8.魔王と過ごす夜②
「じゃあとりあえず、俺が無事に帰還できたことと感動の再会? に乾杯ってことで」
そして合わせてすぐに飲み口を自分の口元へ運び、ぐっと煽る。
「んあぁぁ、うっまい! やっぱ酒ってこれだよ、これ」
久しぶりのウィスキーに体中の細胞が歓喜しているのが分かる。
一方の魔王はというと。
「なんだこれは。口中に広がる泡といい、レモンの爽やかな酸味といい、喉ごしといい、これまで飲んだことのないものだ!」
どうやらお気に召していただけたようだ。
喜ぶ美女を酒のあてにしながら半分ほど飲み、お湯が沸いたタイミングでみそ汁のフィルムと蓋を二つ分外し、熱いお湯を注ぎ入れてから俺と魔王の前に一つずつ置く。
箸は多分使えんだろうから、魔王の前にはコンビニでもらってた、何用か忘れたがスプーンをつける。
「これはなんだ。何やら初めて嗅ぐ匂いが漂っているが」
「日本人のソウルフード、みそ汁だ。まだだ、もう少し待ってくれ。でその間に」
俺は梅のおにぎりを取り、ぺりっと包装シートを外し、海苔に巻かれた三角形を感動の眼で見つめた後、ぱくりと口に入れる。
途端にパリッとした海苔の香ばしさと、米の美味しさの虜になる。
梅干しにはまだ辿り着いていないが、それでも俺の心を癒すのには十分だった。
「あー、美味いわ米。パンもいいけどこういう時はやっぱり米だな。あ、魔王さんもどうぞ。これが鮭で、こっちが昆布、で、ツナマヨ」
「単語だけではどんな味やらさっぱり分からぬが、ではこの昆布とやらを頂こう」
初見にしてはうまくフィルムを外した魔王は、俺と同じように口を大きく開けてぱくりとおにぎりを食べ、瞬間その表情が緩む。
余程美味しかったのか、物も言わずにそのまま最後まで食べ進めたのち、ほうっと幸せそうな息を吐く。
「このようなものは初めて食べた……。我がこれまでとっていた食事とは全く違う代物であるな。とても美味だ」
「最近のコンビニは優秀だかんな。あ、みそ汁もいい頃合いだ」
なめこの入ったシンプルイズザベストなみそ汁を、ふぅふぅと冷ましつつ口に含み、俺もさっきの魔王と同じようにほぅと息を漏らす。
「海外旅行とか行った時って、必ずおにぎりとみそ汁が食べたくなるんだよなぁ。帰ってきたって感じがするというか、ほっとするっていうか」
「なるほど。我で言うところの、トカゲの黒丸焼きを食べるような感覚なのだろう」
「何それ、全然そそられねぇんだけど。魔界での定番食かなんかか?」
「そうだ。ちなみに味は口が曲がるほどにまずい。それでもたまに食べたくなるのだ」
「いや、それとはまた違うような気がするような……ってか不味いのに食べたくなるのかよ」
だが、美味いか不味いかの違いがあるだけで大体は合ってるのかという気もしてくる。
そんな他愛もない会話をしながらの食事は、かなり楽しかった。
異世界でもパーティーメンバーと顔を付き合わせて食べてはいたんだが……。
格闘家はずっと殺気込めて睨んでくるし、王女は聞きもしないのに延々と自分語りしてくるし、魔法使いはコミュニケーション取る気皆無だったし、その他のメンバーからは、遠目に見られてるだけだったし、そもそも飯は美味しくない上に俺のとっては気の休まらない面子と二十四時間ずっと一緒な訳で、日々苦痛だった。
なのに、敵であったはずの魔王との食事が、ここ最近の中で一番楽しくて盛り上がるっていう。
だからだろう、ふと時計を見ると、なかなかにいい時間になっていた。
スマホを開いて明日の予定を確認すると、朝一で会議が入っている。
絶対に遅刻はできない。
食べ終わったごみを全てまとめてキッチンから戻ってきたところで、俺は魔王に声をかける。
「さて、そろそろ寝ないとな。魔王さん、寝る場所なんだけど────あれ?」
俺が席を立った間に、魔王はテーブルに突っ伏して眠ってしまっていた。
「おーい、魔王さん? こんなとこで寝てると風邪引くぞ」
ところで魔族って風邪とか引くのか?
