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ミネルヴァの憂鬱  作者: 杉紙
6/18

06話

前回のあらすじ。

偶然知り合った女の子が、オッサンの妹でした。

「にいさま……?」


 衝撃の事実を言い放ち微笑んださくらさんに、思わずオウム返しになる。


「私、望月さくらって言います。兄からあまり初対面の人に苗字を知られるなって、口止めされてるんです。黙っててごめんなさい」

「望月……博士の、妹さん?」

「はい」


 さくらさんは栗色のふわっとした髪、よく動く大きな瞳、小柄な体躯、透き通るような肌……

 望月博士は白髪が混じっているからなのかグレー系のボサっとした髪に、剣呑な目つき、無精髭……


「似てないな」

「ぶっ」


 何気なく放った俺の呟きに、さくらさんが盛大に噴き出した。


「なっ、あはは、何言ってっ!ふは!」

 腹を抱えている。そんなにツボに入ってしまうような事だっただろうか。

「た、確かに、ふふ、似てないけど!あんなのに似てたら嫌だけど!」


 そうしてひとしきり笑った彼女は、目じりを拭いながらも一息ついた。


「はーー……もう、神谷さんてちょっと天然?」

「む?」

 どの辺りでその結論に至ったのだろう。俺にはよくわからない。


「兄様の仕事は何となくわかるから、そのお客様なら色んな事情があるんでしょうね。

 ……そっか、なら納得」

「え……と?」

 何に関して納得されたのでしょうか。


「あ、そういえば時間!神谷さん、また後でね!」

「さくらさ、ちょ、ま―――」

 色々聞きたい事を置いてけぼりに、さくらさんは行ってしまった。


 たったかたー、という擬音が付きそうな軽快さで、駆けていくさくらさん。

 半ば茫然としながらも傍らのトマを見下ろすと、徐にボードを取り出した。


『博士たちが指定したお部屋へご案内いたします。そこでお待ちください』





・・・・・・


 人は自分が思っている以上に、自分が居る場所の不安定さを知らない。

 薄氷の上を、誰かに(そり)を引いてもらって進んでいるという自覚が無いまま胡坐をかいている。

 いつ氷が破れて溺れてしまうかも分からない場所を、どこへ向かっているかも分からないまま、運が良ければ橇の上で一生を終えるのだろう。けれど。


 今の俺には身分証明になるものも、後ろ盾になってくれる家も国も無い。

 例えるなら救命胴衣も無いまま、大海に放り出されてしまったようなものだ。

 いや、ここは文字通り大海原だった。

 陸地よりはるか遠く、沖に浮かぶ秘匿された人工島。

 そして今俺が居るメガフロート『高天原』は、まるで天が投げて寄越した浮き輪のようだ。


(その浮き輪に、穴が開いていないと良いが)



「さて、話を始める前に、君に確認したいことがある」


 昨夜よりも無精髭が濃くなった気がする望月博士は、そう切り出した。

 トマに案内されたのは昨夜の部屋とは違い、恐らく休憩室か、会議などに使われていそうな部屋だ。そういえば昨夜の部屋は、上月博士の個人的な仕事部屋だというような話をしていたっけ。

 ノスタルジックな風合いだった上月の部屋と比べ、ここは白を基調とした事務的且つ清潔な色合いの部屋だが殺風景には感じない。所々に暖色の調度品や壁紙が配されていて、差し込んでくる淡い光が反射して控えめな電灯でも明るく感じる。

