43.魔界の変態その一の襲撃
「おわっ!?」
まるでガラスを思いっきり割ったような、耳をつんざくような甲高い音が部屋中に響く。
と同時に地震にも似た、けれどそれとは違う揺れを感知し、ぐらりと体が倒れ思わず後ろのソファに倒れ込む。
マオが俺を後ろに下げててくれなかったら、確実に床に頭を激突させていただろう。
それほどにすさまじく大きな揺れだった。
この衝撃はどこから来たのかと部屋を見渡すと、一目瞭然だった。
なぜならさっきまで俺が立っていた場所にあった透明の窓ガラスに、真冬でもないのにどこから生み出されたのか、先端が極限まで尖った氷柱が何本も突き刺さっていたから。
それでも近付いて確認するも窓ガラスにヒビ一つ入っていないのは、マオの魔法のお陰だろう。
「ふぅ、危なかった。少しでも対処が遅れていたらお主の体をこの氷柱が貫いてるところだったが、何とか奴の攻撃は防げたか。しかしこれで我のここ数カ月の魔力の貯蓄は、念の為爪の先ほどは残しておるが、完全に振出しに戻ってしまったぞ」
「これって俺を殺すためのもんだったのか!?」
「我がいると特定した場所にお主がおったから、とりあえず排除しようとしたのだろう」
いや道理でえらい先が尖ってるなって思ったけども。
冗談抜きでこんなもんが刺さったら、一発でお陀仏だった。
命が助かったことを実感し、今更ながら恐怖がやってきて思わず腕をさする。
しかしマオ曰く、アレはまだ、まともな方の四天王らしい。
「……あの男はまだ理知的な方でな。言うことを聞くかは別にして、一応話を聞く耳は持っておる。冷静であれば、風魔法に長けた別の四天王と違い、このように問答無用で直接的な攻撃を仕掛けることはないのだが。久方ぶりに我の気配を感知して気が高ぶったのであろうな」
風魔法の使い手と言えば、ピンク髪のロリッ娘か。
であれば今の攻撃の感じからしても、氷柱をぶち込んだのは、氷を操っていたあの四天王の男だろう。
勇者と戦う時名乗ってたあいつの名前も確か、そんなのだった気がする。
んで確かに、勇者戦においても、魔王に対して愛を叫びまくるところは両者とも共通していたが、ヴェルガって奴の方がまだマシだった気がする。
ロリっ娘はこっちの姿を見るや否や、
「美しくも偉大でおっぱいも大きい最強魔王様に触れてあれこれしていいのはあたしだけなのよ! 魔王様を害するクソ人間は消すべし消すべし消すべし消すべし消すべし消すべし消すべしぃっ!」
と、ヤンデレ気味に叫びながら最大パワーででっかい竜巻ぶち込んできたから。
あ、ちなみにその竜巻で俺たちがヤラれることはなかったが、味方の魔族たちが巻き添えになってどっか遠くの方へ吹き飛ばされていた。
一方のヴェルガはというと、戦いに入る直前、敵である俺たちにわざわざ名乗りながら恭しく頭を垂れる様は、どこぞのいいとこの坊ちゃんという雰囲気を醸し出していた。
むしろ姿だけ見れば非常に紳士的である。
が、その後魔王がいかに素晴らしいかを延々と、完全にイっちゃった目で恍惚とした表情で語り続けてるのを見て、あ、こいつやべぇ奴だとあそこにいた全員の意見が一致した空気を感じた。
それでもこっちの問いかけにはちゃんと答えてたし、何言っても全然話を聞かなかったロリっ娘よりはマシだったのは確かだ。
そしてアレがそのヴェルガって奴だろうなという俺のこの予想を証明するかのように、窓の外には、漆黒の大きな翼を広げ宙に浮く見覚えのある男の姿があった。
月の淡い光を受けて輝くプラチナ色のさらりとした髪をした、見た目にはマオと同じくらいの年に見える青年。
相変わらず出で立ちはどこぞの貴族様のように優美だ。
夜闇とは対照的な真っ白い肌といい、翼の色を除けば、魔族のくせにその姿はまさに神話に出てくる天使そのものだった。
戦いの際、敵だと分かっていながらも勇者と魔法使いの目が一瞬うっとりと細められたのも頷ける。
同じイケメンでも夏樹とはまったくタイプが異なり、顔立ちはぞっとするほどに美しく、彼がマオと同じ人外なのだと否応なしに分からされる。
その冷たい美貌を更に際立たせる切れ長の深い青の瞳は、生きている俺の姿をその目に映すと、不愉快そうにわずかに細められる。
マオに対してドン引きするくらい偏執的な愛情を持ってはいるが、あの男は強かった。
正直回復役の俺がいなければ、勇者たちだけだったら最終的にはやられていただろうと今更ながらにそう思いながらも、俺は奴から目線を逸らさず見返す。
そうすると臆さなかった俺に更に苛立ったようで、形のいい唇が歪み何かを言いかけたが、俺の後ろからやってきたマオの姿を目にした途端、温度のない彫刻めいた彼の顔色はがらりと変わり、そして────。
突如青年が猛スピードでつららの刺さっていない方の窓ガラスに突っ込んできたかと思うと、躊躇いなくそのガラスに自身の顔をべたりと貼り付ける。
その状態で感極まったかのように涙を流しながら、名乗りを上げていた時には天上の楽器のようだった美声の原型すら留めていない、聞くに堪えない濁音まみれの声で叫ぶ。
「ま゛、ま゛ま゛、ま゛お゛う゛ざま゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
…………これまで俺は、イケメンであればどんな顔になったとしてもイケメンだと思っていた。
しかしこれはないな。
さっきまでは世の女性陣が一瞬で心を奪われるほどの完璧な美貌を誇っていたというのに、声と同じで、今の彼にはその美貌の一欠片も残っていない。
理知的に見えた美しい青の瞳は現在バッキバキに見開かれ、眼球が飛び出しそうなほどにマオを凝視していて、おまけに血走っている。
すっと通った高い鼻は豚のようにぺちゃんこに潰れ、唇もたらこのように大きく広がり、おまけに荒い鼻息やら涎やら涙やら顔の油脂やら何もかもをガラスにまき散らしており、その顔は端的に言ってすごく汚い。
いや、マジですごい顔になってんだけどこれ。
あとあのガラス掃除すんの、超嫌だ。
これが本当にさっきのイケメンと同一なのかと疑ってしまうほどだ。
しかし、相変わらず背中には黒い立派な羽が生えているし、髪も目の色も同じだから、さっき飛んでたあいつに間違いはないんだが。
にしても。
「なあマオ。ところでこいつ、一体ここに何しに来たんだ? 場所特定されたとか言ってたが、まさかマオを迎えに来たってことなんじゃ」
しかしマオは頭を抱え、ものすごく嫌そうな顔で窓を見つつ、きっぱりとそれを否定する。
「あやつのこれまでの思考を鑑みるに、それはない。ここに来たのは、並々ならぬ執着心と嗅覚で我の場所を特定し、この世界への転移陣を展開したからであろう。だが前にもお主には説明したが、転移陣は一瞬で消滅する。したがってヴェルガをこちらに転移させた時点ですぐに陣は消えているはずだ」
ほう、なるほど?
