チラシと、自己嫌悪と
⒚時。仕事が終わろうとしていた頃、私は机の上を片付け、パソコンをシャットダウンしかけていた。
そのときだった。
「春日、ちょうどよかった。これ、今から配ってきてくれない?」
振り返ると、田所課長が仲介物件のチラシを無造作に差し出していた。
「あの…もう⒚時過ぎてますし、今日はもう…」
「“今日はもう”?おいおい、なんのために給料もらってんの?おまえは給料泥棒か!」
にやけていた顔が、瞬時に怒気を帯びる。事務所の空気がピリッと張りつめた。
「別に夜中に行けって言ってるわけじゃねぇだろ?暗くなったぐらいで仕事止めるなよ。おまえなんか襲うやつなんて、いねぇよ。そんな根性だから成約取れねえんだよ」
「……はい、行きます」
なぜ怒っているのか・・私の言い方が悪かったのかな。
そんなことを、つい考えてしまう。たった一言が波風を立てるのなら、私は黙っていた方がいいのかもしれない。
その空気を割るように、ヒールの音が事務所に響いた。
「お疲れ〜。まだ仕事してるんだ〜、大変ね〜」
増田里美先輩だった。私の一つ上の先輩で、いつも綺麗に巻いた髪を揺らしながら、涼しい顔で現れる。
「チラシ?あたし?あ〜それ、田所さんが“美人さんには危ないから免除”って。ありがたいよね〜、ほんと気が利く人で」
私は言葉を飲み込んだ。自分が美人ということを言いたいのか・・ハイハイ
増田は私のパソコンで作りかけていた資料を見て
「へえ、まだその資料作ってたんだ。私ならもっと早く終わらせてるけど?」
一瞬だけ覗き込むようにして、彼女はさらりと続けた。
「丁寧なのはいいけど、春日さんって、要領悪いよね〜。…ま、そこが“真面目”ってことなのかもだけど?」
本当にそうなのかもしれない。
いつも何かをやるのに時間がかかるし、結局まわりに迷惑をかけてるのかも…。
誰も何も言ってこないだけで、みんな思ってるのかな。
「じゃ、お先に〜」
資料を保存してパソコンを落とし、軽やかに帰っていく背中を見送りながら、私は渡されたチラシを手に、暗くなりかけた道を歩き出した。
街灯の下でふと立ち止まったとき、自分が何をしているのか、わからなくなった。
「初投稿です。気にしすぎる主人公の日常を、静かに描いていきます。よろしくお願いします!