18.後輩との遭遇
ちゃっかりポイントカードも作り、次回もマオを連れて行こうと決意しつつ店を後にした俺たちは、他にも色んな店を巡っていく。
昼を回った頃、一旦荷物を車にしまいに行った後、昼食がてら休憩のためフードコートへと向かった。
「これが、生魚というものなのだな」
俺はてんぷらの乗った大サイズのうどんにしたが、マオはかねてより気になっていたらしい、刺身ののった海鮮丼を注文していた。
「魔界には生魚を食べる習慣はないのか?」
俺の質問に、視線はサーモンから微動だにせずにマオは答える。
「残念ながら毒持ちばかりでな。火を通せば問題ないものもおったが、生は無理だったぞ」
だからテレビで刺身というものを見た時に衝撃受けて、絶対に一度は食べてみたかったそうで。
「口の中で、魚の甘みが、ゆっくりと、溶けていく……」
で、現在。
感極まった表情でマオは海鮮丼を食している。
だがなぜか半分ほど食べたところで、マオはため息をつくと、この数日で使いこなせるようになった箸を置く。
「苦手な物でもあったか?」
「いや、この世界の美食にこれだけ触れてしまったのだ。もう我は、味気ない食事ばかりのあの魔界には戻れぬやもしれぬ」
「なら、魔界で再現できそうなレシピをこっちにいる間にできるだけ集めればいいんじゃないか?」
そうしたら、マオが目から鱗だと言わんばかりにはっと息をのんだ。
「そうであるな、なぜそのような簡単なことに気付かなかったのだ! よし、では我は今ここに宣言しよう。魔界でも、生で食べられる魚を新たに生み出すことを!」
とにかく、よほど刺身が気に入ったらしい。
そう決意表明するマオがあまりにも真面目な顔だったので、俺はつい吹き出してしまった。
「なぜ笑うのだ。我は真剣なのだが」
「悪い悪い」
「ふむ、まあ良い。では気を取り直して、残りも美味しく食すとしよう」
その後は機嫌よく完食したマオと、再びモール内を巡る。
「あと何を買うんだったかな」
スマホに入れたメモを確認しながら歩いていたら、いつの間にか家具のコーナーにきていた。そして思い出す。
「あ、ベッドだな」
「晃、我は別にソファでも、むしろ床でもよいのだが」
「馬鹿言うなよ。俺の恩人様を固い地面で寝かせるわけにはいかない」
かといってずっと一緒に寝るのもな。
「我としては、いつ何時晃に報酬として体を求められるかもしれぬ故、主が嫌でなければ同じベッドでも構わぬのだが」
「そんな日は永遠に来ないから余計な世話だ」
これ、マオは冗談じゃなくて、本気で言ってるからな。
しかしマオと並んで寝るのは、俺にとっては意外と居心地がいいのも事実だ。
隣に人肌があるからだろうか、昔よりも断然寝つきがよくなったし、途中で目が覚めることもない。
「……一応見るだけ見るか」
しかし、俺の勧めた超高級ブランドのキングサイズのベッドは、どんなに俺がマオにこれで寝てほしいんだと訴えても、彼女は頑として首を縦に振ってくれなかった。
逆にマオは超お手頃価格のシングルベッドならと言ってきたので、そっちは俺が却下した。
なので結局、しばらくは現状維持でということで落ち着いた。
他にもマオ用のスマホを買ったり──マオはこっちの世界に籍がないので俺名義で契約したが──食器を買い揃えたり、その他諸々と購入して本日二度目の休憩に入る。
チェーン店だがなかなかに美味しいと評判のカフェに入り、マオが注文したものは、メロンのクリームソーダだ。
「パフェとかもあったけどいいのか?」
「晃は何も分かっておらぬな。それはデザート界においてはいわゆるラスボス的な存在なのだ。だからこんな序盤で食すわけにはいかぬ」
「妙なこだわりがあるんだなぁ」
マオは俺のいない間に、テレビでかなりの知識を吸収したようだ。
その半分ほどが食べ物関係なのは、まあ彼女の興味がそっちに偏っているからなんだろう。
しかし、いつもいつも、彼女は美味しそうに食べるものだ。
それこそこの間伊吹さんと行ったあの店に連れて行ったら、マオのことだからすごく喜ぶだろう。
だがあそこは会社も近いし、万が一、一緒にいるところを見られたら、マオのことをどう説明したもんか────。
「…………霧島先輩?」
アイスクリームを頬張るマオを見ながらコーヒーを飲んでいた俺は、突如背後から聞こえてきた声に振り向くと、そこにいたのは見慣れた一人の女性だった。
「あ──、千草さん」
そんなことを考えていたからだろうか。
早速知り合いと鉢合わせてしまった。
ここのモールは、距離的にはあの会社ともそこまで離れておらず、そして彼女の自宅からもそう遠くないんで買い物圏内ではある。
そりゃあこうなることも予想しとくべきだったな。
千草さんもここで買い物してたのか、肩にはロゴの入った紙袋がいくつもかかっている。
彼女は俺と、そして正面に座るマオを交互に見やり、眼鏡をくいっと上げる動作を見せた後、挨拶もそこそこに納得したように一人頷いた。
「やはり夏樹さんの予想は正しかったようですね」
「え、あいつに何聞いたの?」
「この間、霧島先輩が直帰した奇跡の日です。あれは絶対に彼女ができたからだと彼が力説していたのですが、それが事実だったのだなと納得した次第でして。……これは夏樹さんにすぐ報告しないと」
「あのな、言っとくがここにいるマオはだな」
「なるほど、彼女の名前はマオさんですね。しかもそこらの美人が太刀打ちできないほどの超絶美人。霧島先輩は面食いであるとも追加しておきます」
「いやいや聞けって! 高速でメッセージを打つんじゃない!」
千草さんは画面すら見ず、指を目にもとまらぬ速さで何かを打っている。
どう考えてもあの爽やかイケメン兼千草さんの彼氏であるあの男に報告してるとしか思えない。
すると黙ってこの様子を見ていたマオが、アイス用のスプーンを持ったままおもむろに口を開く。
「主は誤解しておるようだが、我は別に晃の彼女というやつではないぞ」
すると千草さんの手が止まり、眼鏡がきらりと光る。
「彼女では……ない?」
「おい、マオ」
実際彼女ではないんだが、マオが何を言い出すか不安を覚えた俺は彼女の名を呼ぶ。
しかしそれに構わず、マオはとんでも発言を繰り出した。
「我は今訳あって晃の家に住まわせてもらっておる。しかし晃の親切心に対して我には差し出せるものがないのだ。そこで我は晃に対価としてこの体を差し出し、今は晃のために体を使った奉仕をしておってだな……」
「彼女です彼女! マオは俺の彼女だから!!」
体を使った奉仕って、それ掃除とかって意味なんだろうけど、端から聞いてたら完全に別の意味に聞こえるから!