と内心思いつつ、肩をゆすりながら声をかけるとゆっくりと目が開く。
が、あまりちゃんと焦点は合ってなさそうだった。
まあ、魔王、三本空けてたしな。
「すまない、眠ってしまっていたようだ」
「今日は色々あったもんな、お互いに。早く寝る準備しよう」
それから魔王を連れて洗面所へ行き、新しくおろした歯ブラシに歯磨き粉を付けて手渡す。
「ほい、これで歯磨きして」
歯磨きの習慣は向こうの人間界にもあったが、魔王がためらうことなく受け取って歯を磨いているところからして、魔界でも普通にあるのだろう。
ただ、ミント味の歯磨き粉は向こうにはないのか、その味に一瞬とんでもない形相が浮かんでいた。
人間たちの世界でもそんなもんはなかったしな。
何もつけずに磨くだけで。
先に歯磨きを終わらせた俺は寝室へ行くと、そういえばとあることを思い出す。
で、クローゼットから服を引っ張り出し、洗面所から戻ってきた魔王に渡す。
「絶対にサイズ合ってないが、寝るなら今の服よりこっちの方がいいだろう。嫌じゃないなら使ってくれ」
魔王の瞳よりも大分薄い色合いの新品の女物のパジャマは、元カノ用にと昔買っていたものだ。
こんなもんが残っていたのは、断じて俺があの女に未練を持っているからではない。
結構いい値段したし、使っていないので捨てるのはもったいなく、いつかフリマアプリに出そうと思いつつ忘れていたものだったが、まさかこんなところで役に立つなんて世の中分からないものだ。
だがしかしだ。
想像以上にサイズが合っていなかった。
足首まで来るはずのズボンは膝下で、元カノよりも身長も胸も立派なせいで、上の服はへそやらお腹の上の方まで見えている始末で。
ただの一般的なパジャマなのに、魔王が着るとサイズ違いのせいであっという間に扇情的な服に大変身だ。
さっき魔王が来ていた服よりも露出度は低いものの、こっちのほうが妙にいかがわしく見え、目のやり場に困る。
「ほう、この生地は良いな。実に触り心地が良い」
だが窮屈そうなこの服を本人が喜んでるので、今更着替えろというのも無粋な話だ。
「そっちの寝室にベッドがあるから、そこ使ってくれ」
「? ならば主はどこに寝るというのだ」
「俺はこのソファでいいよ」
ちなみに前使ってたこれより一回り大きいソファは、元カノが浮気男とプロレスごっこしてたんで即捨ててやった。
すると予想通りというべきか、魔王はこの提案はのめないとばかりに首を大きく横に振った。
「しかしそれはさすがに承諾しがたいことだぞ」
「なに、女の子をソファに寝かせて、俺はベッドで寝ろと?」
「女の子……それはもしや我のことか? これでも我は人間の主よりも年上だぞ」
「へぇ、いくつなんだ?」
「今年で七十四になる」
さすがは人の何倍も寿命が長いらしい魔族だ。
しかし、見た目的には俺と変わらんか、それよりも下に見える。
よって俺の意志は変わらない。
「ダメダメ、いいから魔王さんは向こうで寝なよ。あっちのほうが広いし疲れも取れるぞ?」
魔王の着替えを取りに行くついでに、シーツも枕も新しいのに替えたし、上の布団もクリーニング済みなのを出した。
臭いチェックもとしといた。
最近はずっとこっちのソファで寝落ちしてたんで、大丈夫、臭くなかった。
それでもまだごねている魔王だが、家主の意向は絶対だからと伝えたら、渋々ながらも了解してくれると思ったのだが。
「なーんでこんな状況になってるんだろうなぁ」
俺は自分の寝室にいる。
で、魔王はというとあちらのソファではなく、俺の隣に横たわっている。
どちらも譲らなかった結果だ。
まあ、ベッドを半分使う方がソファよりも広いし、寝やすいのは事実なんだが、隣に魔王がいるかと思うと、妙に落ち着かない。
「どうした、眠れぬのか?」
「そうだな、誰かさんのせいで」
「むっ、我のせいか。……そういえば教育係が言っておったな、程よく疲れれば眠れると。であるならば、やはり今こそ、教わった男性を昇天させるあの技を使ってお主を絶頂と眠りの世界に誘って」
「あーっ、なんか急に眠くなってきた!!」
布団の中に潜り込んで何やらしでかしそうだった魔王の動きを止めようと、俺は慌ててわざとらしく大きな声を上げると、魔王がぱふっと顔を布団から出した。
「そうか、では我が指南書第二十五番の技を主に披露せずとも問題はないか?」
その指南書の内容が個人的に気にはなるが、聞くと喜々として実践されそうなのでやめておいた。
「平気だって。んじゃ俺もう寝るから」
「あい分かった」
「おやすみ魔王さん」
「ああ、おやすみ」
そう魔王が告げて数十秒後。
隣からは健やかな寝息が聞こえてきた。
「寝るの早っ……」
さっきもテーブルで寝てたくらいだしな。
起きてからは随分元気そうに見えたが、体は限界だったんだろう。
体を半分起こして俺は隣を見つめる。
うっすらカーテンから漏れる夜の光に浮かぶ魔王の顔は、安心しきったように緩んでいる。
マンションの下で一人不安そうにしていた彼女と同一人物とは思えないほどだ。
その顔を見ていると、なんだか俺も本当に眠くなってきた。
欠伸混じりに俺も布団に体を潜り込ませ、目を瞑ると、すぐに抗いがたい睡魔がやってくる。
考えてみれば俺もまあまあな量を空けているし、旅の間の野宿や、泊まった宿屋の固い木のベッドよりも、このスプリングの効いたベッドの方が何十倍も寝心地がいい。
そのまま睡魔に身を委ね、俺の意識もまた、ゆっくりと奥深くへ沈んでいった。