第二六話「久しぶりの街」
「ちょっと、あれ町? もしかして次の町⁉」
そう言って幌馬車から身を乗り出すのは、金色の髪をたなびかせる一人の少年。御者を務める黒髪の男に「身を乗り出すと危ないよ」と注意され、「はーい」と元気よく返事をしながらも、待ち遠しさからか、その身が馬車の中に納まることはない。
「ぐえっ」
やがて少年はそんな声と共に馬車の中に引き戻される。中にいる赤髪の男の仕業だ。
「お前なあ、はしゃぎたい気持ちは俺にもよ~~くわかるけどよ、少しは落ち着こうぜ」
そういう赤髪の男も町が見えてきたことに心躍らせているのか、先ほどから笑顔と過剰なスキンシップが絶えない。テンションがやたらと上がっている証拠だ。普段であれば少年も、無理やり馬車の中に連れ戻されれば文句の一つも言うところだが、町が近いことで気分がいいのか「えへへ、ごめんごめん」と素直に謝り笑っている。
「はあ、何をそんなに嬉しがってるのよ」
そんな二人を見てため息をつくのは、同じく馬車の中で肩肘をついてくつろいでいる薄紫の髪をした少女。次の町が見えてきた程度でこのはしゃぎよう、と二人を見ながら呆れているが、二人がここまではしゃぐのには理由があった。
「てめえ! ここ一週間俺たちがどんな生活を送ってきたか口に出して言ってみやがれ!」
「そーだそーだ! どんな食事をしてきたか言ってみろ!」
「ここ一週間……」
そうつぶやいて、少女は最近の生活を思い出す。
「はあ、魔獣はレスト以外は何も残らないのが難点ね。これじゃあ肉も取れない」
「あれ? レストってなんだっけ」
「魔獣を倒した後、魔核以外にも特定部位が残ることがあるでしょ、それのことよ。ドロップアイテムの方が通りがいいかしらね」
魔獣の体の中でも特に発達した部位は死後もその場に残ることがある。主に武器や防具に使われるそれは希少部位として取引される。が、今この四人が求めている物はそれではない。
「普通の肉が欲しい……」
「いっそ肉じゃなくても……皮とかでも毛ぇ抜いて炙れば食えるぞ……」
そうこぼすのは特に腹を空かせているラウルとレヴィ。だが魔物がその場に残すのは牙や爪ばかり。燃費の悪い二人にとっては死活問題だった。
「せめて魔物じゃない、普通の獣が出てくれればいいんだけどね」
アルフリードもそうぼやくが、フルーフ・ケイオスが始まって以降、熊やイノシシなど、一部の凶暴な獣を除いて普通の獣は魔物を恐れて警戒心が強くなってしまった。
「お、あのキノコ、食えんじゃね⁉」
「馬鹿おっしゃい、あれはテングタケでしょ。毒よ。それよりもこっち」
嬉々として毒キノコに引き寄せられるラウルを連れ戻すフリーダ。そのフリーダの目の前にあるキノコは、これまた毒々しい赤色をしていた。
「うえぇ、これこそ絶対に毒じゃん……」
「これはタマゴタケ。毒性があると勘違いされることも多いけど食用よ。昔食ったことがある」
言うが早いか、素早く三本のタマゴタケを摘み取るフリーダ。そしてその瞳は次の獲物を目ざとくロックオンしていた。
「十字方向に野ウサギ! 絶対に逃がすな!」
「了解!」
誰よりも素早く動いたのはアルだった。
「魔力、足音、気配は最小限に……足の親指にだけ魔力を集中させて、一瞬で開放……」
呪文のように魔力操作の行程をつぶやくアル。野生の獣は気配に鋭敏だ。失敗は許されない。
「ふっ」
一瞬で最高速度に到達したアルは、獲物が狙われていることに気づいた瞬間にはもうその背後に回り込んでいた。
「よし」
どこから取り出したのか、ロープで後ろ足を縛り上げ、狩った野ウサギをつるし上げる。そして腰のナイフを取り出すと、爽やかな笑顔と共に血抜きを開始した。
「おま、よくそこまで躊躇なく……」
「残酷に思えるかもしれないけど、これは必要なことなんだ。よりおいしいお肉を食べるためにもね。……ていうか、普段僕たちが魔族に対してやっていることを思えば――」
「それは言わない約束だ」
レヴィの感覚からすれば、こちらに敵対してくるものを倒す行為と、食事のためとはいえ逃げる小動物を屠畜する行為とでは価値観が異なる。が、確かにそんなことを言っている場合ではないのも確かだ。
「だれか、解体ができる人はいるかい? 僕はちょっと不慣れでね」
「いやあ、ちょっと解体とかはさすがに抵抗あるっていうか……なあ」
「うーん、おれもパス」
