羽鳥冬樹と接触する
「羽鳥冬樹に、接触する」
すなわち、この世界で犠牲になった羽鳥美冬の遺族と接触するということだ。
正直、あまり会いたくない。
心の準備ができてない。
知らない方が良かったのかもしれない。
「『水』の竹簡を持っている羽鳥冬樹は、神保町にいるわ。
春人、覚悟はある?」
「覚悟……。ごめん、正直いまは気持ちの整理ができていない」
「なら、家に帰りなさい。やっぱり春人には話さなければよかった。わたしひとりで行くわ」
「ちょいちょいちょいちょい、俺も行くよん!周子チャン」と白秋。
「浅野……、白秋さん?もしかしたら戦いになるかもしれない。あなた戦えるの?それに移動できる?どちらかというと、あなたの能力は補助的な部類だと思うけど」
「なにそれ周子チャンドイヒー!テレポートできないかな?でも、さっき周子チャンのアドバイスでコツを掴んだ気がする。使えるようになれば、もともとチートな能力っぽいし。なんとか頑張るよ!」
「あたしは付いてくよ。面白そうだから。あたしの力なら多分戦えると思うけど。移動はどうかな。なんか出来そうな気がするからやってみる」と千夏が言った。
「みんなが行くなら自分も」
「春人。そういう考えはやめて。同調意識?自分で決められないのなら、行くべきじゃないわ。ひとりでも行こうと自発的に思わない人でなければ、連れて行くことはできない」
「ごめん。言い方が悪かったよ。気持ちはぐっちゃぐちゃで弱音吐いちゃったけど、これだけは言える。自分は見届けたいんだ。この世界の真相を知りたい」
ーー桜山周子の仮説のゆくえも。
「じゃあ、覚悟のある人は駿河台下交差点に集合ね」
桜山周子は黄色の髪をなびかせて消えた。意識体。そう言っていた。桜山周子は移動しただろう。
「早いね、周子ちゃん。あたしもお姫様を追いかけますよ。足に意識を集中させて、重力調整っと。あたし徒歩で行くから時間かかるかも。じゃ、先に出発してるね!」
千夏はスカイツリーの広場から大通りへ飛んだ。足に重力調整装置をつけたように道路と建物を飛び跳ねるように移動して消えた。確かに徒歩だけどずいぶんダイナミックですね……。
「おし!俺も!春人は翼だよな?駿河台下交差点までテレポート!」
何も起こらない。
白秋の魔法はムラがあるようだ。
「まじ?だめ?春人みたいな翼……、は俺の趣味じゃないし。出でよ!俺のバイク!」
その時、無人のバイクがどこからか走ってやってきた。
「おっ!まじか!ありがたいッ!お先に!春人!バイクよ、飛べッ!」
バイクに跨った白秋が空を駆ける。
自分も白秋に続いて宙を舞った。目的地は神保町交差点前。
空を舞いながら自分は考えていた。
もしこんな世界で、妹を失ったら。
妹を助けられたかもしれないのに、気づかず助けなかった人間がいたら。
きゅうと押しつぶされそうになる心をこらえて、約束の地に向かった。
駿河台下交差点に着くと、すでに自分以外の4人が集まっていた。
餓鬼たちに襲われないように、直径50メートルほどの白いドーム状の膜が4人の周りを囲っていた。おそらく白秋が作ったものだ。
「遅いぞ、春人!そのままそのバリアにつっこんで!」
白い膜に身体を入れると、ふわりとした感触のあとにぽんという破裂音を残して中に入った。自分の身体を通した穴は自動的に修復されていた。
落ち着いた雰囲気の男が立っている。
男はヘッドホンをしていた。黒のジャケットにえんじ色のマフラー、カーキのズボン。黒髪の短髪。知的な雰囲気なのに、ヘッドホンだけが浮いている。
「さっ、春人!自己紹介よろ!みんなひととおり終わったところ」
「あ。自分は榎元春人です。よろしくお願いします」
「私は羽鳥冬樹。羽鳥美冬の兄だ。
私はこの世界では、音が異常に聞こえる。実はこの世界に来てからの会話はほとんど聞いていた。この世界で音を発せば、私に隠し事はできない」
「げげっ、なんか俺恥ずかしいこと言ってた?でも聞こえすぎるってつらいね!だからヘッドホンなんだ!俺の魔法で治してあげようか?」
「恥ずかしい白魔法なら聞こえた」
「まじーん!さげぽよ」
