2-漫画家志望
アパートは町はずれの古い町並みの中に馴染んで建っていた。被災地からはずいぶん離れていたこのあたりはかろうじて持ちこたえた。父母と一緒に家が流されてしまってから伯父に面倒をみてもらっていたが、高校を出て働けるようになると同時に伯父の家を出た。古びたアパートだが大事なわが家だ。日暮れの暗がりに部屋が溶けてしまう前に灯を点け、小さなテレビのスイッチを入れると家らしいあたたかさと賑やかさが戻った。日曜日の夕方はアニメの長寿番組が放映されていて、テレビからテーマソングが流れると世のサラリーマンはまた明日から仕事だと気づかされて軽く鬱になるそうだ。美咲はアニメ好きなのに、この話を聞いてからは同じ気分を味わうようになってしまった。だがいまはお腹の虫を黙らせるために、冷蔵庫の冷やご飯と野菜を取り出し、将生の大好物である葱チャーハンづくりに取りかかった。
夕飯を済ますと美咲は卓袱台に紙を広げる。小さな頃から画を描くのが好きだった。高校に入っていつかは漫画を描く仕事がしたいと思うようになったのだが、作家の指導を受けるとか専門学校に通うとかはできなかった。両親がいればそういうことを願えたのかもしれないが、あの頃は生きていくことしかできなかった。けれども、描きたいという気持ちは潰されも流されもしなかった。独立して生活が落ち着いてくるとまたペンの感触を思い出した。どんな道具を持つべきかなどの知識は薄いが、デッサン用の鉛筆とペンだけは持っている。普段はチラシの裏や会社から持ち帰った不要な書類の裏に描き、仕上げたいときだけ新しいケント紙をおろした。白い紙に思い浮かんだままに線を描いていく。曲線がつながり顔になり身体になり美系の少女が現れる。萩尾先生や美内先生の画はお手本だ。最近の流行作家の真似も。見よう見まねで思うままに好きなものを描き続ける。こんなやり方で漫画家になれるなどと信じているわけではないけれども、好きだから描く。ただ描きたいから描き続ける。何度か雑誌社のコンテストに出してみたことはあるけれど、知らせが来たことは一度もない。当たり前だと思う。画には自信があるが、やっぱりこんなやり方では難しいんだと思う。
眠っていた将生がむっくり起きだして急に口をはさむ。お、描いてるな。俺がストーリーを考えてやろう。んーと、こんなのどうだ。ギター弾きが勇者と組んで怪物を倒す……もういいから黙って寝てなさいよ。じゃぁさ、魔法使いが杖の代わりに魔法のギターでドラゴンをやっつけるっていうのは? はいはい、わかったからもういいってば! あ、馬鹿にしてる? 俺のこと軽んじてる? いいえ、お兄様のことは尊敬してるし頼りにしてますから、いまは静かにしててよ。将生がしぶしぶ引っ込むと再びペンを持ち直す。白い紙の四角い枠の中に主人公が登場すると、仲間たちが集まって来る。まだネームもなにもないけれども無口な登場人物たちが楽しそうに動きはじめる。どこに向かっているのか、なにを目指しているのかわからないまま、それでもなにかをしたいと美咲のペンが動くのを待っている。