26.悪夢の撃退
「なんでマオがここに……」
「お主の帰りが聞いていた時間よりもあまりにも遅いのでな。気になって見に来たのだ。そうしたらそこの小娘がやかましく囀っておったものだから」
「……今あいつの声だけ聞こえんのだが、もしかしてマオがなんかした?」
疑問文という体を取っているが、俺としてはマオが何かしたと確信している。
マオはにこりと、しかし悪戯っ子のようにちょっとだけ悪い顔になる。
「なに、うるさくてかなわんので、声だけ周囲に聞こえぬようちょっと細工しただけだ。それにこんな夜中に騒音があると、他の住民から晃に苦情が来るやもしれぬだろう?」
ちなみに喋っている本人は、ちゃんと音が出てるもんだと思っているらしい。
まったく、マオの使う魔法ってのはすごい。
王女たちとの戦闘で見せた物理的な攻撃力を持つもの以外にも、人を眠りに誘う魔法や、こんなことまでできるのだから。
しかし声のうるささに辟易としていたので、この魔法は正直助かった。
「それで、これが例の晃の元カノという人間か」
「ああ」
「確かに勇者にそっくりであるな」
「中身も、人の話を聞かないところはそっくりだ」
俺とマオが小声で話している間、あの女の顔色が急に変わった。
マオを指さし、何やら叫んでいる。
聞こえんので何言ってんのか全然分かんないんだが、見当はつく。
「さて、どうしたものか。手っ取り早くこの女を消滅させるという案は、この前晃に却下されたことであるし」
「それは本当にやめてくれ」
こいつがどうなろうと知ったこっちゃないが、最後にこのマンションに立ち寄ったと分かれば俺がこいつの行方不明の容疑者として疑われ、ついでにマオのことを調べられると非常に厄介だ。
「しかしだ。晃がこのような女に馬鹿にされたままなのは、我としても気分が悪いのでな。我が直接相手をしよう。よいか晃。お主は口を挟むでないぞ」
「待て待て、なんでそうなる! というかあいつは俺が何とかすべきだと思うんだが」
しかし俺の言葉に、マオは強い口調でノーを突きつける。
「駄目だ。晃のことだから、あの女の気が済むまで暴言を吐かせて、そのままあちらからフェードアウトさせるつもりなのだろうが、他愛もない発言とはいえ晃の心が傷付くのは事実であろう」
俺を見つめるマオの瞳は、こっちの内面を見透かしているようだった。
完全に読まれてる。
「全部お見通しってわけか」
「晃、我は先ほどのようなお主の顔は、見たくはないのだ。だから晃を傷付けたあの女に、ほんのちょっとだけ我から復讐させてほしい。なに、妙な魔法など使わぬ」
そう言って微笑んだマオの顔は普段俺の前では見せない類のもので、ゾクリとするほどに美しく、それでいて冷たいものだった。
それで気付く。
「あの、マオさん、もしかして怒ってます?」
美人が笑顔で怒る様はかなり迫力がある。
思わずビビって敬語になった俺に、マオは誤魔化すことなくぴしゃりと言い放つ。
「当たり前であろう。我の恩人である晃をあそこまで馬鹿にするような物言いをした者だ。怒らぬ方がおかしい。────安心せい。我があの女が何も発言できなくなるほど、完膚なきまでに口で叩きのめしてやろう」
そして氷の微笑を浮かべたまま、マオが何かの魔法を唱えると、あの女の声が聞こえるようになった。
が、マオの方で音量を調節しているのか、本人は大口開けて喋っているのに、声量はかなり小さい。
「な、なな、何よその女! もしかしてあんたの彼女!? え、違うわよね、こんな異次元レベルの女があんたなんかになびくわけがないわ。たとえ彼女だとしてもどうせお金目当てでしょう!?」
そんな、元カノの言葉が聞こえるようになった状態で、マオはなぜかこっちに体をピタリと寄せてくると、俺の腕を取り言った。
「どうもお主は目が悪いらしい。見て分からぬのか? 我が晃の彼女だ。金銭目当てなどと、低俗なお主と一緒にするでない。……そういう訳で、お主の出る幕などないのだ、トイレの君よ」
「トイレ!?」
唇をわなわなさせてる彼女をちらりと一瞥した後、マオは不敵に笑いかける。
そしてそこからは、完全にマオの独壇場だった。
◯◯◯○
「おお、おおお、覚えてなさいよっ!」
「我で良ければまたいつでも相手になるぞ」