「えっ待って。全部あなたに聞こえてるってこと?……トイレの音とか。まじセクハラじゃん!訴えたら勝てるレベルだよ。ねえ、早く無くしちゃおう?こんな世界!」
「千夏チャンの言うとおりだよ!早くなくそう!」
「喚かないで。話ができないわ。それで、あなたはどこまで知ってるのかしら」
「大事な話はほとんど耳に届いた。私に説明はいらない。この距離なら個人の心音すら聞こえる私は誰の味方になるつもりはない。
おそらく、妹もこの能力、音の洪水に恐れたのだろう。怯えているうちに自らが作り出した影に殺されてしまった。
この世界に初めて迷い込んだとき、私も慣れるまでは尋常ならぬ精神を消耗した。最期を迎えた妹の心境を思うと計りしれない。
私は妹を奪ったこの世界の全てを憎む。この歪んだ世界をなくすことが、妹の無念を晴らす唯一の復讐だと考えている」
羽鳥冬樹の言葉に、緊張感が走る。そして冬樹は言葉を続けた。
「榎元春人くん。過ぎたことだが、できれば私は君に妹を救って欲しかった。君に対しては、私の心のわだかまりが常にまとわりつくと思う」
「自分にも妹がいます。想像しただけで胸が張り裂けそうです。あのとき、美冬さんのことを知っていれば違う行動ができたことは否めません。すみませんでした。自分も悔しいです」
「責任はわたしにあるわ。美冬さんのことは、わたしも償いたいと思ってる。羽鳥冬樹さん。もし、この世界で羽鳥美冬さんの魂を取り戻せるとしたら、貴方はどんなことでも受け入れる?」
と周子が言う。
「美冬を取り戻す?」
「ええ。失ってしまったものを取り戻すことは難しいし、可能性も低いけど。試す価値はあると思う。わたしにできるあなたへの償いはその方法を模索して提案すること。どうする?」
「美冬が戻るならどんなことでもする」
「そう。それなら協力するわ」
「桜山周子くん。君はいろいろ知っているようだ。どこまで知っている?」
「わたしは何も知らないわ。ただ、仮説を立てているだけ。わたしの言っていることはすべて正しいとは思わないで」
「あのう、冬チャン何歳?だいぶ歳上っぽいけど。周子チャンこう見えて14歳だから、お手柔らかにね」と白秋。
「27歳だ。元会社員。妹の死から仕事を辞めた。今は投資で生活している。年齢がいくつだろうが関係ない。私は妹の無念を晴らしたいだけだ」
「真面目系元会社員、こわっ」
白秋と冬樹に緊張が走る。それを周子は涼しい顔で傍観し、千夏は面白そうに見ている。自分は居心地が非常に悪い。この集団は、一枚岩では行かないようだ。それぞれがなんだか水と油。個人プレーでチームワークなんて望めなさそうだ。でも、先に進まなきゃ。
「それで、せっかく竹簡を持った5人集まったんだし、なにか打ち合わせしておくことはあるかな」
「みんなの竹簡を持ってたら出してくれる?この竹簡は不思議なちからを宿してる。魂を解放するカギとなってるの。他の人の竹簡に触れると、個人のちからが増してたってこと春人は気づいたかしら」
「他者の竹簡に触れるとパワーアップする?」
全く気がつかなかった。
「あくまで仮説だけど。全員分、ちょっと交換してみましょう」
それぞれがカバンから竹簡を取り出す。
「周子チャン、円形になってぐるぐる回すってこと?クリスマス会のプレゼント交換みたいな?じゃあ俺歌います!真っ赤なお鼻のトナカイさんは〜〜」
「ぷぷっ、なにそれ馬鹿じゃないの?あんた幼稚園児?」
千夏がおかしそうにケラケラ笑う。
全員分が回りきって自分の竹簡が手元に戻ってきたその時、竹簡が白く光った。眩しい。目を開けると竹簡の余白に星のマークが浮かびあがった。
「星が増えてる!可愛い!」
「古びた墨の色の五芒星だけど、2辺が青と黄色に光ってるわ」
「え?あたしは青と白と赤だよ?どれどれ周子ちゃん。あたしには周子ちゃんのは墨の色にしか見えない。周子ちゃん、あたしのはどうみえる?」
「ぜんぶ薄墨色だわ」
「人によって、見え方が違うってこと?っていうか、自分が持ってるやつだけカラフルに光って見えるってこと?春人は?」
「自分のは、青と白と赤。白秋は?」
「青と白。なになに?俺、春人と千夏チャンより少ないの?なんかの魔力ゲージってこと?攻撃力とか?俺弱いもんなあ。冬チャンは?」
