君が消えてしまう前に
「いやぁ、いやぁあああああ!!アル様!アル様!」
泣き叫ぶ彼女に、王子は呆然とした。
そして、彼女の視線の先を見た。血まみれの名も知らぬ騎士が、友であろう男に支えられて、入口にいた。男は自力で立っているのだから、死んではいないだろうが、危ない状態のように見えた。
「あぁぁ、アル様!アル様!」
彼女は王子に見向きもせず、彼の横を通り過ぎた。
「・・・ルシアちゃん。大丈夫。死んでないよ。」
男の友人は彼女を知っているようだ。
皆が、彼女と男の関係を知っているように、道を開ける。そして、痛ましそうに見ている。彼女は泣きながら、必死で聖魔法を使っていた。
「聖女様、申し訳ありません。こちらの重症者もお願いします。」
本当に申し訳なさそうに、衛生兵がそっと声をかけるが、彼女には聞こえてないようだった。
「ルシアちゃん?」
先ほどの男の友人が、肩に手をかけ揺すろうとした。
―――友人の手は、彼女の肩をすり抜けた。
彼女は、自分の魂までも使っているのか、存在が消えかけていた。そう、背中を向ける彼女の向こう側の、血まみれの男が見えるほどに。
皆が愕然として、誰も何も出来なかった。
「・・・。」
ピクリと男が動いた。
そっと目を開けた男は、目の前で泣いている少女の頬をするりと撫で、微笑んだ。
「・・・シア、帰っておいで。大丈夫だ。」
ふわり。暖かい風が吹いた。彼女の体が徐々に色を持ち、透けていた向こう側が視えなくなった。
「アル様。・・・良かった。」
彼女は、頬に触れる男の手に、愛おしそうにすり寄った。
「ルシアちゃん。後ろの者が、重傷者がいると・・・。」
男の友人が思い出したように、声をかけた。
「あ!はい、すぐ行きます!」
振り向いた彼女は、衛生兵と共に、重傷者へと駆けて行った。
―――愛しいはずの王子に見向きもせずに。
王子は気づく、いつも彼女が悲しそうに微笑む理由を。どんなに愛を囁いても、どんなに贈り物をしても、いつも同じ顔で笑う理由を。
騙していたのかと、怒りに燃えるような顔の王子に、男を寝かせた友人が近づく。
「殿下。アルフォードとルシア嬢は、彼女が九歳の頃からの婚約者です。騎士団にも、よく遊びに来ていて、ここにいる皆が知っていました。」
「・・・。」
「ルシア嬢が聖女と呼ばれ、殿下の婚約者だと発表された時、アルフォードは静かに身を引きました。騎士団にまでやって来たルシア嬢の父君が、すまない、すまない。と謝るのを皆が聞いています。」
「・・・。」
「殿下は、彼女に確認をしましたか。 ―――婚約していいかと?」
狙われた私が、聖女と出逢うのは、運命だと感じたんだ。
私の傷を治すために、聖魔法を使って倒れた聖女を城に連れ帰り、彼女が疲れて眠っている間に何もかも進めた。
彼女の両親さえ、決まってから知らされた。
何か言おうとしていたが、私も宰相も、伝えるだけ伝えて、拒否は・・・、させなかったな。
震えながら承諾した男爵を、感動しているとばかり。
彼女も、助けた王子と結婚できるのだ、嬉しいだろうとばかり・・・。
王子である私が、聖女である彼女と出逢うのは、運命だったと、必然だったと思ったんだ。
――――私は何をしているのだろう。
本来の婚約者、リリアーナも婚約破棄をしぶると思っていたのに、すぐに承諾したな。あの時の、元婚約者の顔は、喜ぶでもなく、悲しむでもなく、無表情で彼女を見ていた。
そんなリリアーナの表情に、彼女は淡い笑みを返していた。
私以外、皆、知っていたのか?
王太子である自分が望んだから、誰も何も言わず、
――――ルシアを差し出したのか?
宰相がボソリと呟いた言葉が思い出される。
「・・・聖女なら。」
私は、私は、彼女にあんな幸せそうな顔を向けられたことはない。あんなに必死に縋られたことも、名を呼ばれたことも。
「殿下。アルフォードには手を出さないで下さい。聖女様が消えてしまいますよ。」
ぽつりと悲しそうに呟いて、男の友人は背を向けた。
「殿下。」
王子の護衛が声をかける。
「お前も知っていたのか?」
「はい。」
「なぜ、言わなかった?」
「聖女を得る為にと、皆に口止めがされました。」
くっ。王子は唇を噛みしめた。
自分が、あの時、彼女に少しでも話を聞いていれば。
自分が、あの時、彼女の困惑に気づいていれば。
だが、彼女が欲しかったのだ。どうしても、欲しかったのだ。
彼女が悲しそうな顔をするのも、知っていた。
だけど、彼女が離れていく気がして、聞けなかった。
最悪の場面を見せられるまで。
彼女は男の声で、すぐに戻ってきた。
他の誰が声をかけても、反応しなかったのに。
私が声をかけても、気づかなかっただろう。
これでは、リリアーナとの政略結婚と同じではないか!
「自分の好きな女性と結婚」という自分には自由にならない願いを、一つだけでも叶えたかっただけなのに。
男の友人に止められたが、男を排除しようかとも、暗い心で考えた。だが、先ほど視た光景が頭から消えない。
――――聖女様が消えてしまいますよ。
本当に消えるのだ。
男を亡き者にしてから、ゆっくりと彼女の心をこちらに向けることも出来ない。まだ、男が同じ場所に居るから、彼女は、聖女はここに留まっているというように。
もし、彼女とこのまま結婚して、私は耐えられるのか。
永遠に自分の方を向かないだろう彼女に。
何もかも諦めた、抜け殻の聖女を側に置いて。
――――あの笑顔を見る前だったら!
ふぅ。と息を吐きだして、天井を見上げる。
願うだろう。自分にも「あの笑顔」を向けろと。
婚約者と引き離した自分を憎んでいるかもしれないのに。
彼女を苦しめるのか。
愛しい彼女を、私が苦しめるのか。
幸せにしたい、だけなのに。
幸せになって、欲しいのに。
君を幸せにするのは、私ではないのだな。
読んで頂いたことに感謝を。