 そんな風に横に逸れだした思考は、正面に座る望月博士の咳払いで引き戻された。


「先ほど、僕の妹に会っていたな」

「はい。驚きました」

「…変な気を起こしていないだろうな」

「――?なにがですか?」

「……………………いや、忘れてくれ」


 何故か安堵らしき溜息をつく望月博士の後頭部を、隣の上月博士が無言で平手打ちしていた。

 このシスコン、みたいな呟きが聞こえた気がするが、何だろう。


「上月やめたまえ。今ので私の優秀な脳細胞が幾つか逝ったぞ」

 望月の抗議は淡々としたものだった。

 仕事仲間であるし、それほど仲が悪いという事も無さそうだ。


「話が進まないでしょう。それで、神谷恭司さん……恭司君と呼ぶべきかしらね」

「はい、どちらでも大丈夫です」


 向けられた視線はどこまでも探究者のそれで、思わず怯む。

 なんというか、威圧感のようなものを感じてしまうのだ。上月博士には。

 白衣の下は昨日と違う意匠のワンピースで、相変わらずのフリルまみれだというのに。


「あなたの証言を元に、一通り調べさせてもらいました。

 貴方が言った神谷恭司という人物について、可能な限りの全てを」


 来たか、と思った。身から出た錆とも言えるがこの際仕方ない。

 こうなる予想は出来ていたのだから、正念場はここからだ。


「調査の結果、貴方の言う通り該当者は現在北関東の高校へ通っていて、父親との二人暮らし。部活動には所属せず、週末や平日夕刻には近所の喫茶店『楓』でアルバイトをし、生活費の一部や自分の小遣いはそこで稼いで使っている。成績は中の上程度。友人は多くないけれどトラブル等は無く関係は良好……ここまでで何かあります?」

「いえ……」

 俺が証言したのは、姓名・住所と電話・父親の名前・通っている高校名くらいだ。

 正直冷や汗ものだった。どこの興信所に頼んだか知らないが精密にもほどがある。

 この博士……いや、この研究室は、ソフェルという会社は一体何だと言うのだろうか。


 望月博士は眼鏡のフレームを指で押し上げながら、訪ねてきた。 

「……彼は今日も普通に学校へ行って授業に出席している事が確認された。その事については?」

 それは俺が一年後の未来から来たから。とは、俺の扱いがどう転ぶかわからない現状口が裂けても言えない。下手な受け答えをして全身くまなく解剖検査されてホルマリン漬けという結果は全力で回避したい。ちょっと想像を逞しくし過ぎの感はあるが、それでもだ。

 まず俺がするべきは、自身の立ち位置の把握。

 事前に決めた優先順位を間違えるわけにはいかないのだ。


「俺は、自分自身が神谷恭司である明確な意思があります。……けれど、もう一人の自分が居るというのは、……俺にはよく理解できません」

 思わず背が震えそうになるのを堪えた。緊張している。当たり前だが、そんな状態になっていてもどこかで冷静に自分自身を見下ろしている思考があるのも確かだった。


「あまり驚かないんですね」

「こんな体になっている今の状態が一番驚きですから……」


 上月博士は優雅な手つきで紅茶のカップを口元へ運ぶ。


「まぁ良いでしょう。まず私たちが究明したいのは、現在の状況を作り出した要因です。

 本来なら起こり得ない事が起きた。それだけは間違いないのですから」


 カップで隠された口元が怖い。その『面白そう』と言わんばかりの視線やめてください。


「今日一日、貴方の付き添いをトマに任せたわけだけれど」

 言いつつやはり優雅にカップを置いた彼女の隣に、トマがお替わりの紅茶を入れたポットを持ってひょいと登ってきた。彼女はメイドもびっくりな手慣れた動作でポットをテーブルに置き、保温用にティーコジーを被せると、またどこかへ行ってしまった。ここにはよく社員が集まるらしく、近くに給湯室があるらしい。

「もちろん、あなたの監視という役割もあった」

「……」

 それは何となく察してはいた……更に、さくらさんの事を聞かれて確信していた。


「本来であればもっと安全性を考慮し、拘置するのが適当だったろうが……最初にお前を見つけたユダに手出ししなかったからな。様子を見ることにした」

 望月は足を組みなおして、気だるげに(まぁ最初からだが)ジト目を向けてきた。


「この会社……いいえ、この『高天原』について、説明は聞きました?」

 再び上月博士から投げ掛けられた問いに、慌てて振り向く。

「はい、おおよそですが」


 トマから聞いた限りの推測だが、ここは大がかりな実験施設なのだろう。

 世界に根深く根強く巣食うあらゆる問題、例えば食料・領土・宗教に関係した差別・戦争行為等。

 それらを根本から解決するための概念実証施設。

 ソフェルの本社ビルで食事している時や、トマに案内してもらっている時にすれ違ったり見かけたりした社員らしき人たちを思い浮かべる。比率がどうなのかまでは判らなかったが、多種多様な人々が居た筈だ。彼らの会話は俺が聞き取れたもの(日本語)もあれば理解できなかったもの(その他)もあるが、少なくとも彼らが言葉で不自由しているような場面は無かったように思う。

 それだけを見てもこの会社のワールドワイドな姿勢が窺える。


「そう。その様子だと、少しは此処の本質的なものも見えていますか」

 