「私のは青と黄色だ」
「あ、冬チャンも2つか。冬チャンもしかして俺と同じで弱い?」
「強さはわからないが、私のは一辺だけ異様に黒いような気もする」
「えーと、まとめます。みんなの竹簡に星が出現した。そして色はそれぞれ自分にしか見えない。周子ちゃんが青と黄色。千夏さんが青と白と赤。白秋が青と白。冬樹さんが青と黄色。で、自分が青と白と赤ってことで間違いない?」
「お?周子チャンの仮説タイムくる?」
「焦らないで。これだけじゃまだわからない。もうすこし状況がそろったら、仮説を立てるわ」
「周子ちゃんでもわからないことあるんだ。なんか意外。あたし、周子ちゃんの仮説面白くて好きだよ。思いついたらすぐ聞かせてね」と千夏が言った。
「ええ。ありがとう」
いつも難しい表情の周子がすこしほころんだ。
「あれ?なんか、あたしのやつ、黄色も付いてるかも。春人、あたしのやつ、黄色も追加でお願いね!」
「千夏チャン4個!すごいね!春人記録係なの?うける」
「地道な仕事は得意だよ。あ、そうだ。みんないるうちに、連絡先を交換したほうがいいんじゃないかな」
「連絡先、わたしは遠慮しとくわ」
「わたしはいま意識体で、このケータイもここには実際に存在しない。つまり、機能しないの」
「アドレス教えてくれれば、本体からなら通信できるんじゃないの?」
「柔らかく断ったつもりなんだけど。率直に言うわ。あなたたちと連絡先を交換するつもりはないわ」
「えーー……、周子チャンそれひどくない?全面拒否?」
「ごめんなさい。わたし以外の4人で交換して」
「私も交換するつもりはない。第一、現実世界で連絡を取る要件があるだろうか。必要ない」
「ええええ、協調性のないヤツらだな。結局、春人と千夏チャンと俺の3人かよ。それならもう交換してるよこのやり取り不毛だったの?」
「悔しかったら、あなたの魔法でテレパシーでも送ってみなさい」
「お!テレパシーか!それアリだね!今度使ってみるわ」
「羽鳥冬樹さん。あなたはこれからどうする?この3人組と組む?それとも、自分で答えを見つける?」
「桜山周子くん。私は自分で答えを見つけたいが、きみの意見も参考にしたい。きみは3人と組むのか?」
「いいえ、わたしは誰とも組まないわ」
「それなら、私もきみの立場と同じだ。必要な時だけ情報を共有する」
「私は私でこの世界を封印する術をみつける。必要な情報はこの世界で話してくれれば聞こえる。ほかに用事がないなら失礼する」
「封印する術って、冬チャン、アテはあるの?」
「ない。この世界に居るかぎりは、餓鬼たちをすべて殲滅する」
「あああ、RPG的発想だね!それもありかも。ピンチになったら呼んでよ。えーと、『冬チャンがピンチになったら俺は駆けつける!』ハイ契約成立!」
「自分も助けが必要なら手伝います。お兄さんにまで何かあったら、妹さんに申し訳が立たないので」
「あたしも。餓鬼殲滅結構好きだし、面白そうだから」
「必要ない。他に用事がないなら、去る」
「用事が済んだら、俺たちもこの世界出ちゃうけど、冬チャンの鬼退治的にはそれでもいい?」
「構わない。この世界が開かれたら餓鬼を殲滅する。この世界が開かれないならそれまでだ。勝手にしてくれ」
「あくまで仮説だけど、餓鬼はひとの影だから、どんなに倒しても終わりはないわよ。一応、忠告しておく」
「構わない」
羽鳥冬樹は白秋の作った防御壁を抜けて去ろうとした。
その背中は悲しみの色で染まっていた。妹を失った怒り。自分には偽善的な立場で心中を察することしかできなかった。真に分かり合える人間は、故人を失って悲しんだものと、同じ経験をしたものだけだろう。とっさに、自分は冬樹の背中を引き止めた。
「あの、美冬さんのお墓詣りしたいんですけど、良いですか?」
「断る」
羽鳥冬樹は自分たちの見えないところへまで去っていった。
「みんなは、これから予定あるかしら」
「あたし、今日は仕事休みだから大丈夫だよ」
「俺もフリーでっす!」
「自分も、数日引きこもってたし、いまさら予定なんてないよ」
「みんなにお願いしたいことがあるの」
「『鄒子』の研究者、乾竜馬を探してほしいの」