第5話 空は厚い雲で覆われている
いつもは星が出ている時間だが、今夜は見えない。空は厚い雲で覆われている。三年前と同じ天気だ。
嵐の前の静けさというやつか、スクラップ置き場は異質な空気に支配されている。
真っ平らな土の上に大量のゴミクズ、それだけの場所。ドラゴンは見えない。荒くれ者たちの気配もしない。
それなのに野生の勘が告げている、ここは危険だと。
「なあ、そこのおっさん。この辺で首飾りをかけた銀髪の女を見なかったか? たぶん、ケルラの巣窟に行ったと思うんだが」
石油缶の上に佇む中年デブに声をかける。
彼は、目を細めた。
「知りたきゃ金目のもんを渡すんだど」
「あ? もってねえよ、そんなの」
「なら、死ねぃ」
「――――ッ」
明確な殺意、後方からだ。
視界に入る鉄くずのかたまり。急接近してくる。
考えるより先に身体が動いた。
蹴りをいれる。凄まじい衝撃。弾き返す。
「手荒い歓迎じゃねえか」
「な、なんで生きてるんだどっ。とてもじゃないが、普通の人ならぺちゃんこっ。ぺったんこになるどっ」
「普通の、ならな」
右手の紋章が、妖しく輝いている。
ほんの一瞬、ほんの一瞬だけ、力を解放させた。
「そ、そ、そ、その紋章っ、も、もしかしてっ――――」
やつの目の色が変わる。
「そうだ。どんな手品で攻撃してきたのかは知らないが、オレに喧嘩をふっかけるのは辞めたほうが――――」
「オラと同じタイプの人間だどっ」
「なっ――――」
「ほら、見るどっ」
デブが服をまくる。
腹の上には、たしかにドラゴンの紋章が刻まれている。オレと同じ、ドラゴンの血が流れる者の証。
ま、まずい。ただの賞金稼ぎや暗殺者ならともかく、よりにもよって紋章持ちだと?
苦戦は必須だ。身構える。
しかし、やつの様子がおかしい。その瞳から殺意の色が消えた。彼は嬉々として石油缶に手を伸ばす。
「オラ、嬉しいどっ。ナカマに会えて、嬉しいど。さっきはすまんかった、ほら、こいつで勘弁してくれぃ」
石油缶から何かを取り出して、こちらに投げてくる。それは、オレの足元に落ちた。
キラキラと黄金に輝いている。金塊だ。初めてみるが、その価値はわかる。
「ど、どうしてこれを……」
「おめぇとトモダチになるためだどっ。足りねぇなら、もっとやるべ」
「友達に? 」
「あぁ。おめぇもわかんだろ? 紋章のせいで、何度も冷たい視線が浴びせられたどっ。きたない言葉も、吐き捨てられたツバも、もう何度受けたか覚えてねぇ。雇ってくれるとこもねぇし、ずっとこんなとこで生活してるど。もう生涯、ホームレス確定だど……」
やつの目が潤む。が、すぐにこちらを向く。
「だからこそ、トモダチが欲しかったんだどっ、オラみてぇな人生送ってる負け犬がっ。オラと同じ紋章があるんだし、わかってくれんだろ? オラの気持ちっ」
まっすぐな目だ。嘘をいているようには感じない。
しかし……
「やだね。あいさつ代わりに鉄くずを飛ばしてくるやつなんか、信じられるか。これもどうせ罠なんだろ」
オレは、後ずさる。
「そ、そんなつもりないどっ。ま、待って。じゃあ、タネを教えてやるべ。ほ、ほらっ、おめぇらっ、出てこーいっ」
無数の気配。後方を横目で見る。
プラスチックの山のなかから、やせこけたホームレスたちがゾロゾロと出てくる。
変形した鎧、折れた剣、旧式の投石器……なるほど、所持品から察するに殺る気はあったようだ。
さっきの攻撃も、こいつらが犯人だろう。
「あいつらはオラの言うことをよく聞くんだどっ。なんせオラは、ここの王、ポルポ様だかんな。ほら、おまえっ、そこのおまえっ。そうだハゲのおめぇだ。ちょっと踊ってみろ。兜も脱ぐどっ」
ひとりの男が前に来る。兜を脱ぐと、たしかにさびしい頭が露出した。
兜は地面にそっと置かれ、ぎこちない動きで踊りだす。
海の中の海藻のようにクネクネと腰を曲げるが、歪んだ兜に足をとられ、すぐに転倒する。
「だっははははっ。いい気味だどっ。どうだ? おもしれぇだろ? オラのトモダチになれば、おめぇも同じように“あれ”で遊ばせてやるどっ。どうだ? オラとトモダチになんねぇか? 」
「おまえと友達になれば……おまえと友達になると言えば、本当に“あれ”で遊べる……と言うのか? 」
「あぁ、約束するどっ。オラとトモダチになる引き換えに、ギブアンドテイクってやつだどっ。さぁ、早くトモダチになるどっ」
オレは右手をポルポに向けて差し出す。
「ゆ、友情の握手かど? もちろん、もちろんするどっ」
ポルポは、さっと駆け寄ってくる。
射程範囲に入った。ぶん殴る。拳がやつの顔面にメリメリと音を立てて食い込み、その巨体を吹っ飛ばした。
「ぐ、がはっ、い、いっでぇええええ。なっ、なにをするだァァァァアアア!!! い、いい条件だと思ったどっ。どこに不満があったんだど? わがんねぇ、わがんねぇ」
顔を両手で覆って転げ回るポルポを、オレは踏みつける。
「条件は悪くなかった。オレにとって不都合なことはなにもなかった。宝くじがあたったようなもんさ。理屈だけで考えれば、友達になる以外の選択肢はない……だが、断る」
「ぐ、ぐふっ……ど、どうしてだどっ」
「それはお前が、吐き気を催す邪悪そのものだからだッ」
ツバを吐き捨て、ポルポを蹴り飛ばす。丸々と太った身体が、小さな悲鳴とともに転がっていく。
構わず近寄り、蹴りを加える。何度も何度も、蹴る、蹴る、蹴る。
「お前、ここでの生活が長いって言ってたよな。それじゃあ、どうしてそんなに太っているんだッ。あっちのやつらは全員ガリガリなのによォ」
「そ、それはっ」
「まさか、“搾取”してるんじゃあないよな? ただでさえ弱い立場であるホームレスを虐めるなんて、そんな酷いこと“普通の人間”にはできないよなァッ!! 」
渾身の力で踏み抜く。どこかの骨が折れる感触。かなりのダメージ。
「う、うぐっ」
ポルポはうずくまり、そして倒れる。
かなりの力で蹴った。もう動けないだろう。
「じゃあな、オレは先を急ぐ」
踵を返し、気づく。右足が重い。動かない。
なんだ、これは。ビクともしない。
ふと視線を落とし、冷や汗が垂れた。右足が掴まれている、蹴り倒したはずのポルポに。
「ま、まだ動けるのか!? ほとんど全力を出したんだぞッ!!? 」
「オ、オラは、“普通の人間”じゃねぇからなぁ。骨の一本や二本、軽傷だど……そして、喰らえっ火球ッ」
ポルポの頬が一瞬膨らんでしぼむと、口の中から火の玉が飛び出してきた。まっすぐ飛んでくる。顔の方だ。鼻先に熱を感じる。
まさか本物の火球か?
だとしたらまずい、とても避けられない。判断が遅れた。自力では回避不能だ。
オレは、かたく目をつぶった。