犯人は乾竜馬
「迷わず来られたわ」
黒髪の桜山周子がスターバックスを訪れた。華奢な体に似合わない紺の重たそうなコートに、白いタイツ。黒い靴。長い黒髪。現実世界で会うのは実は初めてだ。日本人形のようだ。
「よかった。周子ちゃん。迷子にならなくて。あたしの隣の座って!何飲む?買ってきてあげる!」
「ありがとう、ココアを」
「ホットでいい?買ってくるね」
千夏が席を立った。
自分の対面に座った周子が、自分の顔をまじまじと見てくる。
「榎元春人、よね?」
そうだった。忘れていたが、自分はあの世界とこの世界で姿が違う。今の自分はイケメン妖怪ではなく、ファニーな顔と言われて女の子にフラれたことのある顔だ。
「はいっ!自分が榎元春人です!よろしくお願いします!」
しまった、テンパって変なことを口走ってしまった。
「え?なになに?2人は初対面なわけ?」
乾のおじさんがこちらを指差して問う。乾のおじさんには、周子が来るまでの間に、ひととおり、自分と白秋と千夏が経験したことを話した。
ペラペラと白秋が解説する。
「あっちの世界で春人はイケメンに変身するんだけど、こっちの世界ではこの姿なんだよねん。周子ちゃんと現実世界で会うのは初めてってわけ」
「あーあ、そういうこと。なるほどなるほど」
乾竜馬は狭いカフェ内の2人分のスペースを使ってどかりと座り、周子に対して威圧的な口調で言った。
「で、オレになんか用?」
「あの世界について知りたいの」
「あの世界、この世界じゃわからん。もっと具体的な固有名詞は持っとらんのかね」
「それなら、『仮想世界』。『現実世界』の対義語として定義するわ」
「ふうん。それで?」
「春人達からはどこまで聞いているかしら。『仮想世界』の条件は、竹簡の所有者5人が東京タワーとサンシャインとスカイツリーを結んだエリア内に集まること。
この竹簡、わたしは古代中国のものと仮説を立てている。そして五行思想にのっとった魔力が秘められている。それは科学で証明されていないだけで、荒唐無稽なものではない。電気エネルギーのようなもの。具体的には、魂の中に秘められた惑星由来のエネルギーがもととなっている。
鄒子は、魂のエネルギーの解放の方法論を書物に残していた。しかし、既に失われてしまった」
「まてまてまてまて、まず、古代中国のものとする理由はなんだ?年代は?根拠は?なぜここにある?」
「おそらく盗掘されたもの。銀雀山漢簡と同じく出土したもの。出土時期もその頃。出土場所はさすがにわからないわ。理由は銀雀山漢簡の出土物と酷似している。
闇のコレクターを渡って巡り巡ってここにある」
「ふうん。年代鑑定の方法は?」
「あくまで仮説。肉眼鑑定でしかない。放射線測定なんて専門機関でないとできないし」
「だろうな。放射線測定に当てるかどうかも際どいレベルの出土品だ」
乾竜馬はブラックコーヒーをすすって無精髭を撫で出した。
「実は、それを日本に持ってきたのは俺だ」
「えっ!おっさんそれ大丈夫なの?」
黙って聞いていた白秋が驚く。
「大昔の話だからな。時効だ時効。20代の頃だったか、中国の古物商から買った。俺も鄒子の著作物の一部と仮定した。論文も書いた。トンデモ扱いされて学会から総スカンを喰らったがね。おかげで末路は食えない研究者だ。
ちなみに、その竹簡をどうやって手に入れた?」
周子が一瞬、間を置く。その質問になら自分が答えられるかもしれない。
「わかりません、気がついたら手元にありました」
「周子は?」
「同じよ」
「竹簡は大学の研究室に預けたはずだったが、やはりどこかで動いていたんだな」
「で、なぜ鄒子の書物だと思った」
「鄒子については、『史記』と『漢書』にその記載がある。しかし、現代にその書物は遺されていない。春秋戦国時代の五行思想を最も体系的に取りまとめたのが鄒子とその弟子を含む一派だった。書物が後世に残されなかったのは、流行らなかったか、為政者にとってまずい情報だったから。わたしは後者だと思っている」
「それで?」
「この竹簡を読むと、史記、漢書、どちらの記述にも一致しない。銀雀山漢簡が『孫子』の兵法書を『孫武』のものと『孫臏』のものに分けたように、これも後世に残らなかった『鄒子』の一部だと考えている」
「根拠が薄い。俺の失敗した論文と同じ。ぜんぶ憶測に過ぎないんだよなあ。ロマンはあるよねってだけ」
「そう言われてしまうと、何も言い返せないわ」
「じゃあ、この話はおしまい」
「乾竜馬。あなた、過去に『仮想世界』へ行ったことがあるでしょう?」
「なぜ、そう思う?」
「今日顔を見て感じた。春人の変身後の姿が、あなたの顔立ちに似ている。なぜ、あんな世界を作ったの?」
「顔立ちが似てる?世界を作る?なんじゃそりゃ」
乾竜馬が、周子をはぐらかしている。乾が一枚も二枚も上手だ。というか、まじめに議論をする気のないものをテーブルに着かせるのは困難だ。
このまま乾を逃せば、周子の負けだ。
「あ、それは自分も知りたいです。自分はあの世界……『仮想世界』へ行くと変身しちゃうんですよね。乾さんの若い頃っぽい姿に。もしかして乾さん、遠い親戚ですか?