さすがに正直に自分が魔王でっていうことは言わなかったが、それにしたって言葉のチョイスがおかしい。
だからこそ、俺が職場で変態扱いされるくらいなら彼女ってことにしといた方が何倍もマシだと思い、慌てて訂正したのだ。
「では結局そちらのマオさんは霧島さんの彼女という認識でよろしいのですね?」
「ああ、いい。悪い、後輩相手に彼女だって紹介するのが恥ずかしくてな」
「いい年して何を恥ずかしがってるんですか」
「千草さんも俺とそこまで年は変わらんだろうが」
「私はまだアラサーではありませんから。ですが、先輩が早く帰ったり、きちんと休日を満喫できるようになったのは良いことだと思います」
しかし、なんとかこれで誤魔化せたかな。
俺に彼女ができたと千草さんに思われるのはなんだか妙に居心地が悪いが、この際仕方がない。
あと多分、このことを聞いた夏樹からは、鬼のようにメッセージが来るだろうなと予想できる。
「あれ、ってか夏樹は一緒じゃないのか?」
「彼は今日は早朝から高校時代の友人と釣りに行っています。お土産には釣りたての魚を持ってくるからと豪語していましたが、果たして釣れるのかどうか……」
「釣りたてだと!?」
ここで声を上げたのはマオである。
彼女はうっとりとした面持ちで宙を見つめる。
「知っておるぞ! 釣ったばかりの魚は鮮度が抜群で、味も大変美味であるとな。そんなものを食べることができるとは、お主はなんと幸せ者だろうか」
「彼女さんは魚がお好きなのですね」
「それ以外も好きな食べ物がたくさんあってとてもすべて挙げることはできないが、やはり釣りたてという単語に心が躍る。あと我のことはマオで良いぞ」
「あくまで釣れたらの話ですけどね」
ここで千草さんは居住まいを正すと、マオに向かってきっちり四十五度に腰を曲げて礼をする。
「……申し遅れました、私は霧島先輩の後輩の千草ゆかりです。私のことはゆかりんと気軽に呼んでください。何かありましたら今後ともよろしくお願いしますマオさん。特にこの、仕事でしか快楽を得られない変態ドМ先輩は、一人だと延々と仕事に時間を費やすので、マオさんの方でしっかり息抜きさせてください」
するとマオは千草さんに倣い、立ち上がると、同じような礼を見せる。
「うむ。任せておけ。誰かが見ておらねばそのうち不摂生で干からびて死にそうな晃の管理は、我がしっかりと行う故」
「二人とも、その言い方はちょっと酷くない? 特に千草さん、俺君の先輩なんだけど。ずっとそんな風に思ってたのか?」
だが二人とも俺のことなど無視をして、何やら互いに固く握手を交わしている。
多分俺が何を言っても届かないな、これ。
なので文句を言うことは諦めた。
「では私はまだ買い物もありますので、これで。またどこかでお会いしましょうマオさん」
「勿論だとも。ではさらばだゆかりん」
「先輩もついでにさようなら」
「はいはい、またなゆかりん」
「先輩はゆかりん呼び禁止です」
しかし千草さんは帰り際、マオの耳元に何かを囁いていた。
「……マオ、ちなみに千草さん、さっきなんて言ってたんだ?」
彼女が立ち去った後、俺はマオにそう尋ねると。
「ゆかりんか? ああ、我が晃に実際にどういった奉仕をしているのか、今度詳しく聞かせてほしいとな。どうも趣味の小説? とやらの参考にしたいそうだ」
「そういえば千草さん、そんなの書いてるって言ってたな。確か内容は────」
言いかけて、思い出した俺は思わず口をつぐむ。
彼女の趣味はごりごりの官能小説を描くことである。
うちは副業もオッケーなので、実際に商業デビューもしている。
俺も一度読ませてもらったことがあるが、男性向けから女性向けまで幅広く、内容もかなりハードな展開もある代物だった。
涼しい顔からよくもまああんなストーリーや単語が出てくるもんだと、むしろ感心してしまったほどだ。
だけどマオに聞いたところで、千草さんの欲しい情報は得られないだろうなと思いながら、俺は温くなったコーヒーを啜った。




