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6-お願い

 いまの、誰?

 部屋に入るなり、将生が訊ねてきた。どこから見てたのだろうか。

柳原先生。知ってるでしょ?

ああ、スケベの柳原か。なんで?

 わざと難しい表情をつくって目じりをつり上げて訊く将生に、画材店で偶然出会って個展があってと、いままでのことを話そうとした。

そうじゃなくって、なんで俺に相談しない?

 将生は本気で柳原と美咲の関係を心配しているらしい。

あいつ、ヤバいんじゃないか。お前、学校でひどい目に遭ったんじゃないのか?

ひどい目に……? 漫画を教えてもらってたのよ。

最初はそうだっただろうけど、結局セクハラまがいの……

それは違う。先生はやさしかったもの。そんなセクハラみたいな厭なことでは……

だけど、あいつ、お前の身体に、その……変なことしまくったっていうじゃないか。それで学校首になったんだろうが。お前、またあのオタク野郎に弄ばれたいのか?

将生は珍しく言葉を荒らげて、卓袱台を拳で叩いた。これ以上興奮しないように卓袱台の上の拳を左手で撫でてやると、気持ちが治まって少し落ち着いた調子で続けた。

今度、俺がきちんと言ってやる。俺の妹に悪さするんじゃないって。

 やめて、そんなこと。柳原先生はわたしのことを考えてくれているんだから。

 どうした、美咲。お前、あいつのことが好きなのか? え? 学校の中であんなことされたのにまだ好きだっていうのか? 

 美咲はうつむいたまま黙っている。

いままで俺が間違ったことを言ったか? なんだって俺が決めてやって、お前は言うことを聞いてきたじゃないか。伯父の家を出るときも、仕事先を決めるときも。お前が迷っていることはなんだって俺が背中を押してやって、それで前に進んで来れたんだろ? 今回だって好きな道を選べばいい。だけどあいつは……なんだか信用できない。だからやめとけって言ってるんだ。な、今度も俺の言うことを聞け。

美咲は顔を上げて立ち上がった。ベッドの上に身をあずけてひとり考えてみる。

 そういえばいままでなんでも将生にばかり決めてもらってきた。なんでこんなに優柔不断なんだろう、わたしは。前からそうだったかな? 以前はなんでも自分で決めていたのに。やっぱりあれが原因なのだろうか。思い出せないこととなにか関係あるのだろうか。わたしたち兄妹ふたりだけで一緒に暮らしているからなのかな。だってふたりきりだと思うから、なんだって相談してきたんじゃない。もうそろそろ、自分で考えて自分で決めなきゃいけないときなのかも。

 しばらく美咲の様子を黙って伺いながら考えていたのだろう、将生が再び話し出した。

 なんだか知らんが、俺はそろそろひとりになりたくなった。お前には悪いけど、俺たち兄妹はいつまでも仲良しごっこなんてしてちゃいけないのかもな。俺はギターをやんなきゃならないし。なんで急にこう思うのか、自分でもわからないが…………美咲、お前のことがわからなくなってきたからかな。

 週末、美咲は柳原を土手に誘った。美咲にとって故郷のようなこの場所なら正しい選択ができそうな気がしたからだ。ここならパパやママも見守ってくれていそうに思える。こんないい場所があったんだな、この町にも。柳原は美咲と並んで歩きながら両腕を頭の上に伸ばして大きく深呼吸した。

「こないだはなんか、誤解されちゃったかな?」

いつもの場所に腰を下ろした美咲に訊ねながら柳原は横に座った。

「ううん。大丈夫。そんなことよりわたし、ちょっとお願いがあって」

 柳原の指が美咲の背に触れる。芝生の上にゆっくりと押し倒される。

「お願い? ああ、画のことだろう?」

「うん、そうなんだけどね、わたし、会社を辞めようと思う」

「……なんかあったのか?」

 外耳に柳原の息がかかる。

「わたし、漫画を描いて生きていきたい」

「なるほど。そういうことか」

「だけどまだ自信がなくって」

「だから画を教えて欲しい?」

「うん」

 空に向き直り、美咲の肩から手を離して大きく伸びをしながら少し考えている柳原。

「そうかぁ。もちろん画や漫画の基本を教えることはできるけどね、美咲ちゃんがプロの漫画家になれるかどうかは……」

「わかってる」

 少年たちの声援が聞こえる。河川敷では試合が行われている。青いユニフォームの子供が一塁に向かって走って滑り込んだ。また声援。

「先生、あのときわたしは黙ってあなたの言う通りにした。そしてそれを誰にも言わなかった」

「うん」

 美術教師の隠れ家だったかもしれないが、美術室には生徒ならだれでも出入りできる。毎週のようにふたりで隠れていたら、そのうち誰かに見られることなど当たり前のことだ。子供にだって予測できる。しかし誰に見られようがそんなことはたいしたことではないように思えてしまう男と女の時間も一緒に潜んでいたのだ。

「美咲が好き?」

 唐突に訊かれて素直に答えられる男は少ない。特に小心な大人の男は。ふたり並んで斜めに横たわって空を見たままで柳原が呟いた。

「ほんとうに……あの頃から好きだった」

 その言葉が美咲の口から重石を取り除いた。


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