02話
お待たせいたしました。何事も確認は大切ですね。
今、目の前で起こったことをありのままに話す。
先ほど怪しい男が部屋に飛び込んできたと思ったら、仰向けに吹っ飛んで倒れていた。
…………
よく見ると男の顔面に張り付いていたのは、あの人形だ。
どうやら体当たりして視界を塞いだらしい。凄まじい反射速度だった。
やはりこの博士と呼ばれた女性が操っているのではないかと思う。
「……ちょっと望月博士?ここは私の部屋のようなものでもあるのですが。ノックくらいしてくださいません?」
なんとなく呆れを含んだ声で、女性がそう話しかけた。
もしかしたら、この人形が守ったのはこの男の名誉だったのかもしれない。
望月と呼ばれた男は、顔に人形を張り付けたままでフゴフゴと呻く。
「レディーの裸をじろじろ見るものではありませんよ。出直してください」
「……わかった」
視界を塞がれながらも、ずりずりと体を引きずり、彼は人形ごと退室して行った。
……やはりこの女性の趣味なのか、多少レース成分の多めな服に躊躇いながらも手を借りて何とか着替えた後、安堵の息を吐きながら思わず感想が漏れた。
「あの人形は、貴女が操作しているんですか?」
向かいのソファに座った女性が僅かに微笑んだ。
ちょっと妖艶な雰囲気すら感じる。
「あら、結構似合ってる。別の服も試したいところだけど。――いいえ、何もしていないわ。そんな風に見えるの?」
前半は聞かなかったことにして、首を横に振る。
確かに何も持っていないし、操作しているようにも見えないが……
「ホワイトボードを使った会話とか、色んな言語を知っているようでしたし、人形とは思えなくて」
「そう。……あの子は新型A.I.搭載の汎用型環境管理代理システム、通称パペットシステム第一世代の13番目。愛称はユダ。……ここの優秀な職員であり、私の自慢の子供です」
そう言って女性は柔らかく笑う。
それは慈愛に満ちた笑みだった。
ふと、鈴が鳴るような音が響いた。さほど大きな音でも無かったが、女性に一瞬見とれてしまっていて驚いた俺は反射的に音のする方を振り向いた。
「……?」
視界に収まる範囲内に、音源らしき物は見当たらない。が、
「何だ、あれ……」
ふよふよ、という擬音が似合いそうな動きで、空中を漂いながら女性に近付く非常識極まりない物体があった。女性は当然とばかりにその物体に近付き、あまつさえそれに触れている。途端に物体の横に浮かび上がった画像らしきものにも、俺は理解が追い付かないでいた。
「望月博士。そういえばいらしてましたね」
『……おい。もう良いか、入るぞ』
「デリカシーの無い人は嫌われますよ。どうぞ」
一連の動きと遣り取りを見て、俺の頭は何とか「これは携帯端末のようなものだ」という理解をする。
軽い音と共に開いた扉から、再び望月という男が入ってきた。
今度は落ち着いた様子だ。その肩には先ほどユダと紹介された人形が乗っている。
「全く……本当にどうなっている。こいつからの情報をもとに考えれば、とんでもないイレギュラーだ。説明を求めるぞ、上月」
「と言っても、私もあなたと立場はそう変わらないのですが……ユダ、飲み物をお願い出来る?」
指令を下されたPSのユダは、表情こそ変えないが嬉し気にこくんと頷き、部屋の隅にある簡単な給湯室のようなところへテケテケと歩いていった。
肩から人形が降りた望月は、やっと解放されたとばかりに腕を回し、気怠さを隠そうともせずに応接用のソファにどっかりと座りこんだ。
「ユダ、コーヒーを」
「望月博士、私の部屋には紅茶しかありません」
「………」
俺は半ば呆然と、二人の白衣を着た人物を見比べていた。
研究者らしいといえばらしいのだろうか、そこはかとない常人を外れた雰囲気に、俺はすっかり中てられてしまっている気がする。
「そういえば、まだ名乗っていなかったわね。私は上月。この研究所の最高責任者です」
白衣(の下にゴテゴテ衣装)の女性はそう名乗った。
見た目は当てにならないものだ、と失礼ながらも考えてしまった。
更に横にいた望月も、品定めするように俺を見て目を細めながら、
「望月だ。主任研究員。この上月とは共同研究者であり、ついでにここの副所長でもある」
「あ……俺はその…………」
「神谷恭司くん、でしょう。あの子からリアルタイムで報告は受けていたから」
何でもない調子でそう返されて、逆にどうしたらいいか分からなくなってしまう。
「……あなたは――正確には、あなたの体は元々、私たちが所属するこの研究所の管理下にあります。これまでの遣り取りから推察するに、あなたは今とても特殊な状況下にある」
「……どういう事、ですか?」
唐突に変わった雰囲気に気圧されて、動揺が言葉に出てしまった。
何か、嫌な予感がする。
「では、単刀直入に質問します。あなた、どうやってどこから来たの?」
鋭さを増した視線に、反射的に身が竦んだ。
―――話して、どう解釈されるだろうかという不安が襲う。俺は本当に何ひとつ自分の置かれた状況を説明出来ない。受け取られ方次第で、俺はこの人達にとって厄介者になり兼ねないし、最悪の場合、脅威認定されて存在を抹消されるという事態も想定に入れなければならないだろう。
それでも、もし、理解を得られたなら?