それとも、『仮想世界』を乾さんがクリアしてて、データを引き継いだって考える方が自然なんですけど。もしあの世界をクリアしてたなら、攻略方法を教えてください」
「ゲームみたいに言うねえ、キミ」
「すごく言うのが遅くなった気がするんですけど、『仮想世界』、とっても困ってるんです。東京住んでないの自分だけで、この人たち埼玉から出るなって言うんですよ。無茶じゃないですか?あの世界をなくす方法を探してて、何か知ってることがあったら是非教えてください」
ごめん。白秋。千夏さん。悪者にして。
「俺も埼玉から何年も出てないし、頑張ればなんとかなるんじゃない?」
このオッサン喰えねえな。桜山周子も何かを考えながら、ホットココアに口をつけていた。
「乾のおじさん、なんか知ってるんでしょ?なにか情報をくれないと、今日は帰せないんだけど」
白秋も応戦する。
「話しても、俺にメリットないし」
あーー、もう。オッサンはやくぜんぶ知ってることを教えてくれ……。
話が停滞して嫌な雰囲気を変えたのは千夏だった。
「黙って聞いてれば、のらりくらりと質問を交わして。あたし、そういうの好きじゃないな。なんか不誠実で。
オジサン、若い頃の研究が上手く認められなくてスネてるの?でもさ、この状況を考えて。あたしたちはオジサンの研究を必要としてるの。オジサンにとっても、20歳も年下の子達から慕われるチャンスなんだよ!
ねえ、あたしたちを助けてよ」
千夏はいつのまにか乾竜馬の対面に座り、真っ直ぐで媚びることのない大きな瞳を向けていた。
「……はい。ぜんぶ喋ります」
オッサンは千夏の瞳に陥落した。
「俺は20代の頃、この竹簡を日本に持って帰った。確かに『仮想世界』に入ったことはあるよ。俺の場合はエリアが違ったけど」
「どこなの?」
「東京大神宮、金毘羅宮、神田明神、日枝神社、水天宮を繋いだエリア」
「確か白秋の地図を自分が持ってたかも」
地図を取り出し、点を記す。
「点で記して星型で囲むといい」
スマホで検索しながら、東京大神宮、金毘羅宮、神田明神、日枝神社、水天宮を点で打っていくと、五角形が浮かび上がった。
「20年も前のことだから、スカイツリー建設によって結界が変わったのかもしれん」
「ひとりで入れたの?」
「偶然なんだがね。たまたま竹簡を所有しているときに、たまたまそのエリア内で、たまたま九字を切ってたら入った」
「くじをきる?」
「臨兵闘者皆陳列前行。これ、陰陽師とか忍者とかがよく使うけど、古代中国からある呪文なのよ。たまたま本を読んでたらそのフレーズがでてきたから、漫画みたいにポーズしてみたわけ。ちなみに、この呪文は『臨む兵闘う者、皆、陣列べて前を行く』ってことで、もともとは未踏の地へ行くときの呪文な」
周子の顔色が青ざめる。
「待って、九字を切ったの……?信じられない」
白秋が問う。
「りんぴょうとうしゃっ……ってやつ?そらなら俺も知ってる。イマドキ小学生でもやるよね。そんなに大変なこと?」
「一般に広まっているのは間違った方法だから害はないわ。あなた、確か神主の息子よね。そして、古代中国思想研究者」
周子が冷静な口調で言った。
「あくまで仮説だけど、東京で『仮想世界』が開かれたのは、やはり乾竜馬。あなたのせいね」
「んんん、否定はしないかな。その時、俺も閉じ方がわからないまま大学の研究室に竹簡を置いてきちゃったから。でも、実害ないでしょ?」
「……人がひとり、亡くなってるの」
「なんてこった」
そうだ。まだ乾竜馬には話していなかったのだ。
