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猫?

 真っ暗な空にピカッと稲妻が光り、その後、すぐに雷鳴がとどろいた。

 横殴りの雨の中、モンジは長い時間歩き続けている。傘をさしても役に立たないのはわかっていたし、体も頭もとうの昔にびしょ濡れになっている。


 強風に吹き飛ばされないように踏ん張るから、一歩足を踏み出すのにも骨が折れた。

 もし、この状況が自分一人だけに関わってくるだけのものなら、かえって面白がって歩くくらいだろうけれど、今夜は少し事情が違った。

 モンジは作業服の胸元を少し開き、中を覗いた。モンジの膨らんだ作業服の中で黄色い目が光っている。

「もうすぐだからな」

 モンジはそれに向かって優しく言った。

「にゃあ~」

 泥にまみれたそれは、返事をするように小さな声で鳴いた。


 モンジは家に入って、足音を立てないように、静かに風呂場に向かった。

 モンジの白髪まじりの髪や服の裾から滴った雨水で、廊下は水浸しだ。

 濡れた廊下をアメリが見たら、カンカンに怒るだろうけれど、今は一刻も早く、この子の体をシャワーできれいにして温めてやらなければならない。


 モンジは急いで上着を脱ぎ、シャワーの蛇口をひねった。

 暖かいお湯で泥が流れ、白い毛並みが見えてきた。黒と茶色の毛も混じっている。

 おとなしくなすがままのそれの顔に、モンジがシャワーを向けようとした時、急に後ろで声がした。

「何? 猫?」

 モンジは一瞬、びくりと肩を上げて、振り返った。振り返らなくても、モンジには、だれかいるのかわかってはいたけれど。


 風呂場の入り口にアメリが立っている。普段は襟足で髪を団子にまとめているが、寝ていたとあって、黒髪は胸元に垂らして、黒いネグリジェを着ていた。


 こけた頬に青白い顔、薄紫の唇、骨ばった頬。まだ三十才になったばかりのアメリだが、まるで老婆のように見えた。モンジはぞっとした。

 でも、このように恐ろし気な姿に見えるのは、風呂場の薄暗い蛍光灯のせいでもある、とモンジは知っていた。


「や、やあ、アメリ。こんばんは」

 モンジはよそよそしく言った。一緒に住んでいるといっても、毎日顔を合わせるわけじゃない。2,3日や一週間ぐらい会わない時もよくある。


 べつに、会わなくても困ったことなどないし、それくらい会わない方が面倒がなくていいくらいだ、とモンジは思っている。

「こんばんは。お父さん」

 アメリがお父さんという言葉を強調して言った。アメリは普段モンジのことをお父さんとは呼ばない。親子でないのだから当然だ。

 けれど、怒っている時などに使う。アメリは廊下が水浸しになっていることに腹を立てているのだ。


「す、すまんなあ。廊下は後で拭いておくから」

 モンジが小さい声で言った。シャワーの音でアメリには聞こえなかったかもしれない。

「その猫、どうするの? 飼うの?」

 アメリが腕組みをして、冷たく言った。冷たい言い方はいつも通りだ。


「飼うんじゃない。育てるんだ」

 モンジがいつになく強く言った。

 そして、それを二本足で立たせて、顔にシャワーのお湯を優しくかけた。

 顔についた泥が流れていく。すると、肌色の皮膚が見えてきて、小さな鼻とぷっくりとした唇があらわれた。

「おや、まあ」

 アメリが少し驚いたような声を出した。


 嵐の夜、モンジに拾われたそれは、ミウと名付けられた。

 人間の小さな子供に、猫の着ぐるみを着せたような姿のミウ。


 ここに来て二週間のうちに、元気を取り戻し、活発に動けるようになった。

 ミウはモンジが仕事に出かけて、部屋の中に一人になると、ベッドの下に隠れた。

 ここが一番安全だ。

 ベッドの下で回りの音を聞く。下の部屋で食器がカチャカチャ鳴る音や、マトマが歩きまわる音がする。

 マトマはこの家の家政婦で、いつもミウに食事を持ってきてくれる。マトマはぽっちゃりしていて優しそうなおばさんだけど、猫はあまり好きじゃないらしい。特に人間の顔をした猫は。

 食事を運んできてくれる時も、ミウが近くにいないことを確認して、ごはんが入ったお皿を入り口近くに置いて、すぐに出ていく。


 でも、それはミウにとっては悪くない。いちいち構いにくる子供たちなんかより、よっぽどいい。

ジリリ、ジリリ。

 子供部屋の目覚まし時計が鳴りだした。また、来るぞとミウは思う。

 しばらくすると、どたどたと廊下を歩く音。次にガチャッとドアが開く音がして、四本の足が入ってきた。昨日と同じ時間だ。


 真っ直ぐにベットに向かって、一緒に下を覗き込む。

「おい! 出て来いよ!」

 寝ぐせで髪を逆立てた男の子が荒々しく言った。太っちょで大きな目の、この子の名前は、ムンキチという。小学四年生だ。

 何も言わずにミウを見つめているムンキチより背の高いもう一人の男の子は、コタロウ。小学五年生。長めのサラサラの黒髪、手足が長く、色白でなかなかのイケメンだ。


「ほらっ! ほらっ!」

 ムンキチはモンジの背中を掻く孫の手を、ベッドの下で振り回した。

 シャアー!

 ミウはそう言ったつもりだったけれど、声にはならなかった。

「届かないよ。もう、行こう」

 コタロウが立ち上がって言った。

 ちぇっ、とムンキチが言い、棒をひっこめると、二人はドタバタと部屋から出て行った。


 しばらくテレビの音や、ムンキチの騒ぐ声が聞こえていたが、二人が出ていくと静かになった。

 ミウはマトマが運んでくれた朝食を食べにかかった。

 トーストにサラダにゆで卵だ。ミウはゆで卵が大好きだ。

 この前までは、皿に直接口をつけて食べていたが、お箸やフォークの使い方をモンジに教えてもらって、それを使って食べられるようになった。スープがでれば、スプーンも使える。


 人間らしくなってきたとモンジから言われ、ほめられているのがわかって、うれしかった。

 モンジはいい人。あたしを助けてくれて、やさしくて、あたしをいつも大事にしてくれる。

 でも、モンジだって急にあたしのことを嫌いになるかもしれない。そのことを考えると恐くなる。嫌いになったら、あたしのことを、触りたくもなくなるだろう。あの時のあの人たちみたいに。


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