28.コンビニと一ノ瀬瑠衣
夏樹の家はうちの三駅先にあり、車だと十分ほどで到着する。
だがそこへ行く前に俺は寄り道するところがあった。
「マオもなんかいるか?」
「我は甘くてミルクの入っているものが好ましい」
「カフェラテか。そういやマオはブラックは得意じゃなかったっけな」
「うむ。主に前に一口もらったコーヒーは、とてもじゃないが我には飲みきれない代物であった」
思い出したのか思いっ切り顔をしかめるマオを、美人はどんな顔しても美人だよなと思いながら、朝のルーティンであるコーヒーを買うため、俺は一ノ瀬さんの働くあのコンビニの前で車を止めるとマオと二人で中に入る。
するとレジには件の一ノ瀬さんが立っていた。
「あれ! 霧島さんじゃないっすか! 久しぶりっすね」
最近はシフトに入っている日に俺が立ち寄らなかったためか、顔を合わせるのは二週間ぶりだ。
そしてその間に一ノ瀬さんの髪は、眠気の残る俺の目も覚めるほどに明るいオレンジ色になっていた。
「おう、おはよう。今日は朝入ってたんだな。……アイスコーヒーとアイスのカフェラテの、どっちもМで二つずつ」
予め連絡していた夏樹から、自分たちの分も買ってて欲しいと頼まれていたのでレジでそう頼むと、一ノ瀬さんは後ろから氷の入った四つの容器を差し出しつつ、答える。
「そうっすよ! んで上がった後は、もう一個別のバイトに行くっす」
「よく働くことで」
「貧乏暇無しっすからね! ……ところで」
ここで一ノ瀬さんは言葉を切ると、俺の隣にいるマオに目をやり、今日は緑色の目を大きく見開いた。
「やっぱりお姉さん、この前万引き犯捕まえてくれた人っすよね!?」
「うむ。久しいの」
「あれ、でも霧島さんと一緒にきたってことは……もしかしてもしかしなくとも、お二人って付き合ってるってことっすか!?!?」
その質問を肯定するように俺は頷く。
「まあ、そうなるな。あ、だからこの前の万引きの件もマオから聞いてるぞ。一ノ瀬さんがすごい活躍だったってな」
その瞬間、一ノ瀬さんは照れたように頬を掻く。
「いやぁ、でもその後油断して危うく怪我しそうになったんっすけど、お姉さんに助けてもらったんですよねー。ってかお姉さんマオって名前なんすね! うちは一ノ瀬瑠衣っす! 瑠衣ちゃんって呼んでくださいっす!」
「マオ・ハーフェリだ。我のことはマオで構わん。家も近いのでな。またそのうち我が一人で寄ることもあるだろう」
こうして二人が自己紹介を終えたタイミングで、俺は支払いを済ませようと決済アプリを起動させたんだが、一ノ瀬さんは首が取れんばかりにぶんぶんと横に大きく振ると、
「いいっすよ! この前マオさんには助けてもらったんで、このくらいサービスするっす。ねえ、店長ーっ、いいっすよね!?」
すると扉の奥から腕がぬっと出てきて、一ノ瀬さんの言葉を肯定するようにグッと親指を立てた。
ついでに他にも色々持って行けと、お菓子も大量に渡される。
「こんなにもらっても良いのか? 我は大したことをした覚えはないのだが」
もらったマオが困惑気に眉を下げるが、一ノ瀬さんは大きな声で主張する。
「何言ってるんすか! マオさんがいなかったらマジで危なかったんっすからね! あの男がナイフを持ってたのは想定外だったっすから。だからマオさんはうちの命の恩人っす!」
「そ、そうなのか……?」
「まあ、気にしないで素直に受け取っとけばいいんじゃないか?」
「晃がそう言うのなら」
そしてマオは観念したように、袋にパンパンに詰め込まれたお菓子を一ノ瀬さんの手から直接もらうと、深々と頭を下げる。
「では主の好意、ありがたく受け取っておくとしよう」
その後、コーヒーとカフェラテを抽出するマシンを興味津々に眺めるマオを何気なく見ていると、他にお客さんもおらず手が空いているらしい一ノ瀬さんが、ニヤニヤした顔で話しかけてくる。
「マオさんってめっちゃ綺麗な人っすよね。一体あんな人とどうやって付き合えたんっすか?」
「まあ、話すと長くなるから言わんが、色々あったんだよ」
「へぇー、色々っすか。もしかしてあの死ぬほどテンション高くコンビニにきて爆買いした日って、マオさんが関係してたりするんすか? 付き合い始め、とか」
直接の関係はないが、あの日がマオと過ごすことになった初まりの日ではある。
「そんな感じだな」
「そりゃああんな美人が彼女さんになるとか、うちでも多分テンション爆上がりして、知らない人に話しかけたりチョコ渡したりしちゃいそうになるっす。ならあの日の霧島さんがあんな風になっちゃうのも仕方ないっすね」
「……あの日の俺の姿はもう忘れてくれ。できれば一生」
いい年して黒歴史を刻んでしまったことに、今更ながら頭が痛くなり、思わずその場でしかめっ面になる。
けれど一ノ瀬さんはそんな俺に対し、気にするなとばかりに笑ってみせた。
「いいんじゃないっすか? だってあの日以来霧島さん、すっごいいい顔になってるっすよ。前までいつも午前様で、死にたてのゾンビみたいな顔で酒とコンビニ飯買ってたんで、もしかしたらいつか死ぬんじゃって店長と二人で心配してたんすよ。でも最近は顔色もいいし、コンビニの利用が前より減ったのは、霧島さん高額払ういいお客さんだったんで残念っすけど、今のほうがすこぶる体調も良さそうだし、雰囲気もなんか親しみやすくなった気がするんで」
「ゾンビねぇ。それ同僚にも言われたわ。……にしても、そんなに俺変わった感じする?」
「変わったっすよ、確実に。んで霧島さんを変えたのはきっと、あのマオさんなんっすよね」
自分じゃ変化なんて感じられんが、客としてだが何年も俺と接してきた一ノ瀬さんが言うんなら、多分そうなんだろう。
実際飯はちゃんとしたものを食べるようになったし、休みも取るようになったし、睡眠時間も長くなった。
そういった生活面での変化は、確実にマオが関係している。
雰囲気は、というと、そういえば最近取引先の人にも、少し肩の力が抜けてきて柔らかくなった、ってのは言われた。
大きな変化なんて、異世界転移させられたことと、マオと出会って一緒に住み始めたことくらいだから、なら俺の精神面にもマオは影響を与えていると。
まったく、敵である魔王と一緒に住むことになるとか妙な縁だが、それが俺の心の安定を作り出しているのだろう。
マオは俺に助けられたと思っているが、俺の方こそ、彼女に助けてもらっている。
そんなことを俺が考えているとはまったく知らないであろうマオは、嬉しそうな顔で出来上がったカフェラテを取り出すのだった。




