31.垣間見えるマオの過去
マオの魔法は間に合わず、そのままジェットコースターでもみくちゃにされた結果、見事に三半規管がやられ、ふらふらしながら車体から降りたマオの顔は真っ青だった。
この状態でさすがに次に行くわけにもいかず、マオを休憩させようと近くのベンチに座らせていたんだが、座ることすら辛そうだったので、僭越ながら俺が膝を貸し、今マオは横になっているところだ。
ちなみに夏樹と千草さんは、マオのために水と薬を買いに行っている。
「すまぬ……」
ぐったりとした様子で、マオが謝罪の言葉を呟く。
「年甲斐もなく、幼子のようにはしゃいで、挙句の果てにこのような醜態を晒す羽目になろうとは。晃にも、ゆかりんたちにも申し訳が立たん」
「気にしなくてもいいと思うけどな」
まあ、マオがはしゃいでいた感は否めないが、別にいくつになったって楽しいことの前でテンション上げるくらいいいだろう。
かくいう俺も、こっちの世界に戻ってきた直後は、ひゃっほいな感じだったし。
あれよりは全然マシだと思うし、可愛いもんだろう。
マオの魔法は、今のように頭がぐわんぐわんして気持ちが悪かったりすると、集中できなくてうまく使えないらしい。
せめてもう少し気分がマシになったら、ちゃんと魔法をかけて、そうしたらそのあとは目いっぱい遊べるだろうから、少しでも早く回復すればいいなと思う。
マオが今日を楽しみにしてたのは知ってたからな。
しかし俺がそう言っても、マオの顔色は優れないままだ。
「晃はそうは言ってくれるが、我が情けないことに変わりはない。あの二人にも何と言って詫びたらよいか」
なんというか、マオは今にも泣き出してしまいそうな、そんな表情に見えた。
「我があまりにも情けないからと、二人には我の連絡先を消されたりはしないだろうか」
「ないない! そんなんあるわけないだろう」
それでもマオは唇を噛み、悲しげに息を吐いた。
「…………初めてだったのだ。こういうところに遊びに行くのが。我は小さい頃から、家族やあの家に仕える全ての者から、認識されておらぬ存在でな。どこかへの外出の際、我はいつも留守番役だった。だからこうしてわいわいと遊ぶということに気持ちが高ぶって、必要なことを失念してしまっておった」
意識が少し朦朧としているからだろうか。
少し虚ろな目のマオから語られるマオ自身の過去の話を聞くのは、これが初めてだった。
家族との間に、『何か』があるのは感じていた。
けれどそれは多分、俺が思っていたことよりも、もっとずっと重いものだ。
前にマオが言っていた、家事や料理ができる理由。
マオの家はそれなりの、いわゆる貴族的な家柄という認識を俺が持っている。
普通であれば、その家に生まれたマオはお嬢様であり、そして彼女に仕える使用人のような存在がおり、食事も家事も着替えも何もかもをその使用人が行うはずだ。
それでもマオは初めから、俺の家ではそれらをほぼ完璧にこなしている。
戸惑うことなく、慣れた様子でだ。
魔王になってからはマオの言っていた通りの理由で、変態×二魔族の魔の手から逃れるべく自分でやっていたんだろうが、多分だけど、元々家でそういう扱いをされていたんだろう。
存在を認識してもらえないのがどれだけ絶望的な感情に苛まれるのか、俺はよく知っている。
目の前にいるのに、見てもらえない。
声をかけているのに、聞いてもらえない。
泣いても叫んでも、その声が届くことはない。
誰からも必要とされていない。
愛されていない。
突きつけられる現実は胸をズタズタに切り裂いて、抉れるほどの痛みを伴い、心から血を流しても、それでも自分を見てもらうことはない。
しかもそんな存在でも、いなくなったらショックで何にも手に付かなくなるほどになる。
それでも俺は、まだ周りに友人と呼べる存在がいたから、なんとかこの世界に存在する意義を与えてもらってここまで生きてこられた。
────ならマオは一体、どれだけの傷を負って、どうやってここまで生きてきたのか。
俺が拒絶されたのは父親ただ一人。
だがマオは、彼女の言葉が事実なら、家族やその家に仕える使用人、その全てに透明な存在として扱われてたってことだ。
