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4-高校教師

「真野……美咲ちゃんだろ?」

 振り返ると髪と無精髭を伸ばしたジーンズ姿の中年男が胡散臭い感じで立っていた。ええーっと。こんなヒゲ親父に知り合いがいたっけ。

「俺だ。柳原を忘れたか?」

ヤナギハラ……柳原先生? 男の顔を眺めながら消しゴムで髭を消してみると記憶の中に懐かしい顔があった。

「柳原先生」

「久しぶりだ。やっぱりこの町にいたんだね」

 お茶でも飲もうと言う髭男、柳原逸郎は高校の美術教師だった。美咲が授業中に描いていた漫画を見つけて叱りもせずに言った。

「ほぅ、なかなか巧いじゃないか。漫画を描いているのか?」

 そうだと答えると放課後美術室に来るように言われた。放課後行ってみると、にこにこしながら自分がいかに漫画好きだったかという話をはじめた。柳原はもともと漫画オタクで自分も漫画を描こうとした時期もあったという。だが描くより読むほうが忙しくて漫画家になり損ねて教師になったのだそうだ。

「俺が教えてやろうか、漫画の技術を」と言われ、迷わず頷いて課外授業がはじまったのだが、実際には漫画よりも肉体の技術ばかりを教わることになってしまった。

「ひどい目に遭ったな」

 真野家のことを知っていた。柳原自身は家族も家も無事だったそうだ。

「で、記憶はもう戻ったのか?」

 呑みこまれた大きな波からかろうじて救いだされた美咲は、その前後の記憶をまるで失っていた。その後も思い出すことはなく、そのお陰で恐怖の瞬間もなかったことになっている。

「うん。いまだになにも思い出せないの」

「そうか」と答えたきり、もうそれ以上深くは訊いて来なかった。失った数日間の記憶を取り戻すことが美咲にとっていいことなのか悪いことなのか、誰にもわからない。五年過ぎてまだ思い出せないとしても生活の上で支障がないのであれば、そのままそっとしておいてもいいのではないかというのが医師の診立てであった。

「ところで、懲戒免職になってからな、写真をはじめたんだ」

この町でフリーカメラマンとして出版社やデザイン事務所の下働きをしているのだと言った。美咲がこの町に住んでいるという噂は聞いていたから、いつか出会えるかもしれないとは思っていたけど、こんなに早く会えるとは。神のお告げどおりだ。柳原は気持ちの悪い笑みを浮かべてカップの底で冷えているコーヒーを飲んだ。

「美咲も謹慎処分受けることになってしまって悪いことしちゃったな、あのときは」

 ほんとうは美咲を探すためにここに来たんだよ。いまでも君を忘れられない。今度こそ漫画の技法を教えてあげる。柳原は耳当たりのいい言葉をたくさん並べた。ほんとうのことなのかでたらめなのか美咲には判断がつかなかったが、美咲にとって都合のいい言葉は全部信じてしまう。それに柳原は案外イケメン親父だし、嫌いじゃない。漫画を教えてもらえるのなら、それこそ地獄で仏、ダイエットにサバ缶だ。

「そうだ、今度個展を開くんだ。ささやかなものだけどね」

 上白紙に印刷されたチラシを渡しながら、絶対来いよと念を押した。


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