普段から言動が乱暴なレヴィ、そしてそう言ったことに抵抗がなさそうなラウルですら、可愛らしい野ウサギの解体に難色を示す。
「仕方ないわね。ラウル、聖剣」
「え」
ラウルは差し出されたフリーダの手に半ば自動的に聖剣を手渡すが、「フリーダ、できんの?」という言葉は飲み込めなかった。
「できるのかって、当たり前でしょ、聖女なめんじゃないわよ」
「「ええ~」」
ラウルとレヴィの声がそろったのは言うまでもない。
むしろ聖女だからこそこういうことはできないのでは? という疑問はもはや遠くに置き去りにされ、聖剣の切れ味を遺憾なく活かした野ウサギの解体ショーは鮮やかに幕を閉じるのだった。
「肝臓の刺身、食べる?」
「「結構です……」」
「なんというか、昔を思い出す食事だったわね」
ここ一週間のことを思い出しながら、フリーダはより昔のことに思いを馳せる。
「なあ、聖女ってマジで何なの? 対魔族兵器って自給自足もできなきゃいけないわけ?」
「ていうかサバイバル経験ないのっておれとレヴィだけ? アルも全然躊躇なかったよな」
ここまで旅をしてきた仲間の意外な一面を知った二人は、それを頼もしく思うと同時にどこか恐れを感じるのだった。
「俺らって恵まれた環境で育ったのかもな……」
「確かに、食うに困ったことってないかも……」
妙な親近感を覚えてしまったラウルとレヴィであった。
「ともあれ、次の町ね。周辺の村はもうほとんどが避難した後みたいだったから、おそらくそこに集まってると見るべき。名前は確か……レンブルク」
やや強引に話を戻したフリーダが、見えてきた町の名を告げる。が、ラウルは当然として他の二人もその名前にそこまでの思い入れは無いようだ。
「この辺りじゃフォアンシュタットの次にでかい町ってイメージしかねえな」
「僕も同じく。教会の哨戒任務でもこんなところまではなかなか来ないからね」
御者をするアルフリードも声を張って会話に参加する。
「そう、……まあ私もそこまで知った町じゃないわね」
フリーダだけがそこで明らかに含みを持たせた言い回しをする。本人に自覚はないのだろうが、その声音や間の取り方は、まだ人生経験の浅いラウルや、御者を務めながらのアルフリードにもわかるほどだった。
「……」
ラウルが話しかけてもいいのかと戸惑うような視線をレヴィに向ける。と、レヴィはやれやれと頭を掻きながらフリーダに向き直った。
「それでも俺らよりかは詳しいだろ。どういう町なんだ?」
レヴィが気をまわしたことにも気づかず、フリーダは淡々とその質問に答える。
「別に、普通の町よ。フォアンシュタットの陰に隠れていただけで流通も盛ん。今はもうないだろうけど周辺の農村から集めた食料も豊富で……」
だが、肝心なところを答えようとすると、どうしてもその口は閉じてしまう。さすがにフリーダ自身も自覚したのか、はあ、と大きなため息をついた。
「このレンブルクから教会の統治が本部じゃなくなる。フルーフ・ケイオスが起こった当時、私の兄、第一皇子が収めていたのがこの、レンブルクから向こうの土地になるわ」
第一皇子。その言葉にレヴィとアルが眉をひそめた。
「へえ、お兄さんか。仲いいの?」
「良いわけないでしょ」
ラウルの無邪気な問いをピシャリと退ける。
第一皇子ともなれば次期教皇となる皇位継承権、その第一位を持つのは当然のこと。しかしそれはフリーダが聖女として生まれたことで覆された。教会でも男女による身分の格差は大いにあるが、聖女ともなれば話は別だ。
教皇ルドルフのもとで政治や統治を学ぶところを、近隣の領地を任されることとなったのはそのためだ。フリーダ自身は第一皇子やその陣営から何か直接的な嫌がらせや妨害を受けた記憶はないし、むしろ兄として積極的に幼いフリーダの面倒を見ていたなんて心温まるエピソードもある。
だが、兄の皇位継承権を奪ったのはフリーダだ。その自覚が芽生えてからというもの、フリーダは積極的に兄と関わろうとはしなかった。その頃のフリーダは呼吸をするように周囲の空気を読んでいた。当然、兄は自分を恨んでいると思っていたし、フリーダのそんな行動に周囲も胸をなでおろしていたのを覚えている。
「家族なんてのは、私にとって己を縛る鎖でしかなかったのよ」
そう吐き捨てるフリーダを見つめるレヴィ。その瞳には納得と悲しみ、その両方の色が浮かんでいた。




