05話 社会科見学(メガフロート編)③
大分間が空いてしまいましたが、社会科見学は一旦ここで休憩です。
「だーれだ?」
無邪気に響く、鈴のような声。
それだけでもこの視界を塞ぐ手の主が、若い女性だということを予感させた。
「あの……」
どちらさまですかと声を上げるより早く、勘違いに気付いたらしい女性の息をのむ気配と、同時に視界が開けたので、後ろへ振り返ると。
「あれあれっ? 人違い? ぅわわ!ごめんなさい!」
パッと飛び退いて、少し赤い顔で慌てふためく女性……と言うよりは女子高生のような年格好の『女の子』が居た。
先ほどまでちょっと沈みそうだった思考が引き戻される。素直に『可愛い』と思わせる純朴さ。瑞々しい若木のような魅力ある雰囲気を纏った女性に知らず見とれていたことに気付いて、俺も慌てて体勢を戻し立ち上がる。視線が上がると、女性のつむじが見えた。そういえば俺の今の身長いくつだろう。
「ちょっと友達と勘違いしちゃったみたい!」
「………あー、いや」
立ち上がったは良いが、どう声を掛けたものだろうとしばし思案する。
こういう時、自分の語彙力の無さに少し哀しくなる……いや、止そう。
「ここの社員さんですよね?というか、新入りさん?―――サボり中?」
どうやらソフェル敷地内の公園でぼーっとしていたら社員だと思われたらしい。
そういう彼女は関係者なのだろうか。先ほどまでに聞いた話からすると、この人工島には一般人と呼ぶべき住人は居らず、全ての人間が海上都市開発機構に属する何れかの企業の社員であるらしいし。
「えぇと、その……」
「よく考えたらあの子がここに居る筈無いんだよね。まだ仕事してる頃だろうし」
的確な説明を考えている間に気が付くとベンチに座り、てへっと首を傾げるのは、高校生である自分と同じか少し年上に感じる少女―――妙齢の女性。
立ったままなのも失礼に思い、俺もまた続けてベンチに腰掛けた。
彼女は『さくら』と名乗り、俺も無難に神谷だと告げた。先ほど食堂でシャオさんに告げた時の気まずさを思い出したからだ。やはり現実問題として、この容姿に男の名前は痛いものがあった。
とはいえ、とっさに思いつく偽名も無い。とりあえずは苗字を告げるのが妥当だろう。
なんだか流れで一緒のベンチで寛ぐようなことになってはいるが、察するに彼女もここへは休憩に来たらしかった。
「午前の用事は終わったから、ちょっと散歩でもしようと思ったのね。そうしたら遠目に友達によく似た後ろ姿が見えて。気心の知れた友達だから驚かそうと……ごめんなさいね」
「いえ、それはもう良いんですけど……もしかして、邪魔をしたでしょうか」
「え?」
ぱちくり。さくらさんの無邪気な視線に怯む俺。
「ここは、お気に入りの場所とか、なのでは……」
「ああ、そういうこと。邪魔だなんて。だってここ公園でしょ?公園っていうのは、そもそも誰かが独り占めして良い場所じゃないでしょう?」
「それは、まあ……」
ごもっともである。
そんなやり取りをしていると不意に、
ぐぅぅ……
「…………お、お腹すいちゃったみたい。今日は朝早かったし、もうお昼には良い時間だものね!」
てへへ、と照れ隠しのように頬をかく彼女は、見間違えでなければ天使に相違無いだろう。
「あの―――さくらさん」
「はい!」
「えぇと……私は、これからお昼を摂ろうかと思っていたところで……」
慣れない一人称に詰まりながらも、何とか話を切り出す。
元々あまり話すのは得意ではないし、相手が女性ならなおさらである……
「あっ!神谷さんもお腹すきました?それなら―――」
「い、一緒にいかがですか?」
「へっ?」
「その、これも何かの縁ですし……さくらさんさえ、良ければ」
もしかしたら人生初めての、ナンパかもしれなかった。
―――体、女だけど。
そんなわけで俺とさくらさんは、朝方に俺がお世話になった姜小鈴さんの食堂へと足を運んだ。何故かと言えば、店らしきものが見当たらなかったからと、俺が財布すら持ってなかったからだ(当然と言えば当然だが)
さくらさんにも聞いたが、この区画―――というより海上都市全体で見ても、まだ一般の量販店や飲食店は開発途中のものが多く、知っている中で味も保証出来る処と言えば数える程度なのだとか。
一般住民の受け容れは、遅くとも半年程度先を見積もっているというのが、今現在ソフェルの公式見解だという。
……これも、俺の記憶と照合すると一致する部分がある。というのも、俺も以前からほんの少しではあるが、インターネットなどの情報で人工島を運営する企業の噂は見聞きしていたからだ。そしてメディアに殆ど露出せず、それ故に噂でしかない存在である海上都市への一般市民受け容れが始まったのは、俺の主観時間で半年前―――もちろん、ネット上の噂程度だ。
