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第三二話「少年の心」


 ラウルの発した場にそぐわない発言に、アルは苦笑し、少年は「何を言ってるんだこいつ」と唖然とする。


「あれ? 駄目だった? 結構楽しいと思うんだけどなあ」


 空気が弛緩し、少年にもどこか心の余裕が生まれたのだろう。ここで初めて少年は誰が自分を追ってきていたのかを把握する。


「お兄さんたち、さっき僕を助けてくれた……」

「ええ、なので、そこまで警戒しなくても大丈夫」


 アルの声もようやく少年に届き、抵抗をやめた少年の手をアルもゆっくりと離す。


「あの、さっきはありがとうございました。でも、なんで助けてくれたのに僕を追いかけたの?」

「君に聞きたいことがあるんだ。最近の、この町で起きていることについて」


 その言葉だけで少年は察するものがあったのか、納得の表情と共に顔を伏せた。その動きを見れば、少年が何らかの形でかかわっているのは明白だ。


「おーい、お前ら速えよ」

「あんたが無駄口たたいてるからでしょ」


 喧嘩をしながらレヴィとフリーダも現れる。こうして必要な人間がそろった時には、すでに日が暮れかけていた。


「そういえば、君は今どこに住んで?」

「その、森の中に。町の中にいるわけには、いかないので」


 顔を伏せたままそう言う少年。


「それは――」


 町に居場所がないからか、それとも自分の暴走の可能性を考えてのことなのか。暴走の恐怖が他人事ではないアルも、そう気軽に聞くことはできなかった。


「ま、あんな空気の町には住みたくねぇだろうな。魔族を嫌うのは仕方ねえことだと思うが、ガキにまであんな態度取られちゃあたまったもんじゃねえよな」

「なんで、お兄さんたちは……」


 僕を怖がらないの? 喉元まで出かけた言葉を、まるで音になることを恐れるように飲み込む少年。けれどそこまで聞けば、少年が何を言おうとしていたのかわかろうというものだ。


「ここだけの話、俺らも魔族なんだわ」


 しーっと口元に人差し指を当ててにやりと笑うレヴィ。


「私は違う」

「だーもう、いいだろ細けえことは」

「魔族って、え……どうして」


 レヴィの告白をすぐに信じたわけではないだろう。だがフリーダの「私は違う」という言葉が暗に、「私以外は全員魔族だ」と言っていると感じ取った少年は、少なくともそれが嘘ではないと思うことができた。


「暴走は……?」


 魔族だと信じたのなら、次に出てくるのは当然その疑問だった。少年にとっては一縷の希望であるその質問だったが、その希望が光足りえないことを四人は知っている。


「……僕らは半端者の魔族だからね。フルーフ・ケイオスの影響を受けにくいみたいなんだ。君のような子供の魔族も」


 ためらいながらも告げられたアルの答え。それに少年がどれだけの絶望を感じたか、推し量ることはできない。少年はただ「そっか……」とつぶやいてうつむいてしまう。


 しばらくの間誰も口を開けないでいると、おもむろにフリーダがその沈黙を破った。


「あんたぐらいの年でも暴走する奴はいる。今正気を保てていることを幸運に思うことね」


 それはフリーダなりの慰めか、あるいは励ましだったのだろう。すでにこの町から出ていった魔族たちを思い出して、少年は無言で首を縦に振った。


「さて、立ち話もなんだからどこかに場所を移したいところだけど、君の住処に行ってもいいかな」

「え、僕の? それは……いいですけど」


 いきなりのアルの提案に面食らう少年だったが、落ち着いて話が出来る場所なんて他に当てもないことに気づき了承する。


「じゃあそうだな、ラウルと二人で少しここで待っていてくれるかな。僕らは町で食料を分けてもらってくるから」

「晩飯食いながら話だな!」

「そういうこと」


 この中で少年と二人残すなら見た目の年齢や雰囲気から言ってもラウルが最適。それにアルが少年に抱いた疑問点を話し合う時間も欲しかった。


 少年はこのレンブルクの事件に関係している。おそらくは被害が起きた現場に居合わせているはずだ。けれど魔族としての力は見た目相応の微々たるもので、フルーフ・ケイオスによる暴走の予兆もない。被害が魔獣によるものだとしたらなぜこの少年は被害の現場に居合わせ、無事で済んだのか。