ここまでの道のりが生易しいものじゃなかったことだけは分かる。
「我も本当は、観劇を観に行ったり、話題の店に行って美味しいものを食べたり、可愛い服を買ってもらったりしたかったのだ。だがそれらは全て我の兄姉にのみ享受されるものでな。我には許されないことであった」
道理でと、こっちの世界に来たマオが楽しそうにしているのが、少しだけ納得できた。
テレビやネット配信のドラマをワクワクしながら食い入るように見つめ、食事だってキラキラした瞳で本当に美味しそうに食べる。
俺の買った服を外出時じゃない時に部屋で着て、嬉しそうに鏡で見ているのも知っている。
……ちなみにそれは俺がやましい気持ちで部屋を覗いたからとかじゃなくて、開いていた扉からたまたま見えただけだ。
元々のマオの性格もあるんだろうけど、多分子供の頃にできなかったことが、そして家族を含めた周囲にしてもらえなかったことを、今ここで享受できていることが大きいんだろう。
こんな可愛いマオが、そんな風な扱われていた理由なんて俺は知らんし、どの家だってそれぞれの事情があることも分かっている。
けど、俺はこんなに悲しい顔をするマオを見るのは、嫌だ。
やっぱりマオには笑っててほしいし、いつもみたいにキラキラした顔でご飯を食べてほしい。
だったら俺にできることは、マオが昔にしてもらえなかったことを代わりにするってことだ。
「なあマオ。こんくらいの失敗は誰にだってあるんだし、マジのマジで気にしなくていいって。夏樹たちだって全然怒ってなかったし」
「そうなのだろうか」
「そうだって」
むしろ千草さんは、彼女の体調管理ができない彼氏は今すぐ宇宙の彼方へ飛んで行って爆ぜてしまえばいいと、やっぱり俺を滅する発言をしていた。
「それに、もしこのまま体調が回復しなかったとしても、また来ればいいだろう。家から遠くないんだし。二人でもいいし、日にちを合わせれば夏樹たちとも行けるだろう」
「だがそれは申し訳なく」
「俺がマオと行きたいんだよ。他にも、行きたいとこあったら行こう。食べたいものがあればどこにでも付き合うし。休み取って旅行とかしてもいいかもな。……だからさ、そんな顔しないでくれ。俺はマオが笑ってる顔が好きなんだよ」
過去は変えられない。
付けられた傷が完全に塞がることも、一生ない。
それでもこっちにいる間は、向こうでのことなんて全部忘れて、ただのマオとして毎日楽しいことだけ考えて、やりたいことをやって過ごしてくれたらいい。
そう言ったら、マオは少しだけ目を潤ませながらも、マオ自身の要望を口にする。
「……そうか。ならばまたあのコースターとやらはリベンジしたい。もしも今日が無理だったとしても……その時はまた、ここに連れてきてもらえるか?」
「当たり前だろう。んで、何度でも乗ってやる。他のアトラクションもそうだ。俺の三半規管が限界を迎えても、マオが乗りたいものになら全部付き合うよ」
そしたらようやくマオは、いつものように笑ってくれた。
その後買ってきてもらった薬を飲み、三十分ほど休憩すると、マオはかなり体調がよくなったようで、そのタイミングで彼女は自身に、こっそりと三半規管強化魔法をかけたようだ。
「よし! では次にあの絶叫回転ブランコとやらに乗りに行こうではないか!」
「マオさんが元気になってよかったです」
「うむ、心配をかけてすまぬゆかりん。だが薬のお陰でもうすっかり大丈夫なのだ」
「いいんですよ。それじゃあブランコに乗りに行って、そのあとはその隣のお化け屋敷にそのまま行きましょう」
「それはよい案だな!」
そう言って千草さんと二人、並んで回転ブランコの方へ向かうマオを俺が後ろから眺めていると、夏樹がこっちの顔を覗き込み、ニヤニヤと笑う。
「晃ってさ、相当マオさんのこと好きだよね。そんな優しい顔してるとこ、初めて見たよ」
「鏡がないから自分じゃどんな顔か分からんが」
「いい顔してるよ。とっても」
でも夏樹の言う通り、俺は結構マオのことが好きなんだろう。
マオとはいつかは離れることになる。
それでもそれまでは、俺が一緒にいる時は、彼女を笑顔にできればいいと、そう思った。