まさかそんな幻のような都市に、一年も前に、しかも女の体で訪れる破目になるとは思いもよらなんだ。どうせ来るなら元の体で来たかっ……止そう。気が滅入るような考えは。
まだ俺には明日が安全に訪れるかどうかにすら、保障が無いのだから。
朝から続けての来訪に、シャオさんは人懐っこい笑顔で歓迎してくれた。
「そろそろお腹を空かして来る頃かなと思ってたわ~。でも、さくらちゃんまで一緒とは驚き」
「こんにちはシャオさん。ちょっとそこの公園でね」
驚きは俺の方である。関係者なのかなとは思っていたが、シャオさんとさくらさんは親しげに言葉を交わしている。やはり社員なのだろうか。どう見ても学生にしか見えないのだが……
「あらあら、それは、いつもの思慮深いさくらちゃんにしては、そそっかしい事をしたのねぇ」
「反省しきりです、ハイ」
友達をびっくりさせようとするなんて、とシャオさんは心底珍しげに言う。
さくらさんは恥ずかしげに縮こまってしまった。
「私は気にしてません」
俺の言葉に、ふとシャオさんが振り向く。
「あら、俺っていうのはやめたの?ふふっ、その方が自然で良いわよ」
そうだった。シャオさんにはフルネームも直していない一人称もそのまま聞かれていた。
一人反省会でダラダラと汗を流す俺を余所に、シャオさんとさくらさんは談笑を続けている。
どうやらシャオさんには、俺の言動は特に奇異に見られてはいないようだ……多分。
「神谷さん、そういえばさっきも『私』って言いにくそうにしてたみたいだけど、そうだったの?」
「その、お、男所帯で育ったから、俺って言うのが癖になって……シャオさんに指摘されて、直そうかと」
我ながら苦しいとは思ったが、さくらさんは気にした風もなく、そうなんだ、と一つ返しただけだった。
よかった…………ん?何故俺はこんな事で安心したりしているんだ?
「ほら、二人ともトレイを持って来て。粗方本波は終わったから一部は余り物になっちゃうけど、今日のお昼も自信作よ」
社員さんはいっぱい食べるから大変よ~、と、それでも楽し気にシャオさんは笑った。
さくらさんは手元に何か用意したかと思うと、トレイ置き場の壁にある機械にかざした。
同時に耳に届く不思議な電子音。電子マネー的なものだろうか。
「あの、そういえば、私はお金を持ってなくて」
不安に思ってシャオさんに尋ねると、怪訝そうな表情――ではなく満面の笑みで
「あなたの分は朝と併せてツケておくから大丈夫~」
地味に衝撃的な事実が発覚した。どうやら早急な金策が必要らしい。
今日の昼食メニューの一つであるビーフストロガノフを盛り付けてもらいながら、俺は『働き口探し』を優先順位高めに脳内メモへ書き留めた。
ちらほらと食堂には人が居る。席は空いているから選び放題だし、喧噪も無い分ゆったりと食事を摂ることが出来るだろう。―――その殆どの視線が此方に向けられていなければ。
「あの、もしかして部外者はここで食べてはいけないんでしょうか……」
「何言ってるの神谷さん?冷めないうちに食べましょ」
さくらさんは常連ということで慣れているのか、無駄な動き無く好きな席へすたすたと歩いて行った。
やはりチラチラと視線を感じたが、とりあえず攻撃的な雰囲気でも無いと判断し気にしないことにして後に続く。
この食堂は天井が高く、光の取り込み窓も多い。それだけでも明るく開放感があるが、配色にもこだわりがあるようで、オフホワイトのテーブルや椅子の配置がなんというかオシャレである。
窓際の席は囲いの様にソファが並んでいて、座ればそこから外の緑豊かな景色を楽しむことが出来る。
まるでカフェの様だ。俺がバイトしている喫茶店は、マスターの趣味もあってどちらかと言えばカントリーな内装で、素朴な雰囲気の店だったしな。まぁでもこれはこれで悪くない。
さくらさんが選んだ席は窓の外を眺められるソファ席だった。
「ん、今日のご飯も美味しくて幸せ~」
本当に幸せそうにビーフストロガノフを口に運ぶさくらさんの所作は流麗で、どこぞの名門貴族のお嬢様かと思ってしまう。普段の食べ方―――つまりは男の時の意識のままでスプーンを入れようとしたところでそれを見た時、そういえば今は女の体であったと思い直した。そして彼女の作法を見様見真似で―――ぎこちなさはあったが、何とか食べてみた。
サワークリームが濃厚でマイルドなソースのアクセントになっていて大変美味である。