「……どう、でしょうか。正直初めて知ることばかりで……」


 色々聞きたい事はあるが、どんな風に切り出せば良いだろうか、悩む。

 纏めてきた筈なのに、うまく言葉が出てこないのだ。

 手が痛い。気が付けば強く拳を握りしめていた。


 そこで、不思議な感覚が走った。

 何と言えば良いだろう。澄んだ水が頭の天辺からつま先までを一瞬で通り抜けた、ような。


 次の瞬間には、握りしめていた拳は緩く開かれ、震えそうなほどだった背筋からは力が抜けていた。

 凪のような心地である。淀んでいた思考は一瞬でクリアになった。


「……?」

 

「…………中身は確かに人間のようだな」

「いや、人間ですけど」


 望月の発言に、自分でも驚くほど自然に反応していた。さっきまでガッチガチだったとは思えない。


「やたら緊張していたようだが、余分な力が抜けたのが判ったか。今のはその体に備わっている自衛本能のようなものだ。ざっくり言えば、一定以上のストレスが検出された場合、自律神経を活性化させてホメオスタシス機能を一時的に向上させている。これによってストレスから来る内蔵系異常を抑制する事が出来る。本来人間にも備わっているごく普通の機能ではあるが、その強化版と言ったところか」

 望月は態度こそ最初から変わらず気だるげだったが、そんな風に解説してくれた。


「お前はまだその体に関しての知識が無いのだろう。単なる人工知能なら緊張して拳を握りこんで怪我をするとは考えにくい……とりあえず手を出せ」


 やれやれ、と溜息をつく望月に、恐る恐る手を差し出す。

 改めて見れば、気付かない内に爪の痕にはぷくりと血の玉が出来ていた。


「あー……上月、確かその辺に救急キット無かったか」

「ええ、トマお願い」

 どうぞ、と渡された消毒液を手際良くガーゼに吹きかけ、血をポンポンと拭き取る望月。

 その姿にふと既視感を覚えた。


「…………いて」

「あー、良かったな。痛くて」


 他人事だと言わんばかりの平坦な声だったが、不思議と不快では無かった。

 ああ、そうか……そう言えば家でもこんな事があった。

 父と博士は似ても似つかない性格だけど、俺が無茶をして似たような怪我をした時は、こんな風に手当てをしてくれたっけ。


 ……って、懐かしさに耽っている場合ではない。


「ふむ、原因究明にも時間が掛かりそうだな。本当に何も知らなそうじゃないか」

「はぁ……この体は結局何なんでしょうか……」

 望月のぼやきに思わずそう漏らせば、ガーゼを持つ手が一瞬止まった。

 思わず零れた疑問。もしかしたら一番知りたかった部分。

 どうして『俺』の意識はここに在るのか。


「……一応人間だが。まぁ普通ではない事は確かだ」

 ……そう来るだろうとは思っていた。


「…………俺は知りたい」


 一瞬の沈黙が降りる。

 どこにも行き場が無い現状、この博士たちを俺の協力者、あわよくば理解者に出来たならば心強い筈だ。ダメだとしても相互不可侵の約束くらいには持っていきたい。


「少なくとも、正直に言って俺は貴方たちの得体の知れなさにまだ恐怖しています。それとは別に、信頼したいと思っているのも、事実です」


「―――なるほど?」

 望月が、先を促すように顎をしゃくる。

 さっきのホメオなんとかがどうのという、その効果で随分楽になったおかげで、言いたいことは言えそうだ。


「最初に、俺は貴方たちの害になるような行動はしない、という事だけは言わせてください。

 この体の機密性も、この施設の重要性も、充分では無いにしろ把握しました。

 その上で、俺がどうすれば良いのか分かるまで、ここに置いていただけませんか。

 その代わり、俺も出来る範囲での貢献をします。雑用でも何でも」


「……つまり少々大げさに言うと、君にとって我々が脅威となるようなら、敵対も視野に入れると?」

「……そうならない事を祈っています」

 

 暫し静寂が場を支配した。解けた筈の緊張がじわりと襲ってくる。

 望月も上月も、何か思案するように視線を他所へやっている。



「ひとつ、私から提案があるのですが」


 しばらくして、膠着していた空気を塗り替えたのは、そんな一声だった。


お付き合いありがとうございます。

とりあえずあと1話は書いてあるので、明日くらいに……

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