07話
よろしくお願いします
流れてきた情報を処理し、次の段階へ更に流しておく。
決済の済んでいない案件を効率よく分類し消化していく。
時折与えられる新しい課題をこなす。
『彼』からしてみれば、その案件は、そんな数多有る仕事のうちの一つに過ぎなかった。
「提案だと?」
訝しげに共同研究者を見やる望月。
少しだけ口元を緩ませた上月は、俺の方へ覗き込むように上体を傾けてきた。
「その体に関する情報を開示しましょう。但し条件付きで」
「……!?」
「なに?」
突然の種明かし宣言に、俺も望月博士も息を飲んだ。もちろんニュアンスは多少違うだろうが。
「……条件というのは」
それで道が開けるというなら、俺にとってはありがたい。
どんな条件だろうか。
裸一貫の俺にとって差し出せるものと言えば、本当に体しかないわけで―――あ、少し怖くなってきたぞ。
この想像に比べたら、ひたすら床磨きをする無償労働の方がマシだろうな……などと考えていたら、聞こえた言葉に目を瞠ることになった。
「期間限定での労働力の提供―――アルバイトです」
「はい?」
それはとても、普通な提案だった。
「もちろん正規の手順を踏んで。アルバイトなので最低限の保証になりますけど。生活に関しては特例での処置をします。あのまま第四の間で暮らすというならそれも良しですが……」
「え、いや、まぁ……なるべくなら普通の部屋で……」
「上月、何を考えているんだ?」
我に返ったかのように、慌てた声音で望月博士が割り込んできた。
だが当の上月は何処吹く風だ。
「働かざる者なんとやら。きちんと誓約書にもサインしていただきますから」
「勝手にそのような」
「ですから提案と申し上げました。恭司君の同意さえ得られれば上へ掛け合うことが出来ます」
何だかよくわからんが、これは良いほうへ進んでいると見て良いのだろうか。
正規のアルバイト……つまり、給与がでるのなら、ツケになっている食堂への支払いも出来るというものだし……。
そこはかとなく、魔女の奸計に引っかかっている感覚が無いでもないが―――
今の俺には、目の前に差し出された浮き輪を拒否する選択が出来ない。
一度落ち着いて考えられる環境が必要だ。
自分の体の事。これからの身の振り方。
一年後の未来の事。
時間が有って困る事は無いだろう。
ならば俺の返答は、最初から決まっていたようなものだった。
「……よろしくお願いします」
「良い返事です。正式に契約が結ばれてから、また席を設けましょう。
望月博士からも大事な話があるでしょうから」
「おい上月!く……神谷、聞いたとおりだ。次会う時は覚悟を決めておけ」
「ほら、お行きなさい」
「えっと、それじゃあ―――」
最後の望月博士の言葉、そして上月博士の愉しげな笑みが気になったものの、今日はもう休みなさいという言葉に導かれるようにして、俺は会議室を辞したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「恭司君、そろそろ気付く頃でしょうか。どんな反応するか楽しみだわ」
どこかまだ不安げな背中を見送ってから、僕――望月衛――は温くなったカップの中身を飲み干して上月の話を待った。
納得のいく説明をして欲しかった。
「……そういえばあの姿にいつまでも男の名前は対外的にどうかしらね。
今度何か良い名前を考えてあげましょうか」
思いついたように首を傾げる仕草に思わずイラっとする。
「全て調査済みだろう。はぐらかすな上月。
君が何を考えているか知らないが、そこまでの権限が君にあると?」
「さて?」
どうでしょうね?と薄く笑う様は魔女のようだ。見慣れた顔。
―――何か含みのある顔。
「僕が把握している限り、中央情報処理室における不審者の報告は無い。
加えて外部からの攻撃や侵入は認められなかった。
プラント自身が僕たちの指示無しに勝手に起動して勝手に膨大な量のマイクロマシンを操作して素体を形成し、勝手に実存の人間をコピーして来ただなんてトンデモな話は有り、得ない!