んで確か、再び転移陣を発動させるには膨大な魔力を要するが、この世界では魔力が溜まりづらいから、元の世界に戻るには年単位で時間がかかるって話だったはずだ。
だからこそ、魔王であるマオも簡単に帰ることができず、こっちでじっくりと魔力を貯めている最中な訳で。
未だに窓ガラスにトカゲのようにピッタリ貼りついているヴェルガも、条件は同じだろう。
ということは、こっちに来はしたものの、この男もそう簡単には魔界へは帰れない。
「……え、ならこいつ、ほんとに何しに来たんだ? しかも今のこいつは、魔力ほぼゼロのすっからかん状態なんだろう?」
「まあ、ある程度の予測はつくのだが」
しかしそれを知る前に、まずヴェルガを何とかするのが先だろう。
なぜって、ガラス越しだというのに、マオを呼ぶヴェルガの声がまあまあうるさい。
「まおうざま、まおうざま、まおうざまぁぁぁぁぁぁっ!」
濁音は若干減ったが、汚い顔はそのままに壊れたスピーカーのように泣きながらずっとマオの名を呼び続け、その音量はヘタすりゃ誰かに通報されそうなレベルで、そうなるとものすごく面倒なことになる。
端から見たら今の状況は、ベランダに黒い羽を生やしたいい年した男が窓に貼りついて泣き喚いてる、である。
ヤバい図柄だ。
だから早々に、異様なこの状況をご近所さんに見られないうちに何とかしたい。
「すまない晃。本来ならあの男の声が聞こえんよう、前にお主の元カノとやらにかけた魔法を使うべきなのだが……。あれは指の先ほどは魔力が必要でな。それを行使できるだけの力が残っておらんのだ」
「マオが謝る必要はないだろう」
「いや、こんなのでも一応は我の配下なのでな。部下の尻拭いは我の仕事でもある」
と、ここでマオはすんとした表情になると、極めて真面目な口調で言った。
「仕方ない、永遠に喋ることのできないよう、奴の命をこの場で終わらせるか」
「いやなんでそうなるんだよ!」
「しかしそれが最も手っ取り早く問題が解決する方法なのだが。正直なところ、このまま生かしておいても、主に迷惑をかけることになるのは目に見えておる。なに、心配はいらない! 我は今魔法は使えぬが、この間、肉でも骨でも溶かせる魔法の薬を使って肉体を処理する、というドラマを見たのでな。安心するといい」
「安心できる要素がどこにもないんだけどっ!?」
「……という冗談はさておき。本当にどうしたものか」
まさかマオがこの手のブラックなジョークを言うとは思っていなかったのでそっちに驚きつつ、本気じゃなくてほっとする。
が、問題が解決したわけでもない。
「仕方ない。警察沙汰はごめんだし、いったんこの家にいれるしかないか」
疲れ果てて眠りでもしてくれたらいいが、今のところそんな気配はまるでない。
魔力が尽きてるっていうんなら、さっきみたいに魔法で攻撃されることもないだろう。
ちなみに、魔法なしの状態でも純粋な戦闘力が一ノ瀬さん並にあったらとても太刀打ちできないが、マオ曰く、魔法の使えないヴェルガの力は、体術なんて習ったことのない非力な俺と同程度らしい。
それでも念のため、万が一暴れて俺の体やこの部屋を傷付けないようにと、マオがヴェルガを眠らせることになった。
「あれ? さっき魔力全部なくなったって言ってなかったか?」
「一応爪の先ほどは残しておると言ったであろう。眠らせるだけならそれさえ残っていれば十分だ」
そう言うと、マオは即座に何か言葉を唱え、窓ガラス越しにヴェルガに手を当てたら、まるで憑き物でも落ちたかのようにがくんと体から力が抜けてトカゲもどきが地面に投げ出された。
このままどっか遠くの外に放り出したらどうなるかと思ったが、場所を特定されている以上日を改めてまた攻撃してくるだろう。
その時、他の人間を巻き込むような事態になっては困る。
なので、とりあえず死んだように眠るヴェルガを半ば引きずる形で部屋に運ぶと、起きた時にいきなり暴れて攻撃してこないようにと、ビニール紐でぐるぐる巻きにして床に転がしておくことにした。




