいんだろ?顔に書いてある。ってか、春人ってわかりやすいのな」
「そうか?」
「それで、周子ちゃんはもちろん可愛いんだろうな?」
「そりゃまあ」
「よし!決まり!」
浅野白秋が膝を打ち鳴らして席を立つ。
「外は訳わかんないオバケだらけだけどさ……、俺たち、案外相性良さそうだぞ。ゲームで言うと、春人が戦士で俺は魔法使い!きっと強いぞ」
「そうか?」
「俺たちは強い。仮にウソでもそう思っとくの!こういう世界ではメンタルが大事よ野生の勘だけど」
「自分の話、聞いてた?外に出ると結構サバイバルだぞ」
「俺たちは強いっ!」
少年漫画の主人公のような言い方に思わず笑ってしまった。
浅野白秋。現実世界では少し苦手な人種だけれど、不覚にもこの世界では心強いのかもしれない。
「徒歩は効率悪いな。電車は動いてないし。春人、その羽で俺を抱えて飛べる?」
たしかに桜山周子をこの姿で運んだことはある。しかし成人男性はキツいし、両手を塞がれると敵が現れたら詰む。
「いや無理。できなくはないけど長距離には向かないぞ、危ないし」
「そっか、じゃあ俺のバイクで行くか」
自分たちは白秋のバイクが置いてある駐輪場へと移動した。
建物外には餓鬼たちがいたが、白秋が「去れ」というと餓鬼は消えた。浅野白秋はたしかにRPGの魔法使いのようだ。現に俺が白秋の真似をして「去れ」と言っても餓鬼はキョトンとしているだけで消えなかった。まあ、いまや餓鬼は恐れなければ襲ってくることはないが。
「春人、後ろ乗ってよ。ヘルメットは……そのツノで被れそうにないな」
白秋のバイクはYAMAYA製の250cc。白秋が型落ちのものをバイトで買ったと言う。青い車体に手入れが行き届いていてカッコいい。
白秋がヘルメットを被りながら呟く。
「でも、行くあてもないな〜〜。周子ちゃんどこに居るんだろ。神保町に居たのなら神保町内から出ないほうがいいのかな」
「神保町内はさっき回った」
「そうだった。さっきサスライのイケメン妖怪がフラフラしてたわ。ヨシ!それじゃあ、手っ取り早く探し人を出現させちゃおう!俺の魔法の出番だ!出てこい!俺の友達!桜山周子!」
「妖怪が出てくるメダルかよ!それに、周子はお前と面識ないし!」
もちろん桜山周子は現れない。
白秋の魔法とやらは餓鬼にしか効かないのか。
「じゃあ、高い位置から探そ。なんか考えが見つかるかも!とりあえず東京タワーだな」
「東京タワー?なんでまた」
「俺、スカイツリーより東京タワーのほうが好きなんだよね。浅草住んでるけど。なんか情緒あるじゃん?理由はそれだけ!」
目的地はない。とりあえず移動する。だからどこへ行くかは異論はない。
自分は白秋のバイクに跨った。
「運転よろしく」
「まかせろ」
こうして、白秋のバイクで東京タワーに向かうこととなった。
道には餓鬼たちがウヨウヨと動いている。
餓鬼たちは白秋の声を聞くと消える。しかし、あまりにも数が多くてキリがない。白秋もだんだん面倒になったらしい。
餓鬼を避けながら時には突進しながら治明大学から駿河台下交差点を抜けて竹橋方面へ走った。
「餓鬼まじ邪魔なんだけど。春人、飛べない?」
「走ったまま抱えて飛ぶってこと?」
「違う違う。俺と春人の力を合わせるってこと!イメージして!アレアレ!自転車で宇宙人カゴに入れて飛ぶイメージ!15歳になったらほうきで旅に出る魔女でもいいよ!」
「まさかのジブ男!? 白秋、おまえもか!」
「いいからいいから!さあさあ!飛べ!」
目を閉じて黒猫とほうきに乗る魔法少女をイメージする。いや、むしろ自分が乗るならほうきよりも馬がいい。天を駆けるペガサスに乗る自分、なんて中二病みたいなことを考えていたら、白秋が素っ頓狂な声をあげていた。
「おおおおお?!飛んでる??俺たち、やればできるじゃん!!」
目を開けると、目下眼前に皇居の緑とその奥のビル群が広がっていた。
成人男性2人を乗せたバイクも飛べてしまうなんて、やはりここは夢の世界だ。
「空飛んでる!いえーい!春人すげえな!」
「おい!安全運転しろよ!」
「まかせろ!東京タワーまでひとっ飛び!」
竹橋の上空を過ぎる。
白秋は風をきって東京タワーまで直進しようとした。
その時、白秋のバイクが見えない膜に弾かれた。
「うわ、なんだ!?」
「どうした?!」
「なんか、透明な障害物があって進めないんだけど」
「ゲームの進めないフィールド的な?」
「そうそうそれそれ!仕方ない。迂回するか。あれ?エンジンが効かない」
「は?」
その瞬間、糸が切れた凧のようにフラフラとバイクが降下しだした。
「おいおい!まじかよ!春人なんとかしろよ!」
「なんとかってなんだよ」
「こうするんだよ!浮きあがれ!」
「あ。ちょっと浮いた……でも落ちる!」
上空30メートルくらいの地点から緩やかな軌道を描いて、バイクは落ちていった。
自分は白秋の体重とバイクを支えながら、皇居の近くの公園になんとか着地した。
「はぁ、無事だった。春人、サンキュ!」
「バイクで空を飛んだと思ったらこれかよ。なんなんだこの世界。怪我するし殺されそうにもなったし。ヤだなもう」
「まあまあ。俺は結構楽しいぞ?何事も楽しめよ!」
白秋のポジティブが羨ましい。
「そういえば、ここ初めてきた。春人は来たことある?」
「自分も初めてだ。皇居近くにこんな公園があったんだな」
埼玉県出身の自分は東京は馴染み深いが、それほど詳しくはない。
公園のまわりを見渡すと、公園に餓鬼は居なかった。公園にはオシャレなレストランと、大きな噴水がある。
こんな世界でなければ、美しくのどかな光景だ。
ちょっと安心したら喉が渇いた。
自動販売機はないかとあたりを見回す。
その時、噴水の反対側に見覚えのある背中を発見した気がした。
木の下に佇む1人の少女。
金色の髪。シックな紺のコートに、白のタイツ。
その立ち姿をみて、思わず声をあげる。
「桜山周子」
「えっ、どこ?」
白秋に説明することもせず、自分は少女の背を追いかける。
桜山周子には聞きたいことがたくさんある。
この世界のこと。仮説のこと。
仮説のとおり、白秋は竹簡を持っていたこと。竹簡に書かれていること。
駿河台下交差点の殺人事件のこと。
あの日、なぜ消えたのか。
桜山周子は幽霊なのか生きているのか。
「周子!」
彼女が振り向いた気がしたその瞬間、世界の色彩が変わった。
曇天から、突き抜けるような晴天。
公園内には観光客やカップル、散歩中の親子が溢れかえる。
自分の黒い羽も消えて、もとの冴えない自分の姿に戻る。
日常が戻ってきた。
さっきまではたしかに存在して追いかけていた金髪の背中は消えた。少女が居たはずの場所は公園の風景に同化する。
後ろを振り返ると、浅野白秋がバイクを掴んだまま困惑した表情を浮かべていた。
公園に桜山周子の姿はなかった。