第四一話「伝えたいこと」
教会の中をふらり、ふらりと歩いていた。始めて来る場所だ、あてなどあるわけがない。だが、教会というだけでそこが見知った場所である気がして、なんだか妙な気分になった。
「はあ」
自分のどうしようもなさに、ラウルは一人ため息をつく。
これがただのわがままであることくらい、わかっている。フリーダには何の悪意もなく、むしろラウルを助けようとしての判断と行動だった。アルとレヴィもそれをわかっていたからこそ、あの少年を止めたのだ。
わかっている。
わかっていても。
「なんで、こんな……」
知らずのうちに胸を押さえていた。左胸に添えられた手は、肉体のぬくもりを感じる前に鎧の冷たさに阻まれる。
「勇者ラウル、人族の希望たる君に、そんな表情は似合わないな」
そんなラウルに、なんとも気障な言い回しで話しかけてきたのは第一皇子のダニエルだった。
「あ……」
なんと呼べばいいかとっさに出てこず、吐息だけがかすかに漏れる。その代わりに出てきたのは、なんとも勇者らしからぬ言葉だった。
「おれは、好きで勇者になったんじゃない」
にらみつけるような視線でダニエルを見つめるが、その瞳に覇気がないことは一目でわかった。ただの強がり。空っぽの虚勢に、ダニエルは意外そうな顔でラウルを見つめた。
「それはそうかもしれないが、キミの今までの行動は勇者そのものと言えると思うぞ」
何の気なしに発せられたその言葉が、またラウルの心をざわつかせる。
確かにラウルは勇者として行動してきた。自分が好きで勇者になったわけじゃないなんて、そんなこと今まで思いもしなかったことだ。理由はわかりきっている。
「魔族だからって、あんな子供を殺さなきゃいけないのが勇者なら、おれはそんなのごめんだ」
視線をダニエルから切り、目を伏せる。己の後悔を見つめ直すように、目に映る足元には一滴の水滴が落ちるのが見えた。
「勇……」
勇者、そう呼びかけようとして、ダニエルはその言葉を止める。ここに至るまでの経緯は、ダニエルも教皇への報告で聞いている。
「ラウル、と呼んでも?」
ラウルは黙って首肯した。
「では、ラウル。君は後悔しているか? その、魔族の子供を守れなかったことを」
「当たり前だ!」
被せるように叫ぶ。
「どうして、魔族だってだけであんな思いしなきゃいけないんだ。生きにくくて、味方なんて誰もいなくて、生きてるだけで否定されて……!」
ダニエルに訴えかけるも、そこに何の意味もないことを思い出し、ラウルの声は徐々にしぼんでいく。そう、ダニエルに伝えても何の意味もない。世界を変えることはできないし、何より過去を変えることなど出来ないのだから。
これはただの八つ当たりだ。
「……ごめん」
「いいとも」
そう言うダニエルの声色は柔らかだった。
「質問を変えよう。ならばラウル。君はその子に何をした。その子が助けを求める中、何かしてあげられたことはあるか?」
「……なにも」
少し考えて、ラウルは答えた。
「何も、ない。あの子が助けてほしいって思ってることはわかってた。今の生活から、魔族が迎える、運命? みたいなものから逃げたいって思ってたのはわかってたんだ。でも、おれにできることなんて、本当に、なにもなかった……!」
過去を思い返し、ラウルはこぶしを握り、奥歯をかみしめる。己の無力を嘆き、その憤りを押しつぶすかのように。
「本当にそうか?」
「そうだよ……。だって――救えなかったじゃないか!」
自分への憤りはやがて慟哭となり外へとあふれ出す。
「周りの魔族はみんな暴走して、自分一人残されて、化け物扱いする町の人にいつ殺されるかもわからない毎日を、いつか来る暴走に怯えながら暮らして、家も、友達も失って、結局最後は暴走して――」
殺された、いや、殺した。
誰が?
フリーダが?