……うむ、まぁ自然に振る舞えているのではないだろうか。自画自賛だが。
「なんか不思議な人ね」
唐突にそう言われ、慌てて咀嚼していた分を飲み込む。
「え、私、ですか。どの辺りがですか」
「んー、どこがって言うんじゃ無いんだけど……神谷さん改めて見ても美人だし、背は高いし、スタイル良いし……私結構、人見知りする方で……ホントですよ?神谷さんみたいな子は普段近寄り難く感じるんです。でもこう……構いたくなるというか、隙があるというか。迷子を見つけたような気分で」
どきりとした。
そりゃあ現在進行形で時空の迷子である。加えて性別も迷子である。不安にならない方がおかしい。
が、気付かない内に動揺と不安感がダダ漏れだったのだろうか。
それはちょっと、恥ずかしい。
何言ってるんだろうねーと誤魔化し笑いをするさくらさんを見ていられなくて、思わず俯く。
――――――迷子。どこにも、帰る場所の無い――――――
さくらさんの言葉が、じわりと染み込む。重い。
今のご時世、海だろうと山だろうと、人間の技術は進歩しているのだから、飛行機なり列車なり使えばすぐに家に帰り着ける。それが普通だ。俺にとってもそうだった筈だ。
けれど今の俺にとって、物理的な距離よりも何よりも遠いもので阻まれていて、自分の家が遠過ぎる。
一年前の俺は、今日も普通に学校へ行って、普通に授業を受けて、クラスの友人たちと何でもない話をして、いつもの家へ帰るのだろう。
そこに今の俺の居場所は、無い。
「………迷子か」
さくらさんの的確な表現に苦い笑みが浮かぶ。
「あ、あれっ?神谷さん?」
「なんでも、ありません」
顔を上げると、さくらさんの泣きそうな顔が見えた。
「どうしたんですか?」
「………なんでもないです」
さくらさんはどこか膨れたようにプイッと顔を逸らし、もくもくと食事を再開した。
何だか話し掛けづらくなってしまった。俺も仕方なくそれに倣う。
「…………私、ちょっと前までは歩けなかったんです」
あと数口で食事も終わろうかというところで、さくらさんは昨日の天気を話すような口振りでそんな事を言い出した。
「え?」
「……物心ついた頃からずっと家か病院のベッドの上で、勉強もインターネットや自主勉強だったの」
「そう……だったんですか?」
「あ、信じてないでしょう」
「いや、だって」
「まあ、今はこの通り普通に歩けるんだけど……当時は私も、体に難しい問題をいくつも抱えてた。支えてくれた家族や友人たちのおかげで今を生きてると言っても良いくらい。
だから余計に―――その人たちに迷惑を掛けたくなくて、無理やり明るく振る舞ってた」
さくらさんが何を言わんとしているか、何となくだが分かり始めた。
「抱え込めば抱え込むほど、それは膨らんで、いっぱいいっぱいになって……
でもある時、お見舞いに来てくれた兄が言ってくれたの。
『お前は人と違う事で負い目を感じる必要は無い。何かあれば吐き出せ。
それを受け止められないようなら、僕は最初から此処に居ない』って」
嬉しかったよ、と笑うさくらさんの目じりは、少し光っていた。
「だからね、もし神谷さんも何か悩みとか抱え込んじゃってるものがあるなら、無理せず相談した方が良いよ。もちろん信頼出来る人が良いけど、神谷さんが良ければ私だって」
何か力になれるかもしれない―――
さくらさんの気持ちは、どこまでも純粋で、打算が無く、真っ直ぐだった。
そう感じたからかどうかはわからないが、俺はきっとこの時初めて、緊張が解れたのかもしれない。
「ありがとう。さくらさんは、優しいんだな」
「ふぇっ!?」
そんな素朴な反応にも、微笑ましく感じて口元が緩む。
ここの人たちは、思っているより警戒する必要が無いんじゃないかと思う程。
けど、自分の特異性を明らかにした時、ここに存在していられるかどうかは、まだわからないから。
俺はそっと、自分の中の『甘え』を戒めた。
食事を終えると、さくらさんはトレイを纏めてテキパキと置いてきてくれた。俺がやると言ったのだが押し切られてしまった。人見知りすると言いつつもどことなく頑固さが透けて見える。
そうしてテーブルに戻ると、さくらさんは手元の何も無い卓上をトントンと叩いた。
途端、目の前に浮かび上がるディスプレイのようなもの。
驚きで固まる俺には気付かないようで、さくらさんは慣れた手つきでひょいひょいと操作している。
「ここの端末は使ったことある?というか、自分の『識』は持ってないの?」
何を言っているのかワカリマセン。
「そ、それは何をしてるんだ?」
とりあえずの疑問を口にする。SF映画とかではよく見る光景だが、実際に目にするとまた違う驚きがあるのだ。