そして僕らはあの体が一体どんな設計理念で作られたかを知らない。これは重大な懸念材料だ。
あるいは管理PSの暴走の可能性も―――」
「最後のそれは有り得ません。私の可愛い子供達です」
ともすれば研究自体に影響しかねない大問題である、という事を声高に訴えようとして、いつもの落ち着いた声にぴしゃりと両断された。
「だが!他に考えようが」
「あります。まずは私の報告を聞いてくださいな、せっかちさん」
ほんの少し強められた語気に一瞬たじろぐ。
こういう時、力関係が10年間変わらずにいる事を感じる。
上月伽蓮という女性の不変さも。
不満げながら口を噤んだ僕にひとつ頷いてみせ、彼女は口を開いた。
まるで物語を歌い上げる吟遊詩人のように。
「本当に、稀なことです。今回の件はハッキングでも誤作動でもありません。
システムを立ち上げたのも、素体形成も、記憶のダウンロードも、彼女の意思で行われた」
「彼女って、おいまさか」
そこまで言われて僕も気付く。そんな事が出来る存在は―――
「……私にも断定は出来かねます」
「……おい」
あっさりと居を正した同僚に、思わずがくりと肩が落ちる。
「彼女は高次に存在していると聞き及びますが、決して私たちに干渉しなかった。
干渉する為の器官が存在しない、と言った方が適切でしょうね。
ですので本来なら有り得ない事なのですが―――」
もしかしたら気まぐれを起こしたのかも。そう言ってまた魔女は愉しげに笑うのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ただいまと言うべきなのか、どうなのか……」
初めて見た時から変わらず静かに佇む透明な円筒形の装置。
そして部家の隅には、機械的なこの場にはあまり似つかわしくない、瀟洒なベッドが鎮座している。
―――第四の間。始まりの場所。
トマのくりくりした目が俺を見上げていた。
『新しい部屋は、最終的に許可が下りてから用意しますので、それまではこちらの部屋を』
そんなこんなで、まだ暫くはここでの生活を強いられそうな現状なのであった。
時刻も色々あって夕飯時と言った頃合い。
だが食欲もわかない。昼に食べたビーフストロガノフが多過ぎたか?
握り締めて包帯に血が滲んだ手を、ぼんやり見つめる。
―――夢じゃ無いんだよなぁ……
腰掛けていたベッド(PS謹製)にそのまま寝転がる。
「はぁ……このベッド、寝心地は悪くないんだけどな……」
とても……沈む。
いつしか、意識も一緒に沈み始めていた。
「……きょうじ、お前は、恭司というんだ。わかるか?」
「……きょ、うじ?」
手が見える。ちいさな手。その手には大げさなほどに白い包帯が巻かれている。
見回せば目に入るのは、白い壁とクリーム色のカーテン。
そして窓から差し込む柔らかな日差し。
目の前には、眼鏡を掛けた優しげな男が、自分を覗き込んでいた。
「……だれ?」
「……っ…、お前の、父さんだ」
「……とうさん?」
「ああ、そうだ。―――は、覚えてないか?」
「……?」
父だと名乗った男の目が、細まる。
何故かそれを見て、かわいそうだと思った。
「お父さん、無理もありませんよ。よほどショックだったのでしょうから」
傍らの、白い服の男が、父の肩に手を置いた。
何もわからなかった。
自分が何者か。ここはどこなのか。一体何があったのか。
手が見える。小さな手だ。これは自分の手だ。
次いで足を動かす。動く。これは自分の足だ。
頬がくすぐったい。風が撫でたのか。
そんなふうに認識したモノが何であるかを、一つずつ再確認していった。
触れれば、認識さえすれば、理解出来た。
問題は―――父親の顔も母親の顔も、自分の姿すら思い出せなかったこと。
鏡を見て、しばらく猿のように鏡と格闘した。
自分だと認識するまでにしばしかかった。
黒い髪、長く眠っていたせいなのか少し荒れた肌、頬はこけていた。
何かが違う気がした。
自分の目は……こんな色をしていただろうか?
それもすっかり忘れてしまっていたけれど。
次の瞬間、けたたましい音に目を覚ました。
懐かしい夢を見ていた気がしたけれど。今はそれよりも。
「―――っ、なんだ!?」
目覚ましにしては少々過剰だ。
神経に刺さる音。
「警報……?」
慌ててベッドから飛び出し、部屋を出た。
誰も居ない。
時計は持っていないが、なんとなく、それほど時間は経っていないような気がした。
ただ事では無い予感がする。とにかく上へ登ってみよう。
そうしてエレベーターに向かうと、あの人形が居た。トマか?
『現在、一時的に施設の使用を制限中。何かあった?』
「えっと、ユダか?」
雑な判別だが、人形はこっくりと頷いた。
『シャワー?』
「え、いや、今は必要ない……じゃなくて、何かあったんじゃないのか?警報みたいな音が……」
『それは関係者各位に向けたもの。あなたが気にする必要は無い』
「……いや、確認したい。上へ登れるか?」
『否定。使用を制限中』
「どうしてだ?」
『あなたの安全を最優先とする。これが博士たちからの指令』
つまり、上は危険ということか?
