自分と少女と不思議世界の出会い
気がついたら空の上にいた。
重苦しい灰色の空。
目下には東京都の街並み。
いつのまにか自分は東京タワーかスカイツリーにでも来たのだろうか。
いや、空を飛んでいるらしい。
自分の手の甲を見ると、魚のような鱗に毛が生えている。気持ち悪い。
金色の甲冑に青い着物を身につけている。素材は悪くなさそうだ。
背中にはカラスのような黒い翼。
ああ、これは夢か。
なんて趣味悪い夢だ。
空から街に降りる。
大学のある神保町の大通り。
人はいない。その代わり、小さな赤鬼のような妖怪のような姿をした生き物がたくさん居る。妖怪はこちらを見ている。
あれは、たぶん本で読んだ『餓鬼』だ。
餓鬼達は自分を狙って攻撃してくるようだ。怖い。
駆逐しなければ。
そう思ったとたん、右手から大剣が出現した。青い気を纏った鋼の剣。長さは自分の身長くらいありそうだ。重たそうな造りだが、不思議と重さは感じない。夢だからか。現実世界の自分の筋肉ではとても扱うことはできそうにない。
青の大剣を一振り、薙ぎ払う。
目の前の餓鬼は消えていた。
フロイトかユングか、夢診断にかけたら自分の潜在的な願望としてどんな答えを出してくれるだろうか。
せっかくだから夢の内容を覚えておこう。
たしか自分は半蔵門線直通電車で大学へ向かっている途中だったはずだ。埼玉県の実家から神保町駅にある大学までは1時間半をかけて通う。電車の中で座って本を読みながら眠りにつくのが自分の日課だ。今日は春日部駅あたりから記憶がない。だから、これは電車で眠っている自分の夢だ。
さあ、夢なら覚めてくれ。
「夢だったら、良かったのにね」
金髪の少女が真っ直ぐこちらを見つめている。少女には似合わないハスキーな落ち着いた声。
大学生だろうか。憂いを含んだ表情だが、どこかあどけなさの残る同世代の女の子だ。色白の肌に黄色い髪。瞳の色も黄金色だが、顔立ちは日本人形のようでちぐはぐだ。髪染めにカラーコンタクトだとしたら、大学デビュー後のオタクサークルの姫というところか。
「いやお言葉ですが夢でしょうこれはどう考えても」
俺はまだ電車で寝ているのか。
今、俺の本体はどこで寝ているのか。北千住駅あたりか。
半蔵門線直通電車の終点は長津田駅だから、寝続けたら神奈川県まで行っちゃうのか。
おいおい、まずいぞ。今日はレポート提出期限だ。今日15時までに大学へレポートを提出しないと単位を落としてしまう。今日のレポートは必須科目だから単位を落とすと進級できない。
大学生活のほとんどをひとりで過ごす『ぼっち大学生』というステータスの自分が、もし留年なんてしたら目も当てられない。
「早く起きてレポートを提出しないと」
「まだ出してなかったの?」
まだって…、君と面識あった?
いや、夢の中の住人にそんなツッコミしても仕方ない。
「レポートなんて締切り前日から書き始めるのがフツーしょ。それよりさ、俺を殴ってよ」
「殴る?」
「夢の中で出会った女の子に殴られれば、夢から覚めるのがお約束でしょ?」
「さすが、平凡な発想ね」
次の瞬間、頰にオタサーの姫の平手打ちが決まる。迷いのない音が響きわたった。さあ、これで夢から解放されるはず。
「どう? 夢だった?」
「あああ! 夢から覚めない! でも! 痛みはない! これって夢ってこと? 夢じゃないってこと? わからん! でも、どっちでもいい! 早く元の自分にもどりたいんだけど」
「そうね。それなら、あなたのカバンをチェックさせてもらってもいいかしら」
「え? かばん?」
甲冑の腰には自分のリュックサックが引っかかっていた。言われるまで気がつかなかった。金色の甲冑の陰に、よれよれでくすんだ黒いリュックサックがぶらさがる。明らかに武装しているのに、なんだか滑稽だ。
「あ、その前に。またあいつらが集まってきたわね。ね、私の知っていることを教えてあげるから、そのかわり、私を守ってくれない?」
気がつくとまた餓鬼の群れに包囲されていた。
ほぼ反射的に、いつのまにか消えていた右手の大剣を再び出現させる。
「言われなくても! 人間はあんたしか居ないようだし!」
「契約成立ね。なぎはらえ!」
「ちょ、あんたジブ女ですか」
再び前方を打ち払う。大剣から出でる青い波動に当たり、餓鬼は5体ほど消滅した。大剣から繰り出される青の気に触れると、餓鬼は消えるようだ。
自分、結構強いな。ま、夢の中ならこんなもんでしょ。
「あいつらは建物の中には入らないわ。喫茶店へ行きましょ。喫茶店のさぼるう、知ってるわね」
「もちろん」
餓鬼たちは剣を振り払えば容易く消える。しかし次々と出てきては襲いかかってくる。とにかくウザい。この曇った世界に人間はいない。その代わりにいるのが餓鬼。いつもの人混みがそのまま妖怪になったような光景だ。
オタサーの姫の言うとおりに、餓鬼を振り払い姫を守りながら喫茶店さぼるうへ向かう。
喫茶店さぼるうは神保町屈指の名店だ。そして神保町交差点から近い。神保町に通う者で知らない人は居ない。
見慣れた喫茶店の入口を開けると、中にはマスターをはじめ店員や客は誰も居なかった。
「ここなら安心かもね。座って。わたしの知っていることを教えてあげる」
返事をしようとしたその瞬間、喫茶店の窓ガラスに自分の姿が映った。
「ちょ……、ちょいちょいちょい、ちょっとまって!あの、その前に、自分の顔を確認したいんだけど」
「ああ……、そうね。たしか手鏡を持っていたわ。どうぞ」
オタサーの姫から手鏡を受け取る。その手鏡は女の子らしいアイテムとは程遠く、魔術にでも使いそうな手鏡だ。よく言えば骨董屋のアンティークだ。
「その格好、あまりショックを受けることはないわ。なかなか素敵よ」
オタサーの姫の魔鏡に映った自分は、見たこともない顔だった。パーツはイケメン。シンメトリーに並んだ二重のアーモンド型の瞳にスラリと通る鼻筋。長くも短くもない眉毛に薄い唇。中学時代、好きな女の子に「ファニーな顔」と言われてフラれた記憶がある顔の面影はない。いまや360度どこから見てもハンサムボーイだ。
しかし、顎の一部は鱗で覆われていて、頭には雄鹿のような角が2本生えている。そして青い着物に金色の甲冑、漆黒の翼。なにこれ烏天狗?イケメン妖怪?
ーーいや、これは厨二病だ!まるでスマホゲームに出てくるSランクのキャラクターだ。
思わず鏡に向かって問う。
自分は、誰だ?