21.過去の彼女と今の彼女
あれは社会人として働き出して二年目のこと。
仕事にも慣れてきた俺は、近くの別のオフィスで働く山本里香という子と知り合った。
っていっても出会ったのは合コンでだが。
彼女はその中の面子の中では断トツで見目が良く、俺的にはきっと同じく合コンに参加していた夏樹に行くんだろうなと思っていたら、俺の方に連絡が来たから驚いたもんだ。
その後数回デートを重ねていくうちに、大して面白い話もできない俺の話を楽しそうに聞いてくれた明るい性格のあいつに気持ちが傾くのに時間はかからなかった。
だが夏樹から言われていたのだ。
あの子は猫かぶりがすごいし、裏で男遊びも激しいからやめとけと。
しかし俺はその忠告を無視し彼女と付き合い出した。
初めは確かに良かった。
仕事で会えない時も怒らないどころかこっちの体調を気遣ってくれたほどだ。
おかしいと思い始めたのは、彼女の誕生日の時だ。
「普通はないよね。一介のサラリーマン相手に、初めての誕生日に某高級ブランドのうん百万する鞄をねだるなんて」
「お前の言う通りだよ。ま、払えないことはないが、さすがに色ボケしてた俺も、ん? とは思ったさ」
「大体の人はデートで毎回フレンチとかイタリアンとか懐石とか回らない寿司に連れて行かされる時点で気付くと思うけど」
「何も思わなかったんだよなぁ、それが」
「それで、プレゼントは結局どうしたんだっけ」
「同じブランドの別の物を買ったが、口では礼は言ってたけどあからさまに顔に不満って書いてたな」
そうして付き合っていくうちに気付いたのだ。
あの女は俺自身には何の興味のなく、俺の持っているお金に目がいってたんだと。
「だってあいつ、話を聞き出すのが上手かったんだよ。酒が入ってたのもあるが、そのせいでうっかり喋っちゃってたもんな、色々と」
ただのしがないサラリーマンが、地価も高くなかなか空きも出ない高級住宅地ともいえるあの場所にマンションの一室を所持して住めている理由。
他にもいくつかの不動産や株を所有しているが、元は全て俺の物ではない。
事故で死んだあの日、父さんから引き継いだ資産である。
しかし、それを持っているからといって俺はそれだけで生活する気はなかったし、まあ、仕事をしなくても生きてはいける環境にあったが、色々と複雑な感情で受け継いだものに頼るのもなんだかなぁと思ったので、定職についた。
このことを知っているのは夏樹くらいだが、それなのに初対面の相手に口を滑らせたのは、やはりあいつの誘導がうまかったせいだろう。
そんでそこから俺の彼女への疑いはどんどん強くなっていき、合鍵を渡していた家に浮気相手を連れ込んで裸でよろしくやっていた真っ最中に、珍しく早く帰宅した俺がそれを目撃したのが決定的となり、俺の彼女への好意は完全に枯渇した。
が、俺と──ではなく金と別れたくないあの女は泣き喚き、あの手この手で俺を懐柔しようと試みるが、勿論俺がほだされることはなく、二度と近付くなと告げて半年の交際期間は終わったのだ。
「あの子、晃と別れた後会社辞めたんだよね、確か」
「らしいな。俺も人伝に聞いただけだが」
正直彼女が今何してるかなんて興味はない。
また俺のような、優しくされたら簡単に舞い上がるような男でも捕まえてるのかもしれん。
「あの時の俺は頭がおかしかったんだと思う。初めての彼女だったし」
「あの年齢で初彼女っていうのが意外だけど。晃なら大学時代に彼女の一人や二人いてもおかしくない……って、そうか。君、大学入りたての時って」
「父さんが死んだ直後だったんでな。そんな気持ちの余裕なんてなかったわ。そっから今みたいに落ち着くまでは数年かかったしな」
今だって完全に気持ちが消化できてるわけじゃないが、数年前はもっとひどい精神状態だった。
先に一括で払ってくれていた大学にはなんとか通っていたが、あの頃は頭も心もぐちゃぐちゃで、どうやって表面上は普通に大学生してたか記憶にないくらいだ。
「そんな晃が例の彼女以降に作ったのが、そのマオ・ハーフェリさんって子なんだね。もしかして顔に釣られて、また前みたいな子だったらってちょっとだけ気にはなってるんだけど、晃本当に大丈夫? 騙されてない?」
やはり心配されてたらしい。
俺はつくづくいい友人を持ったもんだ。