羽鳥美冬のこと。兄の羽鳥冬樹のこと。重たくて触れられなくて、誰も説明できなかった。
「羽鳥美冬。女性がひとり、鬼に殺されてしまったの」
「っ、それは、お悔やみ申しあげます。……って、なんでそれをはじめに言わないんだよ」
乾に言わなかったのは議論に後から参加した周子のせいではない。自分たち、いや、現場にいた当事者たる自分の落ち度だ。
「言うタイミングがなくて、言えなかったんです。すみません」
しばらく口髭をなでていた乾が、姿勢を正した。
「俺も餓鬼と戦った結論としては、『仮想世界』に攻略方法なんてない。そういう世界がそこに存在するだけだ。意思も意図もない。現実世界の枠組みに、現実世界とは別の法則で物事が構成されているだけだ」
「ただ、餓鬼と戦えば力が強くなって行く。これは俺も実証済みだ。要はレベルアップだ。おまえさんのいう『仮想世界』は、物質的な『現代世界』とは違う。精神に強く影響する。心が強ければ、望むように動く世界だ。その先に何を望むかは、お前たち次第だ」
「俺から言えるのはここまでだ」
「周子ちゃん。結局、餓鬼と戦うしかないってこと?冬樹の言ったとおり」
「ええ。そうね。彼と共闘しましょう。もう少し聞いていいかしら。この竹簡の五芒星は途中から浮かんできたものなんだけど、あなたの時はあった?」
「ん?五芒星?そんなの見えないぞ」
「周子チャン。俺のも消えてる」
「あたしのも。現実世界だと消えるってこと?」
「乾さん、ここの余白に星のマークが浮かんでたんです。最初はなかったし、人によって5辺の色が違って見えていた。なにか心当たりありますか?」
「いや、見ていなかっただけかもしれないが、過去にそんなマークはなかった」
「そう。何かわかるかと思ったんだけど残念ね」
「ごめんなさい。もっと話したいところだけど、わたし今日はもう帰らないと。門限が19時なの。乾さん、またお話しできる?」
「あいにく、俺は携帯電話とかいうものを持っていないのでね」
「そう。それなら直接神社にお邪魔するわ。春人、行くときは携帯電話に連絡するから」
「周子チャン、帰るなら携帯電話番号教えてよ」
「ごめんなさい。さようなら」
桜山周子はくるくるとスカートを揺らしながら飲み物を片付けると足早に店を出ていった。
「あの子の家、お金持ちとか?」
「自分たちも知らないんです。電話番号すら教えてくれない」
「ま、俺たちはしょせん、仮想世界に集まっただけの寄せ集めですからね」
「あたしは他人の家庭を詮索するのは好きじゃないな」
「もう遅いからあたしたちも帰ろうか。あたし、家が横浜だし明日仕事だし、結構ギリギリ。もしなんかこっちの世界で予定立てるなら木曜日に誘ってね」
猿渡千夏も、スターバックスカフェから去っていった。
「野郎同士でカフェに残っても仕方ないな。せっかくだから北千住フラフラしてから帰るわ。解散!」
「乾さん、今日はありがとうございました。半纏でフラフラするんですか?」
「まあ、足立区だし構わないでしょ」
乾竜馬は数年前より綺麗になった北千住駅を見てどんな感想を持つだろうか。
「春人、明日は大学くる?」
「もう春休みだから、しばらく行かないかな。就活どうしよう。というか、自分が東京行っても良いのか?」
「周子ちゃんがあの世界が開いたら冬チャンと共闘っていってたから別に良いんじゃない?」
カフェで浅野白秋とも別れ、東部動物園駅行きの電車に乗った。
今日はやけに長い一日だった。
電車の音が睡魔と溶け合い、自分はいつのまにか寝てしまった。