 尽きることのない今回の疑問がどれだけ解消されるか、この少年がカギを握っているのは確かだが、まだ隠された何かがある。アルにはそんな気がしてならなかった。



 少年の住処は森の中にポツンとある廃屋だった。


「町を襲った魔獣は、僕の命の恩人なんだ」


 少年の口から端的に告げられた真実は、四人にとっては信じがたいものだった。それはもう、ラウルが口に運びかけていた果物を取りこぼすほどに。


「魔獣が、恩人?」


 嘘だろ? という言葉がまるまる表情に出ていたためか、ラウルの言葉に少年は控えめに頷いた。


「本当なんだ。畑と貯蔵庫の時は、おなかがすいて、もう一歩も歩けないってときだった。森の方から壁を越えて、魔獣が現れたんだ」

「そして貯蔵庫だけ、畑だけを荒らして立ち去ったと?」

「う、うん」


 嘘だったら殺すと言わんばかりの眼光で問いただすフリーダにも、少年は臆さず首を縦に振る。その様子を見て、これは間違いなさそうだと四人は目を合わせた。


「では、人的被害の時も」

「……うん」


 うつむきがちに頷く少年。この町で、魔族の少年がどんな目に合っていたのかは想像に難くない。


「だが、実際に見ないことにはさすがに信じられねえなあ。魔獣がただ人助けをするために現れるなんてよ。……ああ、お前のことを信じてないわけじゃねえぜ?」


 ただ、俄かには信じられない。それは四人共通の意見だった。


 魔族が魔獣を操れるのは良く知られた話だが、それは大人の魔族が、力の弱い魔獣を操る場合に限る。フルーフ・ケイオスの影響もうけていないような子供が、軽々と外壁を飛び越えるような魔獣を使役できるとは到底思えなかった。


「実際に見てみる必要があるわね」

「っ」


 フリーダの言葉に、少年が身を固くした。


「……殺すっていうなら、僕は協力しない」


 少年はフリーダをにらみつけるように視線を鋭くした。


 震える肩、震える唇、震える言葉。その言葉を発するのにどれだけの勇気が必要だったのか、それは四人には測れない。


 そんな少年の様子を見て、フリーダは軽くため息をついた。


「殺しはしない。むしろその魔獣は生かしておくべきね」

「生かして?」


 フリーダの口から出た予想外の言葉に、少年だけでなくラウルも疑問符を浮かべた。


「そこまで知能の高い魔獣なら、下手をするとネームド……特別討伐対象である可能性があるわ。長く同じ場所に留まり続けると教会から討伐隊が出るかもしれない」


 特別討伐対象。その名の通り、魔獣の中でも特に強力な個体に与えられるもので、同種の個体と区別するために特有の名をつけられることからネームドとも呼ばれる。


「おいおい、ネームドがボディガードかよ。羨ましいねぇ」

「でも、そのネームド? と、あの子を殺さないこと、何の関係が?」


 自分の現状に危機感を抱いていない少年はフリーダの言わんとすることに気が付かない。


「つまり、あんたとそのネームド。一緒に、この町を出るってことよ」


 フリーダからそう告げられ、ようやく察する。


「そっか、そうだよね。いつまでもここには、いられないもんね……」


 少年はいずれ大人になる。それはフルーフ・ケイオスの影響を受ける体になる、ということだ。それがいつ訪れることなのかは誰にも、少年自身にもわからない。その前に街を出なければならない。最初、この町に住んでいた他の魔族のように。


「僕の両親は、町で最初の暴走者だったんだ」


 ぽつり、と。少年の言葉が零れる。


「いきなり暴れだして、人だけじゃなくて魔族にも襲い掛かって、それで町のみんなに殺された。いずれ僕もそうなるんだって、心のどこかではわかってた」


 少年の瞳が涙にぬれる。少年と接した時間は短いものだが、それでもこの少年が気丈にふるまっていたことは十分に分かっていた。たった一人残された少年が、誰にも生を望まれないまま生き続けるのは、地獄のような苦しみだっただろう。


 そんな地獄を生きた少年ですら――もう何の未練もない町ですら――故郷を捨てることに瞳を濡らした。


 アルとレヴィは、涙を流す少年から決して目をそらさなかった。かつての己を見るように、あるいは救えなかった誰かと重ねるように。


「わかった。明日、あの子に話してみる。聞いてくれるかは……わからないけど」


 少年とその魔獣は具体的なコミュニケーションをとっているわけではない。意思の疎通が図れるとは限らない。


「可能性はどんなもんだろうな」


 レヴィが小声で尋ねる。


「五分、あればいい方でしょうね。その魔獣がこの子を自分の子供だとでも思っていればいいんだけど」

「……失敗したら?」


 フリーダの言葉に、ラウルが疑問を重ねた。


 その答えを、フリーダは口にしなかった。



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