違う。守れなかったのが勇者ラウルなら。
「おれは何もしてない。何もできなかった。そうだよ、おれは……殺してあげることすら……」
最後に残った理性で、あの少年は何を望んでいた? 目の前にいる勇者に、一体どんな希望を見出していただろう。
少なくとも、自分が人間でいる間に、化け物になってしまう前に殺されることを望んでいたんじゃないだろうか。それはきっと、罪悪感からくる希望でも、責任逃れのための言い訳でもない。
少年の最後のやさしさを、自分のために利用するような真似はしたくない。
「じゃあ、おれは……本当に何もできてないじゃないか」
みじめさに、くずおれる。
教会の堅く冷たい床に膝をつき、零れる涙をぬぐいもせずに垂れ流す。守れなかった、守りたかった。せめて、最後にできることをするべきだったのだと、後悔に胸をかきむしりながら。
フリーダはわかっていたのだ。もうあの少年に救いがないことを。いいや、あの場で少年をその手にかけることこそが最後の救いになることを。それを、ラウルは己のわがままと傲慢で否定した。目の前にある現実から目をそらし、きっと何とかなるだなんておためごかしを口にして、己の手を汚すことから逃げていたのだ。その傷も、穢れも、全てをフリーダに押し付けて。
「ラウル」
蹲るラウルの肩に、ダニエルがそっと手を添える。
「その少年は、孤独だっただろうか?」
「え……?」
ダニエルの口から発せられたのは、きっと慰めの言葉だ。けれどそれは、ただ傷をなめるだけの言葉ではなかった。
「友だった魔獣を失い、家も失い、それでも最後まで優しさを持てたのは、きっとその少年が孤独ではなかったからだ。最期の瞬間まで君が、いたおかげだと俺は思う」
少年は理性を失うその直前まで、ラウルと会話していた。
「すぐそばに勇者がいてくれる。それだけで、その少年は救われたんじゃないか? だれも傷つけなくて済むことに、ほっとしたんじゃないだろうか」
俺はそう思う。そうつけたし、ダニエルは口を閉じる。
「……だとしても、おれは何もできてないよ」
ゆっくりとだが、涙をぬぐい始めるラウル。
ダニエルの言うことが事実だったとしても、ラウルが何もできていないことに変わりはない。すべきことから逃げ出し、責任をフリーダに押し付けたことに変わりはないのだ。
けれど、もしあの少年が最後に見た勇者の姿に希望を持てたのなら。
そう思い、ラウルは立ち上がる。
「うん、少しはいい面構えになったな」
「ありがと。おまえ、いいやつなんだな」
「……いいやつ?」
ラウルの、立場を忘れた物言いに目を点にするダニエル。ダニエルは第一皇子だ。当然今まで対等な存在など誰もいなかったし、ダニエルを批評する者はいてもこうまで簡単に評価する者はいなかった。
ダニエルは為政者としては及第点だ。カリスマに欠ける、と言っていいだろう。現教皇、ルドルフのような厳かさも持ち合わせていなければ、フリーダほどのきっぱりとした決断力も持っていない。
領地を経営する手腕は持ち合わせていても、国をまとめる器ではない。それが現在のダニエルの評価だった。
そんなことを知る由もないラウルは、自分を励ましてくれた、ただそれだけのことでダニエルを「いいやつ」と評する。いや、評するなんて気はラウルにはないのだろう。単純にそう思ったからそう言っただけ。
現在のハイリアで最も政治的価値の高い勇者ラウルから思いがけない言葉をもらったことで、ダニエルはなんだか拍子抜けしてしまい、思わず「ふふ」と笑い声が漏れる。
「なに?」
「いや、なんでもないさ。君のような者と旅ができて、フリーダは幸せ者だな」
フリーダの名前が出たことで、ラウルがその表情に影を作る。ラウルにも喧嘩中だという自覚はあった。それも、今ダニエルと話したことで、喧嘩の原因が確実にラウル自身の対応にあることも認めてしまっている。
「おれ、フリーダに謝んないと」
「なんだ、喧嘩でもしているのか」
ダニエルの言葉に、ラウルはうーんと首をひねった。
「喧嘩、なのかなあ。おれ、誰かと喧嘩って多分したことねえから……」
「っ……」
