第二八話「子供の魔族」
「……あ」
幼い魔族が狭い個室の中で視線をさまよわせる。勇者、聖女、魔法師、騎士、そんな区別はついていないだろうが、その見た目から教会の関係者であることは一目瞭然だっただろう。
ドアをはさんで後ろからドタドタと激しい足音が迫ってくる。前門の虎、後門の狼、もはや逃げ場はないと、魔族の少年はきつく目をつむった。その時――。
「――⁉」
何かに引っ張られる感覚、そして次の瞬間、どこからともなくドアが開くような音がして――。
「どこに行った!」
バンっ、と激しい音を立てながら、先ほどの女将が厳しい形相で個室に突撃してくる。
「おお、どしたの女将さん。ちょうどいいや、デザートも頼みたいんだけど……」
のんびりした口調でラウルが注文しようとすると、女将は若干うろたえたように声を裏返らせた。
「え、ええと? 今ここに子供が入ってこなかったかしら?」
視線をさまよわせながらそう尋ねる女将に、アルとレヴィはなんの示し合わせもせずに答える。
「子供? そういえばさっき切羽詰まった様子の子が窓から出ていきましたが」
「漏れそうだったのかねぇ?」
それを聞くと女将はすぐに窓辺に寄っていき、「ちっ、また逃がした」と舌打ち混ざりの暴言を吐く。
「あの子供、見たところ魔族のようだったけれど、フルーフ・ケイオスの影響は受けていないの?」
フリーダの問いに、女将は客前であることを思い出したように優しげ気に取り繕う。
「そうなのよ、魔族の中でも子供は影響を受けにくいらしくって。それもあって、あの子をどうするのか町でも決めかねているのよね」
困り顔の女将だったが、先ほどあの子を追ってきたときの形相を見れば、町での方針が固まっていないことが嘘だということくらいわかる。
「大変だねぇ、このご時世に魔族の子供とは」
妙に実感のこもった表情でレヴィがつぶやく。女将は「そうなのよ」と相槌を打つが、レヴィがいったいどちらに対してそうつぶやいたのかは本人にしかわからないことだった。
「それよりも女将さん、何か甘いものとかないかな~」
普段よりもどこか甘えた口調でラウルが尋ねる。整った顔立ちの少年の上目遣いに、女将は「はいはい、デザートね、ちょっと待ってて!」と気を良くしたように厨房へと戻っていった。
ばたん、と扉が閉まる。その間、教会騎士のレントは一度も口を開くことはなかった。
「……もういいぞ」
レヴィの言葉を合図にして、テーブルの下から魔族の子供が出てくる。
少年だった。
まだ年のころは十に満たないだろう。ぼろぼろの布切れを身にまとい、そこからのぞく肌には多くの傷、そして浮き出たあばら骨が見え隠れする。見てわかる小汚さに、少し鼻をツンとつく異臭。満足に睡眠もとれていないのか、目元には派手なくまがあった。
「……」
ぺこり、と控えめに頭を下げ、少年は窓へと向かう。
「少年」
フリーダがそう呼びかけると、窓枠に手をかけた小さな手がびくりと震えた。
「真昼間から盗みを働かないこと。次はもっとうまくやりなさい」
少年の方を見向きもせずにそう言いはなったフリーダに、少年は再び頭を下げ、今度こそ窓から外へと飛び出していった。
一瞬の静寂が周囲を包んだのち、レヴィが残った料理に手を伸ばす。フリーダは食後酒を頼むか迷いだし、アルはそんなフリーダを止め、ラウルはこれからやってくるデザートに思いを馳せる。そんな中で、
「……どういう、おつもりですか」
静かな怒気をはらんだ声が狭い部屋の中に響いた。
「どういう、とは?」
とぼけているわけでなく、ごくごく自然な疑問としてアルが聞き返す。
「おわかりでしょう、何故あの魔族を見逃したのですか! あなた方は勇者パーティでしょう!」
「勇者は人殺しの道具じゃないんだけど」
「――っ」
まさかラウル本人から反撃の言葉が出るとは思っていなかったのだろう、レントがたじろぐ。確かにラウルは少年の見た目で、その見た目以上に人生経験も浅く、確固たる己もない。それでも、自分なりに勇者という己の役割を自覚し始めている。そのラウルにとって、今のレントの言葉は決して看過できないものだった。
「魔族は……確かに人、なのかもしれません。けれど今は、――敵です」
絞りだされたレントの言葉。今度はそれを誰も否定しない。魔族が敵だというのはこの世界の一つの真実だ。
「確かに、敵対する魔族は敵です。容赦なく滅ぼします。けれど、あなたはあの子が僕たちに敵対しているように見えましたか?」
アルはレントの言葉を否定しない。けれどそれ以上の非難の言葉をもってレントを突き刺した。
「あれは我々の生活を脅かします!」
「はっ、教会騎士ともあろうものが情けねえなあ。あんなガキ一人に生活脅かされてたまるかってんだ。それともなにか、お前らはあんな細っこいガキ一人におびえながら暮らしてんのか?」
レントの叫びをレヴィが一蹴する。のちに脅威となる可能性があったとしても、現時点であの少年がただのか弱い子供であることには変わりない。騎士はおろか、発育のいい子供だって一対一の喧嘩で勝てるだろう。それだけあの魔族の少年は衰弱していた。
