56.マオと浴衣①
通りを歩いている人を見て、マオが何やら感慨深げに頷く。
「晃、みなが着ているのは、もしや浴衣というやつか?」
「だな」
温泉地ならではなのか。
宿の名前の入った浴衣だけじゃない。
特に女性は色とりどりの浴衣を身に纏い、下駄をカラコロと鳴らしながら歩いているのをよく目にする。
んで、好きなマオのことだ。
多分着てみたいんだろう。
顔にそう書いてある。
「確か今日取った宿は、好きな柄のやつ選べるって話じゃなかったかな。だから着いたらマオも探して選べばいいと思うぞ」
俺が言うと、途端にマオの顔がぱっと明るくなった。
「そうか! それは楽しみだ!」
ならば早く行こう! とマオにせっつかれるような形で、俺たちは寄り道せずにまっすぐに宿へと歩いていく。
そして到着したのは、少し高台にある、古いが趣のある旅館だった。
創業は明治二十年。
門構えは低いが、重厚で、黒ずんだ木の梁には長い年月が刻まれているようだった。
この温泉街の中では、最も古い旅館の一つに数えられる宿だ。
「ほう、これはなかなかに……」
マオが足を止め、感無量の声を上げていた。
ここよりも新しくて綺麗な宿はたくさんあったが、持っている空気感というか、格が違う。
門をくぐると、足裏にひんやりとした石畳の感触が伝わってくる。
玄関へと続く庭は広大だが、きちんと整備されている。
賑やかな温泉街の中心から少し外れているせいもあるが、静かで落ち着く空間だ。
同じことを、マオも感じたらしい。
「ここは良いな。とても落ち着く」
「だな」
「都会的な街の雰囲気も好きだが、こういう時の流れが穏やかな空気も、我は好きだ」
マオが気に入ってくれているようで、とりあえずほっとする。
二人でのんびり、庭に咲く花や景色を眺めながら旅館の中に入る。
「ようこそおいでくださいました」
古いが磨き上げられ清潔に保たれた玄関で、女将が俺たちを出迎えてくれる。
名前を伝え、俺がフロントでチェックインをしている間、マオは興味津々な顔で飾られた壺や絵画などの調度品を見て回っていた。
あまりにマオが熱心に見てたから、荷物だけ先に部屋に運んでもらうことにして、俺はマオの後ろから彼女が見ている物を覗き込む。
それはガラスケースに収められた、原稿用紙の束だった。
かなり昔のもののようだが、しっかり管理されているからなのか、そこまでインクも色褪せておらず、書き直しの跡もそのまま残っている。
「へぇ、すごいな。まさか有名な文豪の生原稿がこの目で拝めるとは」
用紙に書かれた著者の名前を見た俺が、思わず声を上げる。
「晃はこの者が誰か知っておるのか?」
「勿論。国語の教科書でも頻繁にお目にかかる、昭和に活躍した小説家だ」
本が死ぬほど好きってわけではないが、そんな俺でも代表作はいくつか挙げられるし、読んだこともある。
なかなか壮絶な最期を迎えたことでも有名だが、彼の遺作となった未完の話も含まれた本は、俺の本棚のどこかに眠ってるはずだ。
そう言うと、後ろから女将がやってくる。
「実は今回霧島様が泊まられるお部屋は、まさにその文豪の方が愛用していたお部屋なんですよ」
「なんと、我はそんな部屋に泊まれるのか! 入るのがとても楽しみだ」
綺麗な新しい宿も温泉街にはあったが、 夏樹に勧められたからだけじゃなく、俺はこういった昔ながらの落ち着いた旅館ってのが好きだ。
だが、俺だけじゃなく、マオも楽しそうにしてくれてるんで、俺の顔も自然と綻ぶ。
マオは歩く度に軋む木の音一つにも、歴史を感じると感激しているからな。
「それでは、お部屋へご案内いたしますね。浴衣は、あちらからお好きな柄をお選びいただけますので」
「本当か!?」
その一言で、マオの目がまたきらりと輝いた。
やっぱりマオのこういう、分かりやすく喜ぶ顔は可愛い。
俺は苦笑しながらも、女将の後に続いて歩き出す。
マオはかなり難しい顔をしながらも、真剣な面持ちで浴衣を選んでいた。
やがて候補を二つまで絞ったようだが……。
一つは今のワンピースと似たような感じのもの。
淡いアイボリーの生地の上に鮮やかながらも小さな赤やピンクの花が散った、華やかで可愛い柄。
もう一つは大きな白の朝顔がいくつか濃紺の生地の上に散った、落ち着いたしっとりとした色合いながらも、清楚な柄。
……いやもう、どっちも似合う姿しか思い浮かばん。
すると、百面相をするマオに向かって、女将がくすりと笑いながら助け舟を出した。
「霧島様は二泊される、とのことでしたので、是非どちらもお持ちください」
「そんな贅沢が許されるのか!?」
「勿論でございます」
マオはお礼を言いながら女将に頭を下げると、どちらも大切そうに抱えて笑ってみせた。