「一体何が起きているんだ?避難訓練じゃないだろう?」
『心配いらない。いつものこと』
「説明してくれ」
問い詰めるようにユダに迫ろうとしたところで、エレベーターが稼働した。
「今度はなんだ?」
『警報は解除された』
「―――解除?」
『肯定。現在こちらに当社の保安職員が向かっている』
綴られる文字を読みながら安堵の息を吐く。
訳のわからない内に危ない目に遭うのは御免被りたい。
そうこうするうち、エレベーターの表示が切り替わって扉が開いた。
降りてきたのは、目鼻立ち涼やかな1人の少女……―――そう、どう見ても、少女だった。
(何だか女性にばかり会うような気がするが気のせいか?
田舎で普通に高校通ってる時は女子とまともに話したことも少ないのに)
こちらの心中を知ってか知らずか、少女はまるで危険物を見るような、値踏みするような目線を暫し寄越すと、納得したように頷き口を開いた。
「お休み中のところを失礼。先ほどの警報は脅威が取り除かれたので解除されました。
どうぞ安心して、お休みください」
「君は?」
「―――私はここの社員です」
告げた姿は見た目か弱き少女であるのに、ある種の威風を纏っていた。
肩口で揃えた髪、きっちりと着込まれた制服、足元はデザインこそ無骨ではないが相当に頑丈そうなブーツ。そして異彩を放つ、手元の装備品の数々。
ここ一応日本ですよね!?
思わずそう問いただしてしまいたくなる、出で立ちであった。
あれか、これからひと狩り行こうぜってことか。
俺、何も装備揃えてないけど。あのゲームもやったことないけど。
「はいそうですか、と、また寝床に戻る事も出来ないわけなんだが……」
「何故です?」
「いや、だって何があったか知らされないんじゃ……」
「某国偵察機小隊による威力偵察です。ご心配なく、被害はありません」
人が寝てる上でドンパチやってらっしゃったそうで。
「それすごく大変じゃないか?」
「恒例行事のようなものです」
「警報が恒例行事とか嫌過ぎる……」
スパッと言い切る少女に思わずため息が漏れる。
すると何か思うところでもあったのか、手に持つ重量級な装備品を構え直した。
「護りは磐石です。憂う必要はありません」
そうではなくて。
「いや、まぁ伝えに来てくれたわけだから……ありがとう」
「……いいえ、どういたしまして」
調子を狂わされながらも、何だか色々考えるのに疲れてしまった。
「……あなたは、少し違う」
ふと聞こえた呟きを拾うも、少女は既に踵を返し来た道を引き返していたのだった。
再び閉ざされたエレベーターを呆然と見つめる。
つまり、おやすみなさいって事だろうか。
俺も来た道を第四の間に向けて引き返すことにした。
―――と、引かれる感覚に立ち止まる。振り向くと、ユダが浮遊しながら服の袖を掴んでいた。
「どうした?」
『寝るなら寝巻きを用意した。着ると良い』
「……そうか、ありがとう」
部屋に戻りベッドを確認すると、確かにそこには寝巻き一式が。
ただし―――当然だが―――女物。
「…………」
いや、自分の体だし?脱がないと寝巻きは着れないし?
どこに向けて言い訳をしているのだろう。
とにかく、俺はシャワーを浴びてから着替えることにした。
『サイズはどう?』
「ああ、大丈夫」
ユダの問いかけに何とか返事をする。
いやもう、びっくりした。何がどうしてびっくりなのか語り尽くせないけれど、びっくりした。
タグは確認できなかったが、恐らく素材は絹だろう。
しっとりすべすべで、今まで着ていたスウェットのズボンの感触がいっそ懐かしくなった。
ちなみに、昼間の怪我はシャワー時に確認した時には綺麗に治っていた。
「なんか、何もかも違うんだなぁ……」
下を履いた瞬間の“ストン”という感覚が、嫌が応にも喪失感を煽る。
「いや、別にこれから先ずっと女のままというわけではないだろうし」
ブツブツと独り言になってしまったが、とりあえずまたベッドに潜り込む。
ついこの間まで、薄っぺらいマットレスに硬いシングルベッドで寝ていた事を思い出すと、このベッドはいささか豪華に過ぎる。気分は場違いにも上流階級の晩餐会に客として迷い込んでしまった清掃員の如くだ。
アルバイト……アルバイトか。
一体何をさせられるのだろう。
少なくとも今後―――あの瞬間に至るまでの一年を過ごす上で、俺の運命を決定付ける事柄であろうことは明白だ。
横になってから気付いた違和感に、髪の毛を束ねていたゴムを外す。
長い髪が広がって肩に掛かってきたが、ぼんやり包み込むような眠気に振り払う事もせず目を閉じた。
しばらく部屋で俺を見ていたであろうユダの気配が遠ざかり、ドアが開閉する音がした。
その音と共に訪れた暗闇に、意識を落とす。
今度は、夢を見なかった。
ありがとうございます。
また少し間が空くと思いますが、少しでも早く書けるように頑張ります。