「確かに魔族は一般の人族にとっては脅威になる。脅威を事前に取り除くのも教会騎士の務めと言えばそうでしょうね」
「聖女様……」
ようやく賛同を得たと笑顔を浮かべるレントだったが、次の瞬間にはその表情も曇る。
「けれど、あの魔族はまだ選択肢を持っている。暴走してしまう前に自らこの地を去るか、それとも人の手で討たれることを良しとするか。それが定かでないうちにこちらで処分を決めるのはフェアじゃない」
「フェアって、……そんな、魔族なんかのために」
頼みの綱であった聖女にも自分の意見を否定され、見るからにしおれた表情を浮かべるレント。しかしその瞳に宿る意思は決して折れてはいなかった。
「自分には、わかりません。人族を守護するのが我ら勇使教の使命です。子供だからと言って、危険分子を放置する理由にはならない……」
そもそも教会の本来の目的はフルーフ・ケイオスを止めることであって魔族を滅ぼすことではない。それがたとえ建前だとしても人族、魔族の両方を含めた人間を守護することが教会の掲げる理想だ。
この生真面目な騎士が何故ここまで反魔族的な認識になったのか、理由を想像することはたやすい。今も世界のどこかで起こっているありふれた悲劇が、きっとこの騎士にも起こったのだ。それがどれだけよくあることでも、本人にとっては唯一の出来事であり、深く癒えない傷となる。
「あなたの言うことも分からないわけではありません。けれど、僕たちは僕たちのやり方をすると、そう決めているのです」
「そのやり方で罪のない一般市民が傷つくことがあっても、ですか」
「その通りです」
あまりにも当然と言わんばかりの返答に、レントはしばし絶句する。
その非難めいた問いはすでに四人の中で咀嚼し終わっている。どのような方法を取ってもどこかで犠牲は出る。ただその場に自分がいるかいないかの違いであり、その時自分がその場にいるのなら、その時の自分が思うように行動する、と。
その決意と覚悟のできていないものは、この旅に出る資格はない。そして教皇を相手に啖呵を切ることもできないだろう。
「っ……」
レントは歯噛みする。それは勇者パーティ四人に対しての憤りか、あるいは自分の、悔し紛れに出た浅はかな質問を悔いているのか。
「何か勘違いしているようだが、俺らは別に人助けの旅をしてるわけじゃない。かといって人助けをしないってわけでもねぇ。目の前に困ってるやつがいれば手助けの一つくらいするだろうよ」
レヴィはもはやこの議論が面倒だと言わんばかりに雑なまとめ方をする。
「この町、レンブルクにも何か困りごとがあんだろ? んでお前さんらはあの魔族のガキがそれに絡んでるんじゃと睨んでるわけだ。だからあそこまで過剰に反応した。違うか?」
「この歓迎ぶりも、その問題の解決を我々に手伝ってほしいからでしょう。アイエルツィアからここまで、僕らの噂が届いていてもおかしくはない」
フリーダも感じていたこの歓迎ぶりに対する違和感。それに先ほどの魔族の子供。無関係と考えるほうが無理があるというものだ。少なくともどこかで重なっているのだろう。そう考えてレヴィはレントを問い詰め、アルもそれを援護する。
「それ……は」
図星を突かれたレントは黙って首肯するしかない。レントの対応だけならば、勇者パーティの行動にいたく感動している教会騎士の一人、という認識で済んだだろうが、勇者が来た時のマニュアルがある、というのはあからさまだった。勇者に解決してもらいたい何らかの問題があると白状しているようなものだ。
「この町、レンブルクは今、大きな問題に直面しています。自分の一存で話すわけにはいきませんので、どうか教会まで来ていただければと、思います。こんな、こんな話をした後で、どの口でとお思いでしょうが……」
子供の魔族への対応で目にわかる対立をしたばかりの状態で、方針は違うが手を貸してほしい、その方針を捻じ曲げる願いかもしれないが話を聞いてほしいと願う。レントの言うことはそういうことだ。確かにどの口がと思われても仕方がない。むしろこの状況から話を聞くものは少ないだろう。
「そうおびえた顔すんな。言ったろ、手助けくらいはするって」
「そうですよ。あなたが僕らのどんな噂を耳にしたのかは知りませんが、この状況で話も聞かずに見捨てるような人間ではないつもりです」
だが、その手に収まる範囲であれば気の向くままに助けもすれば見捨てもする。それが今の勇者パーティの在り方だ。魔族の少年をめぐる意見は確かに対立した。だがこの町の歓待も、レントという青年の愚直さも、四人は嫌いではない。
「――ありがとう、ございます」
今度こそ心の底から安心したのか、レントは深々と頭を下げた。
「それでは、レンブルクの教会へご案内いたします」
「待て」
本題に入ろうとするレントに待ったをかけたのはフリーダだった。
ため息交じりにフリーダはラウルの方を横目に見る。
「デザートがまだよ」