俺はマジ泣きしながら立ち去る山本里香の後姿を、呆然とした面持ちで見送る。
あいつは覚えておけと言ったが、多分彼女なりの精いっぱいの強がりだ。
もう一度マオと戦うつもりはないだろう。
そしてそんなマオを彼女にしている俺の方にも、二度と近付いてこないはずだ。
「てっきり魔法で物理的に口を塞ぐ方法を取るのかと思ってたが……」
「だから言ったであろう、魔法は使わぬと」
そんなことをしなくとも、マオはこっちが驚くほどに口喧嘩が強かった。
絶対にマオを怒らせないようにしようと、あの二人の戦い──というかほぼ一方的にマオがあいつを、戦意を喪失させるほどにぼこぼこに言い負かしていたんだが──を見て俺が思ったのは言うまでもない。
「なあ、マオ。その、ごめん。マオを巻き込む気はなかったんだが、結果的にこんなことになって」
「晃が謝る必要性などどこにもない。我は今、晃の恋人なのだろう? ならば横取りしにやってきた元恋人と戦うのは、我の役目であろう。そういうドラマをこの間我は、ネット配信で見たぞ」
「俺が知らない間にマオがどんどんネットを使いこなせるようになってるんだが」
「ちなみにそのドラマでは、互いの髪の毛をむしり合うほどに激しい戦いであったが……。晃もそちらの方が良かったか?」
「あれはフィクションだから現実にはやらないでくれ」
むしろそっちを参考にしなくてよかったと胸を撫で下ろす。
だが、マオの衝撃発言はもう一つあった。
「それで────我は主の左手ほどは役に立てていたか?」
「聞こえてたのかよ!」
そもそもどこから聞かれていたのかは分からんが、あの部分をマオに聞かれてたとは。だがマオの顔はこちらを茶化す感じでもなく、割と真剣である。
これ、意味分かってんのか……? という疑問が頭の隅をよぎるが、なんとなく確認しづらくて、あえて視線を外して答える。
「むしろ十分すぎるくらいだ」
「では主が草木も眠る丑三つ時とやらにたまに左手と戯れておるようだが、その役割も我に譲ってもらっても構わんが────」
「マオ、俺腹減った! 早く帰って飯と酒が欲しいんだけど!」
やっぱり意味分かっていやがった!
あとなんでマオがそのことを知っているのか気になるが、これ以上この話を掘り下げられるのはまずい。
あの女のことなど、とうに頭の中からすっ飛んでいた。
俺は即効で話をぶった斬ると、マオの手を引いて急いでマンションの中へ戻る。
しかしその途中、
「晃」
「なんだよ、とにかく俺は腹が減って腹が減って空腹という病で死にそうで……」
名前を呼ばれ、てっきりさっきの話題の続きでもされるのかと思っていた俺だったが、違った。
マオはこちらの手をぎゅっと握り返し、小声ながらもはっきりとした口調で言った。
「晃に昔何があったか、なぜそのように自己評価が低いのか、我には分からん。だがたとえ晃が知らなくとも、そしてあの女が知らなくとも、我は晃の良いところをたくさん知っておるぞ」
思わず俺の足が止まる。
「…………何が言いたい」
けれどもマオの口は止まらず、彼女の方をぼんやりと見つめる俺に向かって、悠然と微笑み言った。
「なに、我が言いたいのはな。少しは自分に自信を持てということだ。なにせ霧島晃という人間は、魔王であるこの我が認めているほどのすごい人間なのだからな」
────マオ本人が言っていたように、彼女はこっちの過去は知らない。
それでも俺の抱えているものを理解し、そしてその呪縛を少しでも解こうとしてくれているように感じた。
多分、マオだって何かを抱えている。
内容は違えど、おそらくそれは俺と同じく、家族に関すること。
それもまた俺の知るところではないし、マオもまだ語る気配はないが。
「そうかよ」
俺は俺のことは分からん。
誰にどう慰められても、やっぱり俺という存在は大したところのない無価値な人間なんだという気持ちが強い。
そしてこんな取り柄も何もない人間だからこそ、俺は、母さんを失い絶望した父さんをこの世に繋ぎ留めておくことができなかった。
そのことは何年経ってもずっと俺の心に棘として突き刺さり、消えることはない。
ただ、マオが俺を認めてくれているのなら、俺は少しだけ自分にも何か価値があるんだと、そう信じられる気がした。