「ん。ここからアクセス出来る範囲は限られてるからそこまで深くは見れないけど、まぁ端的に言えばホームページを閲覧してるってところ……あ」
何か気付いたのか、ささっと手元を動かす。
「よし。これでOK」
「今何を?」
「え、何って、トレードだけど」
「??」
「まぁ『識』任せでも充分だけど、自分の目で見ないと納得いかないっていうかね」
―――不思議なのはさくらさんの方ではないだろうか。
「もうこんな時間かぁ……神谷さん、この後は戻るんでしょう?―――ってそういえば私も行かなくちゃ」
時計を見て、あっちゃーという擬音が聞こえてきそうな大振りな動作で額に手をやるさくらさん。
なんというか、感情表現がいちいち大げさと言うか、やはり小動物の様で見ていて微笑ましい。
さくらさんが手元のコンソールらしき部分を操作すると、ディスプレイは消失した。
そうして彼女は手元の荷物に手をやり、そろそろ行きましょう、と立ち上がる。
「あ、その……ありがとう。楽しかった」
それを見て俺も続いて席を立った。
「私も!さっきの話だけど、私でよければいつでも力になるから。
また一緒にお食事しましょうね!」
「そ、それじゃこれで」
後ろ髪を引かれる気持ちを振り切り、ソフェルのエントランスへ続くエレベーターへ向かって踵を返そうとしたとき、
「あれ?神谷さんもそっちなんですか?」
何故か横並びになったさくらさんが、やはり小動物の様にこちらを見上げていたのだった。
歩きながら話を聞くと、どうやら家族がソフェルで働いているとのことで、今日はちょっとした用があるらしい(ちょっとした用が何なのかは教えてもらえなかった)
さくらさんも社員なのかという問いには笑って首を振り、ただの客だという返答。
色々とよくわからない女性だと思った。
まぁ今のところ、一番よくわからないのは自分の存在そのものだったりするのだが……
ともあれ、さくらさんの闖入(あえてこの表現とする)によって思考作業が中断されたものの、いくつかの思い当たる事柄が浮上したことで俺の心中は酷く落ち着かない状態だった。
現在俺が自分の体として自由自在に動かしているこの『体』が、株式会社ソフェルの擁する研究機関の成果であり、その所有であるということ。
これによって俺の発言や動きのみならず、所有者である会社側の意図によって、俺が今後どれだけ自由に動けるか、元の体に戻れるとしたらその判断や結果すらも変わってくるだろう。
そして一年前の自分という存在だ。
「混乱していたとはいえ、初対面であれだけの情報をベラベラと……」
自身の情けなさに、気分は再び泥沼に嵌ったかのようにずぶずぶと沈んでいくのだった。
まだ俺が一年後の世界の神谷恭司であることは知られていないが、恐らく昨夜の情報を精査されれば、田舎の高校に通う神谷恭司の事などすぐに調べがつくだろう。
真実に近い推測に至るのは時間の問題だろうし、これからの話し合いの中で暴かれる可能性もある。
そうなったなら、相手方の出方を見るしかないのだ。今の自分には。
「どうしたの?どこか具合でも?」
心配そうにさくらさんが顔を覗き込んで来た。
「あ……いや、大丈夫」
「緊張してるのかもしれないけど、サボっちゃったならちゃんと謝らないと!」
いい感じに彼女は勘違いしているらしく。
うーむ……これは誤解を解くべきなんだろうか……
「その……私はここの社員ではなくて……」
「?違うの?それで端末も持ってなかったのかぁ」
さくらさんは得心せり、といった面持ちでふむふむと頷く。
端末って何のだ?携帯か?
そんな感じでエントランス近くまで歩いた俺たちは、扉を開けて小さな影が近づいてくるのに気が付いた。―――トマだろうか。
『お帰りなさい神谷さん。休憩は如何でしたか。
さくらさんは、午後検査の時間が迫っていますよ。早く行って差し上げては』
掲げたボードにするすると表示される言葉。この丁寧さはトマだな。
「こんにちはトマ!出迎えありがとうねー……って、神谷さんを迎えに?」
さくらさんが驚いたように此方を見る。というかトマと知り合いだったのか、彼女は。
そうしてトマと俺を何回か見比べ、首を傾げている。
何だろう。
『神谷さんは現在、当社の客人ですので』
トマ……現在って事は今後は分からないって事ですか。
身も蓋も無い言い方だが、それ以外に言い様が無いのも解る。
トマのそんな言葉に、さくらさんはひとつ頷くと花が綻ぶように笑って見せた。
「なんだ、兄さまのお客さまだったのね」
お読みいただきありがとうございます。次回もよろしければお付き合いください!