とある勇者の希望
そこでは、二つの軍がにらみあっていた。
一つは魔族側の魔王軍。
もう一つは人間側の連合軍だ。
人間側は、連合軍と言ってもほぼ国は滅んだ状態であり、人間の戦えるものをことごとく集めても十万に届かない。
魔王軍側はというと、地平線見渡す限りに展開しており、数えるのすら馬鹿らしい。
そう。人類は壊滅の危機に頻していた。
勇者は、相対する魔王軍を睨んでいた。
状況は圧倒的に不利だった。しかしここに至る過程を見れば、当たり前といえば当たり前の結果だった。
なぜなら、魔王軍が進行してきても人間は内輪揉めをしつづけ、その隙に烈火の如く攻めてきた魔王軍にズルズルと敗北したのだから。
勇者は、自らが人類を纏められなかったことを悔いた。
勇者として持ち上げられ、圧倒的な武力を持っていてもなにも変えられなかった。
その悔しさに唇を噛む。しかし後悔ばかりしていられる状況ではない。
この戦いはおそらく負けるだろう。
そう勇者は考えていた。むろん負けると思って戦いに挑む者などいない。
しかし客観的に事実をみれぱ、勝ち目はない。軍では。
勇者に残された勝利の為の道は、魔王を直接倒すことだけだった。
魔王を中心に結束している魔族は、魔王がいなくなれば烏合の衆とかす。
問題はどうやって魔王まで辿りつくかだ。
魔王の周りには大量の魔族が居り、いくら勇者でも単独でたどり着くことは難しい。いや、不可能に近いといっていいだろう。
だが勇者は一人ではない。頼りになる仲間がいる。
だがその仲間をもってしても魔王の元にたどり着けるかどうか。
あとは運次第だった。
「やっぱり私も一緒に行くわ」
一人の女性が勇者に近づいてきた。
年は二十半ばほどだろうか。腰までのびている金髪に見える髪は、実は限りなく薄い茶色だ。宝石のような綺麗なブルーの瞳。顔立ちはスッとしているが、目が少し垂れていて、全体的には穏やかな印象をうける。
彼女は勇者のパーティーメンバーであり妻だった。
「いや、君は残ってくれ」
「でも……」
女性が不安そうな表情を浮かべる。勇者はその彼女を安心させるように優しく微笑んだ。
「大丈夫。必ず帰ってくるさ。君はこの子と待っていてほしい」
そう言って勇者は彼女のお腹を撫でた。
そこには、勇者と彼女の新しい命がいた。
女性は出来ることなら、行かないでほしかった。
いまここで行かないでほしいと叫び、一緒にどこかに逃げてしまいたかった。
でもそれは不可能だった。
彼は勇者。
人類の最後の希望なのだから。
だから彼女はしばらくの間目を閉じ、言った。
「わかったわ。待ってる。必ず……必ず帰ってきて」
最後の言葉は少し震えていた。
泣かないのは彼女の精一杯の強がりだった。
「ああ」
勇者はそう答えながらも、不可能だとわかっていた。
子供を見ることが出来ないのは限りなく残念だ。
そしてこれは勇者が彼女についた、最初で最後の嘘だった。
しばらく抱き合うと、二人は名残惜しそうに離れた。
「じゃああとで」
そう勇者は軽く言って彼女をある場所転移させた。
そこならば、魔王に見つかる可能性は限りなく低い。
そしてそこは人類の最後の砦だ。
「ほっほっほ。別れはすんだかの、小僧」
現れたのは杖を着いた老人だった。茶色のローブを羽織っていて、顔に白い髭を地面につきそうなくらいにのばし、背筋はほぼ地面と平行だった。
これでも人類最高の魔術士であり、勇者の師匠でもあった。
「ああ。そっちも準備は終わったのか?」
「ぬかりはない。完璧じゃ」
「そうか。でも本当にいいのか? あの術を使えば、あんただって……」
「なに、わしは長く生きすぎた。別にこの術を使わなくとも、そのうちポックリ逝くわい」
カッカッカと老人は笑った。
「……そうか」
勇者は一瞬悲しそうな表情を浮かべたが、直ぐに消えた。
老人と会話していると、勇者の仲間が集まってきた。
熊のような体格でバトルアックスを装備した男や、神経質そうな顔で長弓を装備した男や、大剣を装備した男。
全員、勇者と幾度も死線を潜った仲間だった。
これで共に戦うのも最後になるかもしれないのに、勇者は気の利いた言葉なんて出てこなくて。
結局、いつも通りに今日もよろしくたのむとしか言えなかった。
始まりは突然だった。
魔王軍の頭上に巨大な魔力反応があらわれた。
魔王軍はそれに対しアンチマジックシールドを頭上に展開する。
しかし、それは意味をなさなかった。
魔王軍の頭上から一条の閃光が降り注いだ。
そしてその一条の閃光は魔王軍のアンチマジックシールドをことごく破り、光が収まった時には、半径一キロの範囲が消し飛んでいた。魔王の回りを除いて。
「やっぱりこれじゃ死んでくれないか」
禁呪を使っても倒せなかった魔王をみて、勇者は表情を厳しくした。
