19.家族写真と過去の記憶
ショッピングモールを出て家から最寄りのスーパーへ寄る途中、車の中で俺は、マオと一つ確認をする。
「マオ、さっき彼女との会話で成り行きでマオは俺の彼女ってことになったんだが、事実を言う訳にもいかんから、しばらくはそういう設定でいこうと思う」
「我は別に構わんぞ。彼女だろうが居候だろうが家政婦だろうが奴隷だろうが、主の都合のいいように紹介すればよい」
その中ならまだ彼女だろう。
奴隷は当然却下だ。
「ならそういうことで。あと、自分が魔王ってのを言わなかったのは良かったんだが、今後はああいうことは言わないようにしてくれ。……俺が変態みたいな目で周りから見られかねないから」
「? 分かった」
やっぱりあの言い方がおかしいと自覚していなかったようだが、ひとまずはこれで安心だろう。
だが千草さんの中では、それがなくったって俺は変態認定されていたみたいだが。
その後立ち寄ったスーパーでは、今夜からマオが食事を作りたいとのことだったので、数日分の食料を買い込み、帰宅した頃には夕方になっていた。
駐車場から全ての荷物を運び、余っていた部屋の一つをマオ用にすることにしたので、そちらに彼女の物を運び入れる。
その間にマオは、ワンピースから動きやすそうな服に着替える。
────あのワンピース、結構俺も気に入ってたから、実は着替えたのが密かに残念ではあった。
また今度着てもらおう。
そんな俺の心の内など知る由もないマオは、食材を使って夕食を作りはじめる。
「へぇ、器用なもんだな」
「言ったであろう。我は食事も自分で作っておったと」
買ったばかりの食器などを出して棚に並べていく俺の前で、マオが食材の皮を手慣れたように包丁でむき、食べやすい大きさにカットしていく。
その動きはどう見ても普段から作っている人の手つきだ。
「今日はカレーというものを作るぞ! ルーというものを入れればできると聞いたのでな」
「いいな。カレーは俺も好きだ」
「あまり失敗しないという話だったからな。……そうだった、米も炊かねばならぬな」
俺の不在時の片付けの際、家主である俺ですら存在を忘れていた炊飯器を発掘していたマオは、米を洗い釜に入れた後、炊飯のスイッチを押した。
もはや俺よりも家電を使いこなしている気がする。
「なぁ、俺も何か手伝うけど」
しかしその申し出は魔王により却下されてしまった。
「晃は大人しく酒でも飲みながら休んでいるがいい」
「分かったよ、ならお言葉に甘えて」
変に動いて邪魔をするわけにもいかない。
一人酒するよりもマオと一緒に飲みたいので先にシャワーを済ませようかと思いリビングを出かけたところで、俺はふとキャビネットの上に目がいった。
そして裏返っていたそれを何気に手にして表にすると目に入ってきたものに、思わず俺は息をのんだ。
「っ───!」
それは小学生の俺と、そして両親が写る写真だった。
年数が経っているので若干色褪せてはいるが、正真正銘みんなが幸せに生活していた頃のものだ。
「すまぬ晃。掃除をしておった時に見つけたのだが、その報告を主にするのを忘れておった」
キッチンからマオの声が飛ぶ。
「……マオ、これはどこにあった?」
「テレビの横に積まれておった本のどれかに挟まっておったぞ。どこに戻したらよいか分からず、大事な物やもしれぬと判断してそこの上に置いておったのだが」
「そうか」
俺は指でそっと、家族写真をなぞる。
母さんにまつわる物は全て父さんに処分されていたと思っていた。
昔みんなで住んでいた家も、母さんが使っていた物も、写真も、そして遺骨すらも残されていない。
それでもほんの一欠片だけ、ここに残されている。
あそこにあった本は元は全て父さんの物だ。
存在を忘れていたのか、それともせめて一枚でもと手元に残していたのかはあの人がいない今は分からないが、久しぶりに見た三人の笑顔の写真に、俺は懐かしさと嬉しさ、そして言葉にできない苦さを覚えながら、それをじっと見つめる。
「それはやはり主と両親の絵姿なのか?」
「っうわ、びっくりした!」
思わず声を上げて振り返ると、いつの間にか俺の背後にマオがいた。
するとマオは何やら不満気に眉間に皺を寄せる。
「我はお化けではないぞ。そんなに驚くこともなかろう」
「近付いてくる気配がなかったからだよ!」
「そういえば、足音で敵に気配を察知されないようにと普段から訓練しておったのだった。これからは気を付けよう」
さすがは魔王だと変に納得しながら、俺は彼女の質問に答える。
「で、これは絵じゃなくて写真っていうやつだな。マオの言う通り、これは俺が十歳くらいの時の家族写真だ」
「主は兄弟はおらぬのか?」
「一人っ子だよ。────昔はさ、一年に一回はこうしてちゃんとした家族写真を撮ってたんだよ。綺麗な服に着替えてめかしこんでさ」
「主の両親は今も元気にしておるのか?」
「いや、どっちも他界してる。母さんはこの写真撮ったすぐくらいかな。病気が見つかって、半年ほど治療したんだがそのまま。父さんの方は…………」
その後の言葉が続かなかった。
母さんが死んだ時、ある意味その時に父さんの心もまた死んだようなものだった。
生きる屍と化し、それでも親としての義務感からか俺に金の苦労だけはさせないようにとがむしゃらに働いていた。
そんな父さんが本当の意味で死んだのは、俺が十八の時だ。
表向きには車での事故死だと処理されたが、多分違うだろうなと、心のどこかでそんな確信があった。
何も言えずに固まる俺に、マオが気を遣ったように声をかける。
「辛いことを言わせてしまったな。すまぬ晃」
「あー、悪い、変な間を作っちまったな。まあとにかくそんな感じだ」
マオは、随分とこちらの空気を読むのが上手いようだ。
笑顔で返したこの返答が笑いに隠した拒絶だと理解しつつ、俺が話したくない事なのだろうと判断し、それ以上聞いてくることはなかった。
「それより、マオの方はどんな家族で……」
俺としては話題に深い意味はなく、話を変えようと思っただけなんだが、途中で言葉に詰まる。
マオの家族、と言う単語が出た途端、彼女の瞳に陰りができたのだ。
それは前にも一度、家事ができる理由を尋ねた時にも見たことがあるものだった。
なので俺は即刻その話自体なかったことにすべく、暗くなった空気をあえて吹き飛ばすように明るい声を出して、少々強引に話を切り替えた。
「しかしよくこれが見つかったよなぁ。てっきり一枚も家族写真なんてないだろうって思ってたから、見つかって嬉しいわ。ありがとなマオ」
すると彼女もまたこっちの判断に気付いたようで、同じように声のトーンを上げつつ、豊満な胸をドンと叩く。
「我のこの家での役割は、主の役に立つことだからな! これからも役に立ってみせようじゃないか!」
「頼りにしてるよ。正直家のことは俺、さっぱりだかんな」
「ふむ。居住空間についてはあらかた整えられたと思っているが、次は食生活だな。ということで間もなくカレーとやらができる。主は晩餐用の酒を選んだら手を洗って席に着き、待っているがいい」
俺は頷くと、写真をキャビネットの引き出しにしまう。
その時マオが小さく声を上げた。
「……ありがとう」
何に対してか。言われなくても分かる。
「お互い様だろう? 言いたくないことは言わなくていいし、俺もマオも相手から言い出さない限り聞かない。ってことで、カレーに合う酒だな。明日も休みだし、今日買ってきたとっておきでも出すか!」
そう言いながら俺は、晩餐に合いそうな酒を選びにキッチンへと向かった。