まず俺がやるべきことは、自身の置かれている状況の把握とその打開だ。最終的に成すべきは、自分の本来の体を取り戻す(もしくは戻る)こと。それだけをハッキリさせておけば良い。
そうすれば、この人達は協力者となってくれる可能性もある。
あくまで可能性にすぎない話だが、元々頼れる人間など俺には父くらいしか―――
…………そういえば、此処が日本らしいという事は予測がついたのだった。
けれど、タイムトラベルだとかワープだとか転生だとか、そういったSFやオカルトの類は信じないながらも、もしとんでもない時代や場所に放り出されていたのだとしたら?
―――いや、それも可能性が低い。俺が記憶している日付は2012年10月27日、つまり今日で間違い無いはずだ。さっき人形にも確認したのだし、その辺りは除外して考えても良いだろう。
ひとまずは、俺が覚えている範囲で彼らに説明をするべきか。
「―――……以上です」
「……………………」
「……………………」
一通り、説明が終わると、実に重苦しい空気がのしかかってきた。
十数秒程度の沈黙だったのだろうが、体感的には何十分にも感じられた。
その空気に耐えかねて声を上げる。
「…………あの」
「バイト帰りに、突然の白い光、気付いた時にはもうその状況か……。俄かには……信じ難い、が。真実だとすればどういうことだ……あらゆる法則を無視した現象だとでも?」
抽象的過ぎる望月の独り言めいた呟きに、またもや置いてけぼりを食う俺だった。
「まずは確証がほしいところですね。彼女……いえ、彼の言う通りなら、申告の通りに戸籍が存在しているはず」
「ひとまず事実関係を調べよう。神谷と言ったな。今夜はここで過ごしてもらう。明日もう一度、精査する時間を取ろう。処遇を決めるのはその後だ」
上月所長の言葉にやっと顔を上げた望月は、事実上の軟禁宣言をした。
……他に行く当ても無いし、こちらとしては願っても無い話だ。
「すみません。お世話になります」
素直に頭を下げてから二人を見ると、望月はどこかムスッとし、上月は微かに笑みを浮かべていた。
「その体は色々と研究途中の部分もあるので、ここに滞在している間、必要なことや感じたことなんかは細かく報告を上げていただきたいのです。そういった意味での研究協力もお願いしたいところですから。こちらこそよろしくね」
良かった…ひとまずの身の安全は確保出来たと見て良いだろう。
―――で、今夜の寝床として指定されたのは、
「ここしか無いとは……まぁ監視の意味合いもあるんだろうが」
最初に目覚めた部屋、確か博士らは『第四の間』とか言っていたかな。
例の呼吸できる水の抜かれた筒が鎮座している部屋。
ぼやきながらも与えられた寝具―寝袋―を床に敷く。
床、堅そうだな……
「ユダ、だっけ。寝袋ありがとう」
寝袋を持ってきてくれた人形に話しかける。
『待機カプセルで寝たら良いのに』
「……また水の中か?確かに背骨にダメージは無さそうだが……床でいい」
正直、何だか溺れるイメージが強くて駄目だ。
『わかった。お休みなさい。良い夢を』
「ああ、おやすみ」
起きたら元に戻っていないかと……そんな淡い期待を胸に、俺は寝袋に包まった。
そんなわけで話は次の日に持越しとなりました。次話でもう少し進展させたいです。