「今回は大丈夫だ。むしろ恩返しも兼ねてマオ用に快適な眠りに誘う高級マットレスが売りのベッドを買おうとしたら、全力で止められた」
「それいくらするの?」
「あの女がねだった鞄くらいじゃないか?」
「恩返しにしては重いよそれ!」
「あと、服とかも何もなかったから買ったんだが、好きなの選べって言ったって必要最低限しか買わせてくれなかった」
俺としてはもっと貢ぎたいほどなんだが、むしろ散財するなと怒られたほどだ。
「なんかあれだね。晃って本当に気に入った女の子にはお金を使うのを惜しまないタイプだったんだね。よかったよ、彼女がまともな金銭感覚の持ち主で。ゆかりちゃんから、変わった口調で喋る子だったけど、良さそうだったっていうのは聞いていたんだけどさ」
「口調はな、アニメで日本語を覚えたかららしい」
そういうことにしておいた。
「お待たせしました」
きりよく話し終わったところで念願の昼食がやってきた。
「俺は今日は冷のすだち蕎麦の気分だったんだがなぁ」
「文句言わないで。僕が奢るんだから」
「え、そうなのか?」
「君に彼女ができた記念に」
「ならもっと高いメニューを頼みたかったんだけど」
しかしここのメニューはどれも美味いのでまあいいか。
早速手を合わせると、ざるそばをつゆに付けて口に運ぶ。
「今度さ、四人でダブルデートしようよ」
「なるほど。お前らのイチャイチャを目の前で見せつけたいと」
「なんでそうなるの。間違ってはいないかもだけど」
「いやそこは否定しろよ」
付き合い始めて一年になる夏樹と千草さんは、会社では一切公私混同をしないが、個人的に飲みに行くと毎回甘ったるい雰囲気に侵される羽目になる。
しかしマオはこれから先もこっちにいるわけだし、角やら翼やら魔法を行使しない限り、まさか彼女が魔界の住人というファンタジー的な存在だとばれる心配はないはずだ。
なら、俺以外の人間と交友を深めるのは悪くない。
同じ女性同士ってのもあるし、この間の二人を見た感じだと、千草さんとは仲良くできそうな気もしたし。
「お、マオからだ」
マオのことを考えていたからなのか、スマホを使い始めたばかりの彼女からちょうどメッセージが届く。
初めてのメッセージだ。
一体どんなのが届いたのかとちょっとだけワクワクしながらアプリを開いたのだが、送られてきたのがなぜかバナナを持って喜ぶゴリラのスタンプのみで、俺は思わずその場でぶはっとむせて蕎麦を口から吐き出しそうになった。
「ちょっと汚いんだけど!」
「っぐ、ギリ出してないからセーフだろう!」
何とか喉の奥に口の蕎麦を飲み込み終わったところで、マオから文章が届く。
『すまないすたんぷをまちがえた』
『ほんとうはこっちだった』
ひらがなのみで構成された文章の次に来たのは、ウサギが旗を持って応援しているものだ。
そして追撃がやってきた。
『ほどほどにごごからもがんばるのだぞ』
『きょうのばんごはんはけばぶ』
「まさかのケバブ!?」
思わずメッセージに小声でだが口頭でツッコみを入れてしまった。
マオには聞こえていないはずだが、それに呼応するかのように続けて、
『じたくでつくるかんたんけばぶなるものをいまてれびでやっていた』
『おいしくつくる』
『たのしみにしておけ』
そして最後には、ウサギがどや顔しているスタンプがきた。
一応マオは全て読めるのは読めるので、漢字とカタカナと平仮名と改行、句読点を入れた文章を彼女に返している俺に、夏樹が笑いながら声をかける。
「なんだか晃、楽しそうだね」
「そうか?」
楽しいかどうか。
マオとのやり取りも含めて、彼女と一緒に暮らしてまだ日は浅いが、嫌ではないし、夏樹の言うように、多分俺は今楽しんでいるんだろう。
おそらく昔の彼女といた頃以上に。
まあ、マオは彼女じゃないが。
「あ、そうそう、俺今日も定時で上がるから」
「僕に宣言する必要ある?」
「つまり残業になりそうだったら変わってくれってこと」
「仕事大好き人間が、えらい変わり様だね」
「しゃあないだろう。晩御飯、マオの自家製ケバブらしいから」
「……なんでケバブ? しかも自家製?」
「テレビで簡単にできるやり方を紹介してたんだと。店が開いてるうちにそれに合わせる酒も買いに行かないといけないからな」
それなら海外のビールか、赤ワインもいいな。
そんなことを考えながらマオへ返信した後、俺は残りの蕎麦を急いで腹の中に入れた。