ラウルはまだこの世界に誕生してから三年ほどしか経過していない。話をしている間にそのことをつい忘れてしまっていたダニエルは思わず息をのんだ。
生まれてから誰とも喧嘩をしたことがない。それは、まっとうな感情を持つ人間としては欠陥と言ってもいいだろう。喧嘩とは、主張と主張のぶつかり合いだ。それが起きないということは、自分というものを持っていないに等しい。
しかし、とダニエルは渋面を作る。
まさか生まれて初めての喧嘩が生死にまつわる、それも自ら命を奪うことについての意見の相違とは、なんとも重い話だ。
「フリーダがあの時、何を考えてあの子を殺せって言ったのか、ようやくわかったから。だからおれ、謝んないと。やっぱフリーダはすげえや。おれが知らないこと、なんでも知ってる」
「なんでも?」
それはふとした疑問だった。確かにフリーダは博識だし、ラウルは言葉などの一般的な知識は持つものの常識は欠如している。そう考えればラウルがフリーダを「なんでも知ってる」と評することには何の疑問もない。
だがダニエルは思ったのだ。その言葉の中に、妄信のようなものが見え隠れしないかと。
「ラウル、フリーダをどう思う?」
踏み込むべきかどうか、迷った末にダニエルはそんな曖昧な問いかけをした。
「フリーダ? そりゃあ、すげえなって思うよ。強いし優しいし、いやちょっと怖いときもあるけど、さっきも言った、おれの知らないことなんでも知ってるし」
出てくるのは、自分の知る精一杯の言葉を尽くしてフリーダをほめたたえる言葉の数々。だがそれに続いて出た言葉は、ある意味で決定的だった。
「今回のことだってそうだ、フリーダの言う通りにしてれば、なにも後悔なんてしなかったのに……」
その言葉を聞いて、ダニエルは刹那のうちに考え込んだ。これは、自分が口をはさんでいい問題だろうか、と。旅をする中で自然に学んでいくものであったり、仲間から学ぶべきところを、部外者である自分が口をはさんでいいのか、と。
「ラウル、それは間違いだ」
考えた結果、ダニエルは決めた。それが大きなお世話だと言われても知ったことではない。自分が思ったことを口にし、それでラウルが何かに気付けたのならば僥倖だ。
「たとえフリーダの指示に従ってその魔族の少年を殺したとしても、ラウル、君は後悔の念にさいなまされたと思う。そして何故だと己に問うんだ、何故フリーダの言う通りにしたのにこんなにも後悔するのだろう、と。そうならなきゃいけないんだ」
ダニエルの表情は真剣だった。それを読み取ったラウルも、いまいちダニエルの言葉を飲み込めないながらも、真剣にその言葉に耳を傾けた。
「ラウル。今の君はすべてをフリーダに委ねすぎている。もっと自分の意志を持つべきだ」
「いし、って言ってもな……。よく分かんねえ。おまえが大事なこと伝えようとしてくれてるのはなんとなくわかるんだけど」
なんとも申し訳なさげに目を伏せるラウル。そのしぐさを見て、ラウルは本気でダニエルの言葉に答えようとしてくれているのだと伝わる。ダニエルは苦笑いと共に、優し気な視線をラウルへと向けた。
「今はわからなくてもいい。ただ心のうちにとどめておいてくれ。私が……フリーダの兄が君を案じていることを。そうすればいつか分かる時が来るだろう。その時はきっと君が大きな決断を迫られているときだと思う」
わからないままに言葉を重ねられ、ラウルは困惑しているようだったが、構わずにダニエルは言葉を紡いだ。
「言葉と行動には責任が伴う。全ての決断を自分で背負えるようになって初めて、君は自分の行動の意味を知るだろう」
ラウルが理解しないままに、ダニエルは言葉を締めくくった。
「わかんない、わかんないけど、それって大事なことなんだな?」
「ああ。……おせっかいが過ぎたかな」
話は終わりだと言わんばかりにふにゃりと笑い、ダニエルは場の空気を弛緩させる。
「では私は公務があるのでこれで」
足早に立ち去ろうとするダニエルに、ラウルはこう、声をかけた。
「ありがと! ダニエルって呼んでいいか?」
名前を憶えていたのかという驚きもあったが、何よりそう呼んでくれることに喜びを感じたダニエルは笑顔で答えた。
「もちろんだとも」