勇者は禁呪を使用した老人の元に向かう。
老人は既に息絶えていた。
勇者は老人の脇に膝をつき、少しの間黙祷捧げる。
勇者は愛馬にまたがった。仲間もそれに続く。
勇者は馬を走らせながら叫んだ。
「全軍、俺につづけえええ」
勇者を先頭として、魔王軍に突っ込んだ。
禁呪でかなりの数を消し去ったはずだが、数はむしろ増えているかのような錯覚を受ける。
勇者とその仲間たちは、魔王を目指し一直線に進んでいく。
だが、魔王軍の物量を前になかなか前に進めない。
このままではじり貧だ。
そう思った仲間の一人が動いた。
バトルアクッスを思いっきり降りおろす。その衝撃波により、前に立ちはだかる魔王軍が吹き飛ぶ。
「勇者ぁ! 先にいけえ!」
「すまない。ここは任せた」
勇者は短く答えると、先に進んだ。
あっという間に魔王軍に遮られバトルアックスの仲間は見えなくなった。
がむしゃらに前へ、前へ、前へ。
近づいてくる魔族をただひたすらに切る。時には死体すらも利用して進んでいく。
ついに勇者は魔王の目前まで近づいた。
しかし、魔王の近衛兵があらわれる。
「ここは俺様に任せろ!」
そう言って大剣の男が前にでた。
「まかせたっ!」
そういって脇を通りすぎる。
大剣の男はうまく勇者の方へいかないように牽制する。
一瞬の隙を突いて勇者は突破する。
そして勇者は魔王の元にたどり着いた。
「よく俺のもとにたどり着いたな。誉めてやろう」
「そいつはどーも」
勇者は軽口で返すが、ここにたどり着いた時点で満身創痍だった。
鎧にはところどころにあなが空き、血がながれでている。
「さっそくで悪いが――死んでくれ」
勇者が疾走する。
その速度はとても怪我をしているようには見えない。
そのまま剣を降り下ろすがなんなく魔王の剣によって受け止められる。
勇者は気にせず横薙ぎに剣を振るう。
だが魔王は最小限の動きでこれを避ける。
振り下ろし、薙ぎ、払い。フェイントを時折挟みながら戦うが、全て避け、受け止められる。
勇者が少し疲れで剣先が鈍った瞬間、魔王が攻勢に出る。
魔王の猛攻に対し、勇者は受け流し、払い、避ける。
なんとか防ぐが、一瞬疲れによって勇者の足がもつれた。
その隙を魔王は見逃さなかった。
魔王の剣が閃く。
それと同時に、勇者の左腕が斬り飛ばされた。
ガクッと勇者が膝をつく。
そこに魔王は悠然と歩みより語りかけた。
「どうだ勇者。もう結果は分かっただろう? 私の仲間にならないか。お前を失うのは惜しい」
「この期に及んでそれか。何度言っても無駄だ。断る」
「なぜだ? 何が欲しい。望むなら、なんでも与えよう」
魔王は力の無いものは嫌いだった。だから弱くて何かと気にくわない人間を滅ぼすことにした。
だが勇者は別だった。人間にしては強い。魔王は別に人間が特別嫌いな訳ではない。
だからこうして誘っていた。
「はっ。欲しいものだって? 欲しいものはもう俺の手の中にある」
勇者は彼女の顔を思い浮かべた。
「まあ、それを守りきれなかったのは悔しいがな」
勇者はキッと魔王を睨み付ける。
「だから……何度言おうが無駄だ」
魔王はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ならば死ぬがいい」
その瞬間勇者は弾かれたように走り出した。
魔王と勇者がすれ違う。
片方がドサッと倒れる。倒れたのは――勇者だった。
「ガハッ……」
倒れた勇者に魔王が歩み寄る。
「聞け魔王。人類は必ず勝つ。今回俺という勇者が死に、戦いに負けたとしても」
魔王はそれを聞き、顔を不愉快そうに歪めた。
「お前という存在を失って人間が勝つ? ありえんな。今回の戦いで結果は決まったようなものだ」
「勝つさ。人間は。人間は、生きている限り諦めない。俺がいるとか、いないとかは関係ない」
それに、新しい希望もある。と勇者は小さく呟いた。
「ふん。ならば、せいぜい楽しみにしておこう。まあありえんが」
そう言うと魔王は剣を振り上げた。
勇者は目を閉じ彼女の姿を思い浮かべ、すまない。と呟いた。
「勇者は、この魔王が討ち取った。繰り返す。勇者はこの魔王が討ち取った!」
戦場に魔王の声が響き渡った。
この日人類は負け、魔王が世界の覇者となった。
とある森の奥。
結界の内側に、人類は逃げ延びていた。まだ魔王には見つかっていない。
だが、いつかは見つかってしまうだろう。しかし、今ではない。人類は来るべき日のために、静かに牙を磨いでいた。
そしてこの日。
新たな命が産まれた。
それは、勇者とその妻との子供だった。そしてこの子供が大人になったとき、世界は大きく動き始めることとなる。
これは、ほとんどの人に忘れ去られてしまった先代勇者の話。
弓の仲間は後ろで弓射ってました。ケシテワスレタワケジャアリマセン。